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2004年11月 3日

僕も愚かな若者だった

イラクで24歳の若者が殺された。
そのニュースを知った時、そばにいた知人らとその話題になったら僕以外の全員が
自業自得、行くなと言ってるところに行く方が悪い、平和ボケ、ざまあみろ
という感想だった。呆然。
家族には「好きで行ってる奴の救出に税金を使うな」等の電話が殺到したらしい。唖然。

若者の行動は無謀だったと思う。僕だって。
だけど「若者」というのは理路整然となんか説明できない「何か」に突き動かされて動いてしまう事がある、もともとそんな生き物だと昔の自分を振り返って思う。
誰も見向きもしないような事に執着し続けたり、
なんでそんな事をしているか当人にだってわからないのに突き動かされてやってしまうことは山ほどある。
少なくとも愚かな若者であったかつての僕はそうだった。
その「無駄」で「愚かな」行動のほとんどは今でも他人に説明する事は難しい。
でも、世の中で社会的に活躍している人の力が、そんな愚かさから始まっている事も多い。
たまたま異常に執着したことで他人を遥かに越えるスキルを得て社会的に活躍できる人間だっているけど、それは極端に言ってしまえばたまたま自分の方向を活かせる道が世の中にあった、もしくは行かせるように努力をした、ということ。
その「愚かな」行動をしている時点で将来、社会にどう役立てようかなんて考えてはいないだろう。
それに若い時代の「愚かさ」や「無駄」を経験せずロスなく成長した大人が素晴らしいのだろうか。
若者を非難している人間は若い時代に「愚か」で「無駄」で「意味の無い」こととは無縁だった人たちなんだろうか。
彼の「愚かさ」を説明するのは簡単。だけどしたり顔でそれをする「大人」はかつて自分にもそんな激情があったことを忘れてしまったか、若い時代にすら自分の精神をそんな風に自由に使う事の無かった大人なのだろうか。

それにしても。小泉さんグループの戦略は着々と成果を上げているんだなぁ。
殺人の意図を持ってイラクに出かける人間よりも、この若者を非難するムードはこの国に充満している。
殺された人々がたくさんいるのに、その人たちが死んでしまう事になった、その理由はどーも無かったみたい、ですませても「しょうがないよ」と許してくれるムードも準備万端。

少なくとも犠牲者の家族に厳しい電話をかける事が自分のやる事の優先順位の上位にランクされている人とは友達にはなれない。

CANON PIXUS iP4100

仕事用に新しいプリンタを買った。
CANON PIXUS iP4100
プリンタではずればかりひき続けてきた僕がとうとう当たりをひいたみたい。

最初に買ったプリンターはCANONだった。
色やスピード、音などは特に目立ったところも無く普通のBJ-F600というのを使っていた。
ところが給紙のひどいこと、ひどいこと。
大量の宛名印刷などハガキをセットし「ほらね、コンピューターを導入するとボタンひとつで後は勝手に機械がやってくれるんだよ」などと自慢げにスタートをクリックして買い物に出かけた。鼻高々で返ってきてみたら1枚目の給紙に失敗していた、そんなことはしょっちゅう。
結局、BJ-F600時代の宛名印刷は紙を読み込んでくれないプリンタに何時間も付きっきりで印刷したものだ。
それにこりて次にEPSON PM-730Cを買った。ふち無し印刷なども出来てそれなりに満足していた。Windowsユーザーだった僕がMacも使うようになりOSもそれぞれWin98から2000、Mac8、9からMacOSXへとバージョンアップした。その頃からプリンタが使い物にならなくなった。Macで印刷するとカスレ、ヨゴレ、文字が汚く印刷されるようになってしまったのだ。いくらEPSONのサイトで最新のドライバをダウンロードしてもダメ、そのうちWindows側からプリントしても同様の汚れがでるようになってしまった。そこで、こいつをWindows専用にすることにしてMacOSX専用にip4100を買った。
紙送りに懲りてプリンタはEPSONと決めていたけれど、世間の評価がある程度プリンタはエプソンと認めるようになってあぐらをかいているうちにCANONがそーとーがんばったとあるサイトで目にしたのでCANONも調べてみると、僕の一番心配していた紙送りが「以前はCANONの給紙は良くなかったがかなり改善されている」とも書いてあり、なにより実物をみてデザインが気に入って即決。箱形でプリンタの上を一時的に書類置き場にする事も出来るし、トレイに紙を入れてセットしておけるのもかなり嬉しい。両面印刷も出来るという。
 今日、大雨だったので買ったままにしていたプリンタを足の踏み場のない僕の部屋に置くべくプリンタ台というか箱を作って机の横に設置した。
 おかげで自作の棚はさらにせり上がり地震が心配な状況になったけれど、とにかく下から本棚>CANONプリンタ>EPSONプリンタ>EPSONスキャナー>FedraCoraLinuxの入ったVAIOを積み上げた。
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試しに写真を印刷してみたら、フォト紙を問題なく給紙して印刷を始めた。その音の静かさにまずびっくり、印刷の仕上がりにさらにびっくり。
安い買い物でした。
ちなみに¥22,000でした。それにUSBケーブルってなんですかぁ?と会計で尋ねておまけにつけてもらいました。

