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2011年3月 2日

e-Tax 平成22年度

 今年もMacでe-Tax
画像はクリックで拡大表示します。
平成20年度)(平成21年度

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 今まで別々だった収支内訳書(決算書等)と確定申告の決算書のデータがひとつになった。去年まではこのふたつのファイルを結合して送れ、というのにひとつにするのが難しかった。苦情や希望が多数寄せられたのだろう。


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 今年は勝手にひとつになってくれる。これはとても良い改良。


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 今年で3年目。e-Taxのサイトで各種書類を作るのも慣れたもの。(となめていた訳ではないんだけど)


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 僕とカミさんの書類をサクサクさく作成して送信して今年の申告も終わりにしようと思ったら、処理が終わらず。
   ま・じ・で!?
 しかもこのエラーコードはエラーコード一覧にも載っていない。困った困った。ということでヘルプデスクに電話。3/15までの申告時期は午後8時まで電話受付してくれているのでありがたい。音声ガイダンスに従って最初は[1]e-Taxの操作をプッシュ、[2]エラーの解決方法をプッシュして繋がった担当の方に状況説明。MacのOSにバージョンとSafariのバージョンを聞かれた。(利用環境の確認はe-Taxのこのページで確認できます

 結論。
「[公的個人認証サービス利用者クライアントソフト]と[ルート証明書]を再インストールしてください。」
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 「それから Safari を64ビットではなくて32ビットで起動していただくとエラーが無くなる可能性が高まります」
 なるほど。きっと原因はこれだ。と思ったので公的個人認証サービス利用者クライアントソフトとルート証明書の再インストールは後回しにしてSafariを32ビットで起動し直してもう一度やってみた。(アプリケーションフォルダからSafariを探し「詳しい情報...」をクリックして「32ビットモードで開く」にチェック)(e-Taxの作業が終わったらまたチェックを外しておきましょう)

※電話の対応はとてもていねい&(専門用語続出なのでPCの知識が無いとキビシイかもしれないけど)わかりやすかった。お世話様でした、担当の太田さん。


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 何度やっても今年はこの先に進む事ができなかった見慣れた画面に戻り


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 カードリーダーに住基カードをセットして[次へ]をクリックしたら去年までのように次に進めました。


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 住基カードの暗証番号とe-Taxの暗証番号は違うので間違えないように。あと、僕の様に自分の分と別にカミさんのを代行するときに自分の暗証番号を打ってしまう人も多いようなので注意。


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 無事、処理が完了しました。


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 良かった、良かった。

※来年への個人的備忘録
 今年で住基カードの3年の有効期限が切れる。来年は住基カードの取り直しから。データの処理がうまくいかなかったらSafariを32ビットで起動。それでも駄目なら公的個人認証サービス利用者クライアントソフトとルート証明書の再インストール。各種書類はここ。

2011年3月 3日

ひな祭り 2011

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 バリ島で買った木彫の「ガルーダ」とアロマオイルにはさまれて若干居心地の悪そうな我が家の豆雛。

おやすみ

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 僕が寝るまではいつまでも僕の部屋で一緒にいた愛犬「小春」。最近はすぐに一人で寝室に降りて行きたがるようになった。今宵も、まだMacで仕事している僕をおいて行ってしまった。なんか寂しい。

2011年3月 4日

昼飯

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ワンピース海賊弁当食ったる。

2011年3月 5日

幸せなプレゼント

 昨日、クタクタになって我が家に帰宅したら茶色の大きめの封筒に入った郵便物が届いていた。差出人を見なくてもその文字で誰からの郵便物かすぐわかった。その字を見たら疲れがどこかへ行ってしまった。

 今から10年くらい前。ブログなんてものはなくてみんな「掲示板」を設置してそこがインターネットの世界の主な交流の場だった。あちこちの掲示板を渡り歩いているうちに別の板でも知ってる人に会うと仮想空間での「友だち」になったりすることも良くあって、そこで木版画の作家として出会ったのが「眞流(まる)」さんだった。今はなくなってしまったけどその頃は「眞流」さんもホームページを持っていたので掲示板から流れて眞流さんのサイトで木版画の作品を見ていたらどうしても欲しくなってしまった作品があってメールを書いて譲っていただいた。ずっとモニタ越しに見ていた作品が「モノ」として僕の手の中に届いただけでとても幸せを感じたものだ。だけど木版画だけではなく作品にとてもあった手作りの額縁も送られてきた。(僕の払った金額なんてこの額縁にさえ届かない)さらに台紙も5色同封されていた。展示する壁との相性で一番良いものを選んでください、ということなんだろう。なんて細やかな配慮。作品にもその配慮にも感激した。

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 その作品は今でも僕の宝物のひとつで玄関を入った正面の壁に眞流さんの素敵な額縁に入ってお客様を迎えていただいている。「鳥旅」と題されたこの木版画に、飛躍したいのに飛躍できなくて腐りそうになる度に今でも励ましてもらっている。

 ネットではその後も時々やりとりして我が家が完成したときもビールを贈っていただいて感激したんだけど、あるときから年賀状も戻ってきてしまうようになり音信が途絶えていた。

 だけど今年。眞流さんから今までと違う住所から年賀状が届いた。しかも結婚されたとのこと。やった。数年ぶりに返事を書ける喜びを感じつつ小さな自作の石の花器をお祝いに贈ったんだけど。

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 そのお礼になのだろう。昨日、届いた包みを開けてみると眞流さんが彫った木のスプーンが出てきた。手紙を読むと「幸せすくうお匙です」うわーん。嬉しい。幸せすくってる、すくってる。

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 一目見て眞流さんの文字だとわかる字で書かれた素敵なタグ。泣けるゼ。

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 さらに!ご結婚された旦那様の水彩画まで同封されていた。なにこの幸せ。眞流さんとこの愛犬アスパラと我が家の愛犬 小春が夜空の中で出会った水彩画。旦那様は水彩画家で木管楽器修理師それ以外にも色々作る僕らと同じモノツクリな方のようです。僕らも我が家を作るときにいろいろ考えたけど結局、断念せざるを得なかった薪ストーブを導入した物語は羨ましくて(当たり前ですが)素敵な絵で面白いです。(こちら
 いつの日かアスパラはもちろんお二人に会える日を楽しみにしてます。。。

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 今まで眞流さんの版画を飾っていた壁の対面に志郎さんの作品も額に入れて飾りました。我が家に遊びに来たら皆さん見てくださいね。

2011年3月 6日

年度末

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 愛犬小春と昼の散歩。電信柱を今日のテーマにして写真をたくさん撮った。午後、部落の総会。

 去年に続いて誰も読めない字を書く僕が「書記」の役を仰せつかる。胃が痛い。参った。参ったけど「居る」のに居ない人として扱われるより使えない奴としても「居る」人として扱われる事は幸せな事なのかも。ただ昼間家にいないので部落の方の名前と顔が全然わからない。一致しない。隣に座った方に「今、発言した人の名前教えてください」と聞きまくり。ごめんなさい。疲れた−。その後、懇親会。部落の新参者。接点も少ない僕に「書記」をやったというわかりやすい出来事があったおかげできっかけができて「ごくろうさま」と何人かにビールを注いでいただく。そんな幸せ。悪くないよ。

 都会の人には理解できないかもしれないけど「田舎」というのはネットが発達した現代の日本にも確かに存在している。そして、あたりまえだけどこの国はそーゆー多くの人によって作られている。僕の周りには日本人が飢えないようにと暑い日も寒い日も田んぼに立つお百姓さんがいる。都会の人はそんな事どーでもよくて、米が無ければコンビニかよその国から買えばいいという人が多い。ネットでなんでも片が付くと思っている人もいるし。

 何にも結論は出ないんだけど「都会」と「田舎」の両方を見た自分がどういうメッセージを発信したらいいのだろう、と思ったり。

2011年3月 7日

起き上り小法師

 美術教室でみきちゃんが大きな東京タワーの大作を制作中。余った紙粘土をちょっともらってパチンコ玉を練り込んで起き上り小法師の一丁あがり。

2011年3月 9日

地震雲

 今日、11時45分頃東北地方で大きな地震があった(らしい)。
110309僕はその頃、小さな石の彫刻の最後の磨き。大地に足を踏ん張って働いていたのに、完成間近でワクワクドキドキしていたのか全くわからなかった。実は仕事場であんまり美しい雲が広がっていたので思わず携帯で写真を撮ってツィートしていた。(左の写真)