2004年11月 6日

新蕎麦

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新蕎麦を食べた。

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1時間ぐらい待った。僕は「待つ」ということが異常に嫌いで並ばなくちゃいけないことはほとんどパスしてしまうので行列のできるお店で何かを食べる、というのは滅多に無い。
我慢して並ぶ確率の高いのはラーメン屋だけど並ばされた時間に比例して評価の基準が高くなるので一度だけで二度と行かない事も多い。
だけど今日はどういう訳か待ってしまった。
結論から言うと、待って良かった。とても美味しい新蕎麦だった。
向付が3品ついて700円。他に天ぷら300円と岩魚の唐揚げ500円をいただいた。
そば湯がものすごく濃厚で最後にはそば湯だけをいただいた。
でも、お昼ご飯にちょっと贅沢し過ぎたな。

河井寛次郎

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古道具屋さんで明治時代の皿を買った。

店の主人にいろいろ教えてもらって幕末の頃の蛇の目高台というものも初めて知った。
なんだか盛り上がっていろいろ話していたら、是非見てくださいよ、と大事に箱にしまって奥にしまってあった河井寛次郎の壷を見せてくれた。
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バブルの頃は300万円を越えたと言うその壷は、ドングリみたいでちょっと、とぼけた感じでとても良い形だった。好きな作品だった。ガラス越しにしか見られないような作品をさわらしてもらい話を聞かせてもらって楽しいひとときだった。
その骨董屋さん何度か足を運んでいたのだけど主人と話したのは今日が初めてだった。

内山君

内山君が定食を食べていた。

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あちこちのおいしいものを「仕事」で食べるのは楽しくなさそうな気がした・笑

2004年11月10日

あんまん

もうこんな季節なんだなぁ。

2004年11月11日

top50

今日のflickrのblogによると写真を探す面白い方法が近々公開されるかもしれない。
その中でflikrのボスのStewart氏が、TOP50の中から以前に見た事がない15の写真を紹介している中で、僕が田んぼで撮った写真もとりあげられた。嬉しい。
。。。。。って、よく考えれば「見た事がない」のだから自慢にならないや・笑

それは、ともかく最近、flickrでちょっとした不具合があってフォーラムで提起したんだけど、解決されなかった。と、しばらくしてStewart氏本人から現在不具合を直している最中だが大変である事、とりあえずその時点で僕が対処できる方法などを、ていねいに説明したメールが直接きて、どこかの国の企業の偉そうなトップの方々とのあまりのギャップに驚いた。トップでもこーゆーことするんだなぁと。もちろん礼には礼を返すのが当然だから、簡単に感謝の言葉を書いて返信したら、それに対してもまたメールをくれて、僕はもう完全にflickr好きになった訳です。
術中にはまってる?