 地震があった事は友だちから何件かメールが届いて知った。(心配メールありがと)
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(※あんまり空がきれいだったので遊び心でコンデジを地面においてこんな写真を撮っていた。まあ、そんな気にさせるほど今日の雲はいつもと違っていた)

見上げた空の雲があんまり美しかったのでコンパクトデジカメでも撮っていたのがこれ。ほそーい線のような雲が何重にも並んでいた、これって地震雲?(地震雲なんていうものは無いというのが公式見解ですよ)
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 それにしても美しい雲だった。なんか妖しかった。

玄米ごはん

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 愛犬小春との昼の散歩。田んぼのあちこちに春を待つ緑の「かたまり」が。

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 帰って昼飯。「米」はいつも面川さんの米をダッチオーブンで4〜5合炊いて炊きたてを食べて残りはすぐ冷凍している。(食べる時はチンで炊きたて)だけど、今日の昼。切れていた、迂闊、うかつ。仕方が無いのでカミさんのをもらう。カミさんは玄米ごはん。玄米に小豆も入っている。玄米も小豆も炊く前に少し煎るんだって。香ばしくておいしい。でも俺は銀シャリが好きなんだよなぁ。最近は「つや姫」と「ひとめぼれ」をブレンドするのが好み。

2011年3月15日

大地震

電話も携帯もメールもネットも電気も水道も道路もガソリンも駄目だけど生きてます。カミさんも小春も大丈夫です。(何十回めの挑戦だろう。モブログで投稿してみる)

2011年3月16日

陸の孤島

多くの皆様にご心配いただいているようで申し訳ありません。そしてありがとうございます。我が家はほとんど被害はありませんでした。妹に勧められて始めたキャンプでの経験やアウトドアの道具のおかげでライフラインは未だに全滅ですが淡々と生活しています。ただ中東の紛争のあおりでガソリンが朝と昼で値上がりする現状でいつものような満タン買いを控え2000円ずつ買っていたためにほとんど空の状態で地震を迎えてしまいました。その後仙台に取り残されたカミさんを6時間かかって迎えに行って無事に再会できましたがガソリンは無くなってしまいました。昨日カミさんのわずかにガソリンの残る車で近くの街までガソリンを買いに行く最後の賭けに出ましたが、もう少しのところで打ち切られました。現在、市内近くのガソリンスタンドは空か緊急車両と災害援助の車だけにガソリンが供給されています。なので身動きがとれません。車が無いと給水所にすら行けない。
昨日ガソリンは買えなかったけどずっと圏外だった携帯のアンテナが立ってくれたので両親や妹にメールしました。(電話は駄目だった)という訳で心配していただいて携帯メールやPCメール、伝言ダイヤルや留守番電話などにメッセージいただいていてる様なのにお返し出来ずにごめんなさい。このブログも携帯から投稿してますが自分ではまだ見ることが出来ていません。ネットもテレビも駄目なので当事者ではあるけれどラジオ以外の情報から取り残されている状況なのです。復旧したらそれぞれ連絡させていただきますが、こんな状況なので近くに連絡がとれず心配している方がいたら元気でやってると伝えてもらえるとありがたいです。
地震やその後の福島原発の事故の影響で関東を始め広い地域で困難な事態が発生しているようですがここはひとつ頼りにならない政治家は置いておいて(文句言うだけ無駄だから)皆で力を合わせて出来ることを少しでもやっていきましょう!
こーゆー時こそ「オール・ジャパン」という言葉を使いたい(笑)

※これを携帯から投稿するために自転車でアンテナの立つところまで数十分かけて走って来ました。投稿ができたら最小限の連絡だけとって帰ります。

2011年3月17日

多謝!