ところで、この前知らない人からメールをもらった。
「ウェブデザインの制作会社のオンラインデータベース(個人で登録している)を見ました。僕が制作したサイトを見て感想をいただけないでしょうか。」
Flash 100%のなかなかうまくまとめられたサイトだった。で、感想を書いてメールしたんだけどそれっきり。サイトを見るのも(7つも見た!)メールを書くのも貴重な時間を割いてやっている事なのに、感想をもらえる事をあたりまえだと思ってるんだろうな。
僕のサイトの"Private room"というページがあって、ページ自体に直接書き込みが出来る、いわば掲示板と合体したようなページなんだけど、その作り方を教えて欲しいというメールを一時期良くもらった。今ではそれこそblogのシステムを使えば簡単にできるけど僕がこのページを作ったときはもちろんブログなんて言葉もなく、したがって、こんな形式のページは珍しかった。僕はひとりでCGIをカスタマイズして、HTMLも全て手打ちして時間をかけて作っていた。でも、いつでも手の内を見せ、作り方も書いてメールを返したけど、返信が来た事は一度も無い。メールにあったサイトのアドレスをたどって、僕のページと同じようなものが出来上がったのを見た事はあるけど「出来ました!」なんてメールももらった事ももちろん無い。
「秘密」がきらいだから別に僕の知ってる事ぐらいなら教えても良いんだけど礼儀知らずな人間は多いなぁ。
僕は人との出会いで人生が動いているので、それでも素敵な出会いがあるかもと思って返信、書いてたんだけど今回を期に、もうそーゆーメールはシカトしようと決めた。
いくらなんでも無礼者が多すぎだ。

2004年11月14日

日暮れ


studio
Originally uploaded by tamaki from flickr.
日が暮れるのが早い。早すぎる。
外仕事は4時30分を過ぎるともうきびしい。
そして4時を過ぎると、家に帰れば温かい風呂が待っているということが頭の80%を占めている・笑

2004年11月16日

著作権

11/10の朝日新聞の文化面(宮城県版12版)に「ジャズ喫茶から著作権料」という短い記事が載っていた。音楽業界の著作権をめぐる守銭奴ぶりはまだまだとどまるところを知らないようだ。
 記事は
==日本音楽著作権協会が著作権使用料徴収の「前線」を拡大している。==
ことについての近藤康太郎氏のレポート。
 ライブハウスやジャズ喫茶、ディスコからも裁判も辞さない強硬策で臨み、長年地方で細々と店を続けてきた店主らが悲鳴をあげている。中にはやむなく閉店した老舗ジャズ喫茶もあるらしい。しかも、閉店しても(今までの)使用料の払いは求められる!というから徹底している。
 カラオケや着メロまでとにかく音楽業界のお金を徴収するシステムには日頃から辟易している。とにかく水も漏らさず稼ぐね、音楽業界。才能といってもいろんな才能があるけれど今の時代なら音楽を作り歌う才能に恵まれたいものである。それをお金に変えるシステムは完備されている。しかも、ちょっとCDが売れれば自分をアーティストと呼び、人には呼んでもらえるというオプションまでついている。

 音楽を聴かないで音楽を作った人間はいるのだろうか。
音楽を作るという行為をする人は「音楽」との幸福な出会いを経験しているのだろう。人生を変えるほどの衝撃的なものでなくとも、生まれたときから当たり前のようにあって音楽と共に歩んできた人、折にふれ音楽に勇気づけられた人、音楽を聴く事である情景を思い出す人。誰かの作った音楽を聞き、あるものは意識的に音楽を勉強し、またあるものは音楽に浸るきることで音楽を作る力を身につけるのだろう。多くの先人が作った音楽にひたり自分も「その先」にひとつの曲を作り上げる。その途端、あたかもそれを自分が100%新たに生み出したものであるかのような勘違い。「著作権」なるものを振りかざし、全てを自分のものにしようとする。

 音楽だって美術だって全ては模倣から始まる、と僕は信じている。模倣のない作品などこの世に無い。100%オリジナルな表現なんて無くて、新たな模倣の切り口を探しているだけなのかもしれない。日本人はお上から言われるとははーと聞いてしまうクセがあるみたいで、水戸黄門の印籠じゃないのに「著作権」を振りかざされたらとにかく黙って従う、とか「著作権」を振りかざしているんだから黙れという今の日本のなんたる息苦しさ。そんなところまでアメリカの真似をする必要は無いのに。「俺のもの、俺のもの」ってもう本当にうるさい。「俺のもの」にした中に本当は「みんなのもの」であったものがたくさん混じっている事がわからないのか。僕だって作る側の人間でもあるから著作権は大事だけれど運用の方法はもっと考えられて良いはずだ。

 アメリカで広告か何かに使おうと思った風景写真のごく一部に小さく小さく写っていた家屋の持ち主に権利を主張され結局その写真は使えなくなったという話を聞いた事がある。すでに今でも何かを引用しようとすると大丈夫かなぁと考えたり自主規制する事が多くなった。作品に「引用」するという行為もこれからはもう出来なくなるのだろうか。