 今朝、電気が復旧しました。水道はΦ70cmの太い管がやられたので早期の復旧は難しいようですが我が家の被害はワイングラスなど3つと僕の石の彫刻のいくつかが倒れて角が少しかけたくらいで今回の被害の甚大さを思えば無傷です。いまだ劣悪な環境で避難所生活をされている方々や救助を待っている孤立した地域の方々、救助を待っている方々の状況が少しでも良くなりますように。
 今日は1日かけてカミさんの車と僕の車用に20Lずつのガソリンを買う事ができて今、帰ったところです。これでしばらくは給水所へ行くのもガソリンの心配をしないで行くことができます。さっき被災6日目にして始めて震災のニュースをテレビで見ました。そしてこのブログも。皆さんの温かい心に触れて胸がいっぱいになっています。本当にありがとうございます。
 すぐ皆さんに返信しようと思ったのですがエンジンを切って暖房もできない車中で丸1日並んで風邪をひいたようです。それに今は避難所で苦しい生活をしている人がまだまだたくさん。「節電」が大事です。とりあえずこれだけ書いて今日は電源を落とします。落ち着いてから改めておひとりお一人にご連絡します。
 みなさん、本当に多謝!多謝!です。

   どうもありがとう。

2011年3月18日

地震の夜の仙台の星

 地震の後、家に戻って愛犬小春が無事なのを確認して割れてしまったワイングラスだけ片付け、歌のレッスンのため仙台に行って取り残されたカミさんを小春と共に車で迎えに行った。たまたまもらったばかりのカーナビに住所を入力して無事にカミさんと再会する事ができた。普通なら40分の道のりに4時間を費やしていたけど。その時、信号を始め全ての照明が落ちている仙台で見上げた空には信じられないほどたくさんの星が光輝いていた。とても美しかった。

prayforjapan.jp

prayforjapan stream

危機的状況の中の希望
(村上龍のニューヨーク・タイムズへの寄稿文)

Amid Shortages, a Surplus of Hope(上記原文)

2011年3月19日

スーパームーン

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 あんまりきれいな月が輝いていたのでツイート。
月がきれいだよ。明日は満月だけど東北は雨かもしれない。
 @itonaoko さんからレス。
スーパームーン 今日は最も月が地球に接近する日のようですよ。東京はぼわぼわ朧月です。

 スーパームーンていう言葉、初めて知った。見て良かった。

 Flickrで"prayforjapan"タグの付いた写真のスライドショー

2011年3月20日

記録:東日本大震災

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東日本大震災(東北関東大震災)から10日。一区切りとして震災当日からの生活を記録しておく。

 その前に。 お百姓さんの年間のスケジュールは人間の都合ではなくて自然の気候や天気と相談して決める。そうやって仕事をするのは当たり前の話。ところが。百姓が仕事をしていると「みんな震災で苦しんでるのに、農作業をしている人がいる」と苦言がよこされているという。米や作物はパソコンで入力してすぐプリントアウトするように出来る訳ではない。何週間も何ヶ月も前から淡々と着々と仕事を続けた結果得られるものだ。みんながこの大震災から立ち直ろうとしているのは一緒。緊急の事態だからまずは寝て食べて起きることをするだけで大変な人も多いし今はそれこそが大事な「仕事」だ。だけどもう少し後には復興に向けて働いていかなくてはいけない。食べなくてはいけない。その時のためにお百姓さんは今働いている。
 この話を始め、お酒を飲みに行くのは不謹慎とか、異様な異常な自粛ムードが漂っている。お百姓さんが今みんな自粛したらこれから復興と言う時、食べるものないからね。被災した人は今でも大変な生活を送っている。それを全力で支援する事と自粛は関係無い。被災地が全て復興するまでみんなが喪に服していたら何も前に進まない。被災しなかった人が被災者の目の前で酒を飲むのは自粛すべきだけど東北以外の人たちはいつものように働いていつものようにお酒を飲めばいい。歌のうまい人は歌で元気づけて欲しいし、お百姓さんはみんなが食べられる米や野菜を作って欲しい。お金持ちはどんどんお金を使って欲しい。(出来たら東北のモノもお願い)歌の下手な僕に歌を歌う役割は無理だから、自分が出来る事を少しでもひとつづつやっていくしかない。

 避難所にすら行けず孤立して被災している方が食べるものも食べられない現実にある時に、普通に食べて温かく寝る事ができたこの10日間の生活を記録する事に意味があるのかとも考えましたが今までも日々を淡々と記録してきたこのブログ。いつもと同じような気持ちで震災からの10日間の一部をここに記録して個人的に震災に一区切りをつけることにしました。(見るという方は「続きを読む」をクリックしてください。写真をクリックするとテキストも表示されます。テキストが表示されない場合は完全にページの読み込みが終了するまで待ってから写真をクリックしてみてください。写真の左右をクリックする事で先に進んだり戻ったり出来ます。Google ChromeやFirefox等ブラウザや設定では文章が読めない場合があります。その時は写真の上にマウスを置いていただくと文章がポップアップします)

 改めて今、被災している多くの方々の日々が一日も早く「普通」の幸せに戻る事を願います。

◆震災当日◆(2011/3/11)




◆震災2日目◆(2011/3/12)






◆震災3日目◆(2011/3/13)







◆震災4日目◆(2011/3/14)







◆震災5日目◆(2011/3/15)








◆震災6日目◆(2011/3/16)






◆震災7日目◆(2011/3/17)




◆震災8日目◆(2011/3/18)





◆震災9日目◆(2011/3/19)




◆震災10日目◆(2011/3/20)



◆エントリー関連リンク集◆
*1 LEDライト
*2 ファミリーマート
*3 面川さん
*4 ベラルーシ風のスープ
*5 あわ漬け
*6 棟梁の奥さん
*7 貯水槽

    

2011年3月22日

押し送りと戦友とお風呂と清志郎

 本当に僕らは大丈夫。何もいらないと言っているのに、両親から食料などがぎゅうぎゅうに入った箱が届く。押し売りならぬ押し送り。本当に親というものは。ありがたい。
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 電話して「ビールが入っていないじゃないか!」と(礼を)言う。

 ガソリンが入って少し動けるようになったので夕方、ベコ飼いのお友達の家に顔を見に行く。友だちの無事な顔を見るだけでなんでこんなに元気がでるんだろう。きっと僕らは友だちという関係に加え、同じ恐い思いをし、大変な思いをし、これから頑張っていかなければいけない「戦友」のような関係にもなったからなんだろうと思う。知らない人に対してさえ、3.11の地震を経験した人たちになんとなくそんな思いを感じている。(もちろん復興のためにわざわざ他県から来て活動していただいている多くの方々にも)

 大地震から11日目。古くなった飲料水や近所のおばあさん家の井戸の水をいただいたり、石屋さんのところでもらった水などこつこつ貯めてきてとうとうお湯を沸かせるラインを超えた。11日振りに風呂った。幸せ。

 タニシさんのブログで。清志郎って本当にかっこいい(としか言えない自分がイヤだけど好きすぎてうまく言葉を見つけられない)。(ロックや忌野清志郎に興味がない人も福島原発のことを考えているなら一度再生してみて)

2011年3月26日

福島原発の「廃炉」を求める有志の会

福島原発の「廃炉」を求める有志の会
からpdfファイルをダウンロードして緊急署名した。個人で始められたようで頭が下がります。
サイトから抜粋

呼びかけ

緊急署名を呼びかけます。

郡山市長の要請を積極的に受けとめ、ただちに福島原発10基の「廃炉」を決めてください。
3月19日の午後、原正夫郡山市長が「廃炉」を訴えたことを、重要な契機として生かさなければ、と思います。 もう一つは、刻々、ヒバクの恐怖が、私たち市民にも襲ってくるかもしれないとき、今までヒバクを前提として動かされていた原発に、多くの関心を寄せなければ、と思います。

ぜひぜひ、この署名を広めるために、ご協力下さい。

※"原正夫郡山市長が「廃炉」を訴えた"という文章に関連記事のリンクをかけました

生涯、最高のお店

 朝5時30分に起きて車で30分の隣町のガソリンスタンドへ。ツイッターなどの情報だと僕の住んでいる地域は何時間も並んだのに買えなかったという情報も。少し遠いけど確実に買える宇佐美に今日も並ぶ。(名古屋が本社の宇佐美は大地震1週間後にすぐ1億円を寄付したのを始め、一切値上げもしないで対応も素晴らしい。(便乗値上げして高値で尊大な態度でわずかな量だけを売っているGSも多い)若いスタッフもこんな状況なのにみんな笑顔を心がけて一生懸命働いている。頭が下がるので感謝を込めて明記しておく)早朝に起きてでもガソリンを買ったのはどうしても会いに行きたい人がいたから。5時間並んで容量制限の20Lが入ったので面川さんの米や水などを積んで出かける。愛犬小春は東日本大震災のトラウマで余震におびえ留守番が難しくなっているのでカミさんと一緒にふたりと一匹で出発。