 美術を知らない人でも知ってる有名な「モナ・リザ」という肖像画がある。柔らかに手を重ねて静かに笑っている女性の上半身の絵だ。この偉大な肖像画と全く同じポーズの女性像が今までにいったい何枚描かれただろう。あるものはこの偉大な画家に肩を並べようとし、またあるものは霊感を受けて有名無名を問わず多くの画家たちが描いて描いて描いてきた。レオナルド・ダ・ヴィンチの生きている時代に日本音楽著作権協会が無くて良かった。もし誰かが「先生、もったいないことですよ、全く同じポーズの絵からは高額な著作権料をとりましょう」なんて吹き込んでいたら、アングルやコローが描いたこのポーズの大好きな肖像画を見る事が出来なかったのだ。
それは大げさに過ぎるとしても今の状況がエスカレートしたら他人の作ったものを「引用」して新たに作品を制作することは本当に不可能になる。いや、現に一部ではそれがもう始まっている。

その意味でもクリエイティブ・コモンズの活動には基本的に賛成している。
このblogはMovable Type を使って作らせてもらっているけど同じようにMovable Typeでサイト構築した事ある人なら少なからず目にした事があるでしょう。
クリエイティブ・コモンズについての詳しい説明はここでは省くけれど、著作権は尊重しつつ、もう少しゆるやかに作品を共有できないか、ということだと僕は解釈している。クリエイティブ・コモンズのサイトにはこうあります。
「クリエイティブ・コモンズは、他の人々が土台にしたり共有したりするのに使えるクリエイティブな作品の幅を広げるために活動しています。」
flickrはそのひとつの活動例。
flickrというのは世界中のみんなで写真を共有しようという写真サイト(たぶん。。。この説明は僕が勝手に書いたもの)
ここに僕の彫刻の写真や楽しみで撮った写真をアップしているけれど、すべてこのクリエイティブ・コモンズのラベルを貼っている。僕のラベルは
Attribution-NonCommercial-NoDerivs 2.0 Japan
リンクをみれば一目瞭然だと思うけれど「帰属・属性の表示」「作品の営利目的利用不可」「作品の翻案・改変不可」の条件を守れば著作権者にいちいち連絡しなくても作品の使用可というもの。
ありがたいことに僕が今までにflickrにアップした写真をいろんな国のいろんな人のblogにもとりあげてもらっているけど、連絡する必要は無いんだけど多くの人がていねいなメールをくれる。flickrに参加している人はほとんどの場合、自分でも写真を撮ってアップしているから人の写真にも(あたりまえの)敬意をきちんと払っているのだと言えるのかもしれない。少なくとも今はまだ。

 だからわざわざ写真をシェアしあおう!というサイトなのに著作権やクレジットを写真の隅に入れている人が大嫌いだ。写真の質を落としてまで何故クレジットを入れるのか、そもそもそこまで著作権にこだわるなら悪気のある人にも写真持っていかれ放題のflickrに参加しなければいいのに。。。(この話は横道にそれるので、また別にエントリーします)
 
 自分のサイトを整備するのが一番後回しになってしまうのは僕だけじゃないだろうけど、早く自分のサイトを整理して「All rights reserved」の表記を「Some rights reserved」に変えたいともう何年も前から思っている。著作権、著作権とやたら書いてあるサイトが大嫌いとか言っても「All rights reserved」って書いてあったら同じ穴のムジナと思われるからやだなぁ、とずっと思っているのだ。一時期、実力を顧みずアイコンやweb用素材の配布をした事もあったけどその時は「使ってくれるならありがとう。改変自由、連絡無しにガンガンお使いください」でやってた。

 人は生まれ、あたえられて、それを自分のものにして、最後にはまたそれをかえしながら死んでいく。
そーゆー生き物だと思っていた。与えられるものは食べ物や寒さをしのぐ服や愛だけじゃない。そんなことを日本人はついこの間まで当たり前にやってたはずだ。(今では年寄りが話で「かえそうとしても」年寄りの話を聞く耳をもつ人が少ないかもしれないけれど。)それがどーだ。儲けるだけ儲けてもびた一文だって人にはくれてやらないという大人は連日の紙面やテレビで探すのに困らない。日本の経済のトップを走ってきた大人たちのなんとわがままで幼稚であった事。