 ここで少し別の話を。僕とカミさんはパスタとピッツァが大好きで美味しいという評判を聞くとすぐ食べに行きたくなる。宮城に越してきてからも仙台に行く用事がある度にいろいろ入って見たけど僕らに合うお店を見つける事ができなかった。4年前の夏、海辺のお店のチラシが入ったので特に期待もせず行ってみた。
それが、‪dining cafe SANTA FE‬ との出会い。オーナーシェフ夫妻がふたりでやっているお店。
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 そこで出会ったクリームチーズパスタにノックアウトされた。今まで食べたパスタの中で一番おいしかった。これはクリームチーズのパスタなんていう単純なものではなく直輸入の数種類のチーズを贅沢に使ったクリーミーなチーズのパスタ。あまりにおいしく会計の時に「今までに食べた中で一番です!」と言うと「和の要素を隠し味で加えてあるんですよ、私達は日本人ですからね」と言われた、にくい。絶品。(教えてもらっても全然「和」が何か解らないけど)ピッツァもおふたりの作るトマトソースや生地が最高。月に一度の贅沢で通うのが楽しみになって、いつの頃からか(大体、いつも僕らが最後の客になる時間に行っていたので)食後に(僕らと同じ都会からのIターン組の)シェフ夫妻と4人でおしゃべるするようになった。とうにかくもう僕らにとって最高のお店だ。
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 ただ、今そのお店を「最高のお店だ」とはもう書けない。大震災があった今となっては「最高のお店だった」

 その時(大地震)旦那さんはお店の倒れそうになるものを手で押さえていた。隣の家の人が「避難しろ!」と叫んで走っていったので中学校へ避難したのだそうだ。避難した後すぐ校庭に津波が来たそうだ。その時、奥さんは仙台泉駅につくったスイーツに特化したお店に向かうところだった。急いでお店に戻る中、携帯に入った「学校にいる」のメールで避難所へ。ふたつめの避難所で無事出会えたおふたりはそれからの2日間を水も食料も無く、夜は毛布もなく冷たい学校の床で過ごした後、自衛隊のヘリで救出されたという。

 今、仙台近くの息子さんのマンションに避難していると言うので車を走らせると道路まで降りてきてくれていたふたりの姿を見つけ思わず握手する僕、ハグするカミさん。旦那さんは「もしあの時カミさんもお店にいたら積めるものだけでも車に乗せようとして海に持って行かれていたはずだ」心ある友人に現地に連れて行ってもらったがお店も自宅も跡形もなかった。現状は0ではなくて高級材料の買い付けなどで支払ったお金もあり大きなマイナスの地点にいる。持って来られたのは「命」だけ。全て失った、と。
 でも生きていてくれて良かった、と僕は思った。「どんな形になるかわからないけどまたやるから。冷凍して真空パックにして送ってあげる事だってできるんだから」「もしどこか別の所に行ったとしても住所を教えるから。もうお客さんと言うより友だちなんだから」こんな状況にもかかわらず、いつもの食後のおしゃべりのようにまた、ふたりから元気をもらってしまった。ただいつものお店ではなく僕の軽の1BOXの石彫りおんぼろ号の車にぎゅうぎゅう詰めになりながらだったのが本当に残念。(小春の毛だらけにしてしまってごめんなさい)

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 焼き菓子を買って帰ったときの箱。お店の電飾や飾ってあった絵、スイーツの入れ物にまで繊細なデザインのこだわりをもっていた。

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 焼き菓子の箱に付いていたリボンは今小春の首輪につけてます。

 最高のお店だった SANTA FE のメモリアルショットを少しだけ貼っておく(涙)




 何度も遠出は出来ないので仙台までもう少し足を伸ばして、大地震当日カミさんがレッスンを受けていた先生のお宅へ。ガスは止まったまま、水はやっとさっき来たばかりだという。お米など置いて帰る。

 お世話になっているお友達の造園家のお宅へ。やっと昨日、水がきたそうだ。ただ台に乗った庭いっぱいの盆栽が全て無事という奇跡。今回の地震で壊れた唯一のモノは買っていただいた僕の石のらせんの一輪挿し。倒れて折れてしまったのだそうだ。。。

2011年3月28日

スパムメール

 3月11日に発生した大地震に巻き込まれた僕はずっと携帯が(おそらく停電のために)圏外表示になり僕からも親からも友人知人からも安否の確認ができなかった。何とか連絡をとろうとしていたため節約していたけど携帯の電池が残り少なくなっていた。7日目に停電が復旧して圏外表示がやっとアンテナ3本に変わったのでメールの受信をした。心配していただいた多くの方からのメールと共に60通以上のスパム(迷惑メール)が混ざっていた。普段からスパムメールは拒否リストに振り分けしていたにもかかわらずだ。僕は被害の無かった自宅だったからまだいいとして建物に閉じ込められたり水の迫る地域で最後のたったひとつの外界との接点となった被災者の携帯にも同様にスパムが送らつけられただろう。悪意のある業者が人道的見地で被災者にだけは送らないように努力するなど考えられない。被災者のかろうじて電波が届き少ない電源で連絡を試みている携帯であろうとお構いなしにスパムを送りつけ確実に電力を奪っていっただろう。それにより被災者の命を削ったかもしれない。地震が起きる以前に組んだプログラムで一斉送信するようになっているから仕方が無い、と言う事はありえない。僕の所に来たスパムの中のひとつはこれだ。
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 「地震大丈夫だった!?怖かったよぉ」地震の後にそれをネタにつくられている。なんという悪意。そして今も被災者に対してこんなスパムが送り続けられているはずだ。
 電話会社はスパムであろうとメールを受信さえしてもらえばどんどん受信料を徴収できるから根本的な対策をとることは期待できないんだろうけど、もう少し効果的な対策がとれないものだろうか。GmailやMacOSXのmailが素晴らしくスパムを振り分けてくれるように。ただでさえ一番必要な時に繋がらないのをみんなぐっと我慢しているんだから。

2011年3月29日

CAPSAの報告書

 ESCAP(国連アジア極東経済委員会)の補助機関として、"CAPSA"という持続可能な農業を通じた貧困の軽減のためのセンターがあるそうです。(僕もこの間知った)そのスタッフだというYeyeという方から"about.me"経由でメールがあった。"about.me"は自分のプレゼンテーションサイトとでもいえば良いでしょうか。簡単に言えば自己紹介サイトですね。(登録無料なので興味のある方はこちらからどうぞ
 2月の9日に来たメールの内容は活動報告書の表紙に僕がFlickrにアップしていた写真を使いたいという。時々、いろんな国からこんなメールをもらう。いつも"CreativeCommons"のライセンスを守るならどうぞと答えている。(僕の態度は非営利で写真の改変をせずクレジットを表示するなら僕に連絡しなくても使って良いよ、というもの)
frog中には(非営利の活動ではないから)ギャラを払うからポスターに使わせて欲しいとか、このカエルの写真を教育書に使いたいとかいうこともあってやりとりをして途中経過まで見せられても結局支払われなかった、と言う事も良くある話で(苦笑)。今回はライセンスを守っているから僕に知らせる必要もないのだけど途中経過もメールしてきてくれて今日、配布も開始しましたとのていねいなメール。加えて、日本の方々に幸運を、特に地震と津波の被害にあった方々に。そして出来るだけ早く普通の状態に戻りますように。との添え書きがあった。
ありがとう、Yeye。Thank you Yeye!

出来た冊子(pdf)の表紙。
CAPSAワーキングペーパー105号
アジア太平洋地域におけるエルニーニョの元での食料安全予測
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4ページ目にはちゃんとクレジットを入れてくれている。珍しい・笑
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11032903.jpgサイトはこちら。今はトップページの右下にpdfへの直リンク。こちらに出版物のまとめページ