 ちなみに僕の作った野外彫刻や作品もパンフレットなんかにその写真が使われる事があるけど、もちろん事前に了解なんて求められた事はまず無いし、ましてやお金をもらった事は無い。それどころか、あなたの作品をパンフレットの一部に使ってあげましたからね(感謝しなさいよ)とまで言われてしまいそうな勢いである。気をつけないと「使ってくれて、ありがとう」と言ってしまいそうな自分が嫌だ・笑

 まあ、僕は自分が自分のわがままでつくる彫刻もあるけど野外に置く彫刻は公共のものになる、という事くらいは承知している。ひとつの景色になってしまう訳でその周辺に住む人々はいやでも日常的に目に入るようになる方もいるだろう。そんな人に迷惑にならないといいなぁと思うし、できれば愛されて欲しいと思うから、自分勝手なわがままだけでは作らないようには心がけてきたつもりだ。だから環境に自分の作品を建て終わった後は「自分が作った」という感覚は自分の中に残っているけれど「自分のものだ」という感覚は全く無い。したがって著作権料よこせなんていうつもりも無い。だから僕の彫刻の写った写真を使われてもそのことで文句を言うつもりは無い。もしそれをダシにもうけたのなら僕にも道具のひとつも買って欲しいけど・笑

 いや別に負け惜しみで書いてるんじゃなくてさ。

2004年11月17日

Technique

以前、僕の写真をblogでとりあげてくれた、flickr友達のM A Xが先日招待してくれたグループTechniqueflickrのblogでとりあげられていた。
最近、面白いグループは大量の英語を読まないと本当の面白さがわからないグループが多くて困る。時間がかかるので睡眠時間確保のためにも面白そうなフォーラムもずいぶん我慢している。そんな僕が投稿したのはほとんど絵解きだから英語が出来なくても大丈夫・笑

2004年11月19日

favorite

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flickr で自分の写真が自分以外の人に何回、見てもらえたかは以前から表示されていたけど、今日からその写真を"favorite"に入れてくれている人の数と誰がそうしてくれているのかがわかるようになった。
これは、かなり嬉しい機能だ。特にコメントを残さないでお気に入りにしてくれた人を知る方法がなかったから意外に知らない人も多くて、時間のある時に自分の写真をお気に入りにしてくれた人のところを回る楽しみが出来た。

ちなみに上のスクリーンショットはこの写真のもの。
at the rice field
たぶん僕の写真の中での一番人気。
今日で38人もお気に入りにしてくれている。
僕の中でも自分が撮った写真の中のお気に入りで5本の指に入る。
この写真を撮れた頃から意識的に写真を撮るようになったのだ。

2004年11月21日

まじっすか。

ariariさんに教えてもらった話。
AMiKAiのシステムを使った翻訳サイト(例えば@nifty:翻訳)で「まじっすか」と入力して翻訳してみましょう。3分間、笑いました。

営業用ハガキ

今日、来年の年賀状や宣伝に使うポストカードを入稿した。
もちろん、デジタルデータで。
数年前まで文字は地元の印刷屋さんに文字サイズと間隔を指定して写植してもらい画像は一眼レフカメラにリヴァーサルフィルムで撮って、紙に焼いたものをコピーして製版原稿を作成して入稿していた。切ったり貼ったり描いたり書いたり消したり。大変だけど楽しい作業だったなぁ。

今や、原稿はPCで作る時代だ。
画像はもちろんデジタル。製版原稿もデジタル。
全て自分で出来るのは嬉しいけどカメラマンに写真を撮ってもらい印刷屋さんに写植を作ってもらい、、、という人との関わりが極端に減ってほとんど自己完結できるのは、良いとばかりも言えないと思う今日この頃。
もちろん、全部自分でできればいいのにと思って勉強と実践もしてきたんだけど。
写真屋さんと印刷屋さんを誘って酒でも飲みたいな。

2004年11月25日

今川焼

 今川焼。と僕は呼んでいるんだけど、引っ越す度に呼び名が違って戸惑った食べ物。生地の中にあんこの詰まった焼き菓子。ちなみに今まで僕が出会った呼び名は大判焼き、小判焼き、太鼓焼き。そして今住んでいる宮城ではおやきと呼ぶ。
 中に詰めるのは今ではあんこ以外にもカスタードクリームを詰めたりいろいろあるみたいだ。その中でも先日、石屋さんでごちそうになったおやきは中にハム、チーズ、マヨネーズが入っていた。いや、この生地との相性のいいこと、いいこと。旨い。もし、馴染みのお店があったら無理を言ってでも一度作ってもらうことをオススメ。いや、旨い。 
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2004年11月26日

コンタクト

flickrのコンタクトに悩んでいる。
flikrOrkutなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング)をやってない人には訳の分からない話だと先に断っておきます。(わからないけど、わかりたいからやってみたいという人は連絡くれればインバイト(=招待)します。flikrOrkutキヌガサだけですが。あとGmailのアカウントもあり)

以前にも書いたけれど僕は社交的な人間ではない。パーティーなどで誰彼と無く挨拶しながら人波をぬって行くなんて芸当は(やってみたいけど・笑)もちろん出来ない。だから広く浅くという付き合いが苦手である。というか嫌いだ。広い会場で何人もいるようなパーティーでも最初から最後までふたりだけ~10人くらいでわいわいやっているのが至福なんである。だからSNSもやる前から向かないとは思っていたけどWebの仕事もやってるし全く知らないってのもなぁ、それに別の面白さがあるかもしれないしと思って初めてはみたものの開店休業状態。やっぱりだ。
でも誰かmixiにinviteしてください・笑
ところがflickrでのContactはこれを書いている時点で209人にもなってしまった。Orkutを始めた頃 Friendsが100人を越えているような人を見ると「おいおい全員を覚えてるのかぃ?」なんてツッコミをいれてちょっと軽蔑してたのに自分が209人だ。昔の自分に軽蔑され突っ込まれまくること必至。最低。
 ただ間に写真という作品が介在することで僕にとってコミュニケーションが取りやすいのは事実。僕の慣れ親しんでいる方法だから。
最初の30人くらいまでは喜んでどんどん追加してたんだけど、このままではイカンと最近は極力、自分からコンタクトを増やさないように自重中。Everyone's photos.もできるだけ見ないように我慢してPhotos from your contacts.だけをみるように心がけてるんだけどこのざま。困った。

 僕がコンタクトに追加するかどうかの基準はごくごくシンプルで簡単。
「僕の好きな写真、素敵な写真を撮っている人と写真を介してコミュニケーションすること」

つまり。。。
・ぞっこん惚れてしまう写真に出会ったら即「素敵な写真です。僕はあなたの写真にノックアウトされちゃいました」とコメントしてコンタクトに追加。
・「素敵な写真です。心をわし掴みにされました。」とコメントをくれた人の写真を見に行ったらあんまり素敵で即コンタクトに追加。
・「素敵な写真です。心ゆさぶられました。」とコメントをくれてしかも僕をコンタクトに追加までしてくれた人はこちらからも即コンタクトに追加。
・「素敵な写真です。恥ずかしいからコメントは書けませんでしたけどコンタクトに追加しました。気を悪くしないでくださると良いのですが」とメールをくれた人は全然気を悪くせずそれどころか嬉しくて、にやりとしながらコンタクトに追加。
ただこれだけ。少しだけ例外があって
写真を駄目にしてでもクレジットを入れる人(何故か僕が出会った中では日本人に多い)はちょっと苦手。
・コメントやメールでのやり取りは一切無しだけどコンタクトに追加してくれた人(これも何故かほとんど日本の方)はありがたいんだけど別に僕とコミュニケーションをしたい訳じゃなさそうなのでこちらからは追加せず。
 そうやって209人になってしまいました。広く浅く付き合う人のことが実はあんまり好きじゃない僕にとって恥ずかしい数字だ。でも、コンタクトの人数を減らせないかと思ってほとんどやり取りの無くなった人のとこに行ってみたりすると、そーゆー時に限って先方が素敵な写真をアップしたばかりで熱烈なコメントを残して帰ってきてしまったり、知らない間にFriendsになっててまさかコンタクト外せずに帰って来る。(だから僕は仲良くなった人もずっと全員ただのコンタクトにさせてもらっている)
 みんなはどうしてるんだろう。

きっと60人くらいが僕にとってはベストなんだろうな。

2004年11月27日

満月

一晩中ものすごい烈風が吹きすさび眠れず。風が怖いという感覚は都会で暮らしている時にはなかったなぁ。もうどうせ眠れないのならと5時前に起きだして屋根の点検をしたらものすごく明るく美しい月。満月だ。
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ハウルの動く城

レイトまであと二時間半。

2004年11月28日

川端 誠さん

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お供だちが主催した「絵本を楽しもう」に出かけて、絵本作家"川端誠"さんの話を聞いてきた。

「ひらきよみ」(一般的には読み聞かせと言った方が通じるだろうけれど川端さんは「聞かせ」という言葉に高圧的なものを感じて嫌いなんだそうだ)では最新作の「うんこ日記」から始まって10冊以上は読んでもらっただろうか。腹を抱えて笑っている間にもったいぶらずに次々とページをめくり読んで聞かせてくれる。本を閉じて裏表紙の絵を見たところで本当の終り。噛み締めたくなる余韻。間に作者ならではの制作の苦労話などを面白おかしく話してくれる。「作り手が苦労すれば見る方はただ楽しいんです。作り手が楽すると見る人が苦労するんです。作り手の苦労は全然見えなくていいんですけど」全く同感。俳句のように凝縮したページ数の中に思いを込めるためにどれだけのアイデアと試行錯誤と時間と手間をかけてその数ページを制作しているのかがとても具体的に語られた。それどころか後半はスライドで絵が完成して行くまでの何段階かの制作過程の写真、制作の様子、膨大な資料(これがまた落語の園生の写真が着物の資料だったり、飲み屋のメニューが舟盛りの資料だったり書き出すときりがない)筆、試し塗りの試行錯誤、版画の作品の制作過程、1冊を作り終えるまでに折って使った膨大な量の刃を最後に並べて撮った記念?写真・・・・・・僕も自分の制作過程を何も隠さず見せる質だけれどこんなにオープンで見せてくれる作家に会って、きっと今日の会を一番贅沢に楽しんだのは主賓の子どもたちではなく僕だったのではないだろうか・笑
 「ひらきよみ」と「おはなし」が終わってから絵本や色紙のへのサインを寒いお堂で手をかじかませながら黙々と描き続ける姿勢にプロフェッショナルな精神を感じた。ちなみに2時間、黙々と1枚1枚小さな絵を添えてていねいに描いていた。僕も「十二支のお節料理」と「鳥の島」を買ってサインしてもらう。思えば作家本人に自著にサインしてもらうのは景山 民夫 以来だ。
 主催されたお友達この方も童話を書かれていて数々の入賞歴有)の「同じ、土台を持つたまきさんは、話題が共通するのでは?」とのはからいで講演終了後の懇談会に混ぜてもらう。まずはチラシを作った際レイアウトの都合で絵の一部を切り取った非礼を詫びて。作品が面白いだけでなく話の面白いこと、面白いこと。次回作の構想を聞かせてもらっただけでまだ出来ていない本を想像して大笑い。早く出来上がったものがみてみたい。それにしても都会だとホールかなんかで聞いておしまいだろうに作家本人と膝交えて話ができる、こんなところも田舎暮らしの良いところかもしれない。
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 それにしてもアマゾンに「鳥の島」の在庫が無いのはなんと寂しいことか。第5回絵本にっぽん賞を受賞されたこの絵本、実は絵本ではなく正確には紙粘土絵本です。膨大な時間を費やしたであろう紙粘土に着彩して描かれたこの絵の力。そして版画による文字の力。本屋さんでもし見かけたら一読をオススメします。このほろりとくる絵本は「100万回生きたねこ」と共に宝物になりそうです。

2004年11月29日

夜道で狸にとおせんぼされた。
カメラ積んでいたので急いでシャッターを切ったけれど真っ暗でピントあわず失敗。
轢かれている狸はよく見るけれど野生の狸をまじまじと見たのは初めての経験。
やけに悠々と、のんびりとしていた。太っ腹。

みうらじゅんさんの伝言

11/3の「僕も愚かな若者だった」でわかりにくい文を書きましたがみうらじゅんさんが朝日新聞で書かれたとても気持ちの沿う文章を見つけました。著作権が気になりますが紹介。朝日新聞2004年11月28日生活欄(宮城12版)の記事です。
こちら
やっぱ、すごい。みうらじゅん。

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