2011年3月30日

自然を汚すな

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 地震とその後にやってきた津波の被害は甚大だ。阪神淡路大震災の時は家屋と共に残った思い出も少なからずあっただろう。だけど今回、津波に襲われた地域は本当にもう何もかも、根こそぎ、全てを持って行かれた。僕も周りの人たちから「本当に持って来られたのは命だけです」という言葉を何度か聞いた。心が痛い。それでも人々は前を向き始めている。そしてきっと前より少しだけたくましくなって、また笑う日が来るだろう、と信じていた。
 そんな気持ちをあざ笑うかのように、あの日以来、僕らは毎日少しづつボディーにパンチを打たれ続けている。福島原子力発電所の事故というパンチに。事故だけでなくそれを取り巻く人たちの考えや言葉にやられている。
 大スポンサーである電力会社に気を遣うテレビ局からは今日も専門家が「特に健康に問題を及ぼす事はありません」と繰り返している。Spitzのマサムネならずとも発狂しそうだ。怒りは当然、「原発?なんとなくいやだなぁ」で済ませてきた自分にも向けられている。
 「専門家」によって絶対に安全だからと全国に作られ今も計画が進められている原子力発電所。「想定外」の地震と津波で電力が仕事の会社の「電力設備」が真っ先に壊れるという悪魔の笑い話で冷却が出来ず今も深刻な自体に陥ったまま。(ただし「専門家」にとって今回の事態は想定外でも何でもなく予想通りだったから驚く事もなく淡々とテレビで解説しているという指摘もある)僕は「専門家」というのは素人には考える事が難しい「想定外」の事を考えられるから「専門家」なのだと思っていたがどうやらそうではなかったようだ。だけど想定外の事が起こったときに「想定外でした」と言っていいなら僕にも専門家がつとまる。さらには「想定外」度をアップしてこれでは仕方がなかった、ということにしたいのかマグニチュードさえM8.4からM9に引き上げられた。「想定外」の事に思いを巡らす「専門家」がいなかった悲劇、天災なら怒りを持っていく先はないから最後はあきらめて再び立ち上がるしかない。だけどこれは人災だ。だから怒りを押さえるのが難しいし、きちんと対処すればこんなにひどくなる事はなかったという思いに負けてうなだれ発狂しそうになる。車の中でひとりの時に汚い言葉で叫んでいる自分に驚いたりする。悲しくなる。汚い言葉を口にすると幸せは逃げていく。こんな時こそ言葉を大切に使わなくてはいけないのに。

国と東京電力は、郡山市民、福島県民の命を第一とし、原発「廃炉」を前提に対応しているものと考えておりましたが、国・東京電力は、今後の産業・経済を優先し、「廃炉」を前提としたアメリカ合衆国からの支援を断ったことは言語道断であります。
(原 正夫 郡山市長の原発事故に対する記者会見 より)
 地震でも奇跡的に何も失わないで済んだ、と思っていた僕は馬鹿だった。すでにたくさんのものを失っていた。そしてこれからも失うだろう。これからこの土地で作られる農産物をお前は口にするのかしないのかという踏み絵を踏まされる日が待っているかもしれない。そんなのはまだいい方なのかもしれない。原発が爆発して放射性物質だらけになってもこの土地で生きていけるのだろうか(ここで生きていきたい)。Flickrなどで知り合って交流していた海外の友人達からは地震の後、多くの励ましをもらった。そしてそれは今、すぐに避難すべきだという助言に変わっている。僕の住んでいる宮城県角田市は福島原子力発電所から約65kmくらい。日本政府の発表によれば「安全」だという。一方、友人からは「専門家は原発から100km圏以内の人間はすぐに退避しろと伝えています。tamaki、恥じる事はない、すぐに避難して」というメールが今またカリフォルニアから届いた。戦争に突入するときのかつての日本の国は嘘で固めた大本営発表を繰り返し、新聞ラジオといったメディアも追随しそれに反論する人間を非国民として弾圧していた。今、僕は何を信じたらいいのだろう。
 今回の原発が無事に終息するのか最悪の結果を迎えるのかわからない。だけど原発以後の世界を生きる事になったならその時、僕らには前向きに「退化」する覚悟が必要なのではというタニシさんの言葉に深く共感している。我が家の居間の照明は家が完成した時にお世話になった方々を呼んでささやかなパーティーをしたとき以外ほとんど点灯した事が無い。たまにお客さんが来たときだけ。僕らだけの時は食卓の上だけとかスポットで照明して基本的に暗い家だ。だからと言って都会の人に薪でご飯を炊けなんて言う気は無い。いらない照明を消すだけだって前向きな「退化」なんだと思う。

 以下、大震災&原発フォルダにどんどん放り込んでおいたウェブサイトのリンクをどこからでも見られるようにリストアップしておく。願わくばこのリンクリストを避難先から見る日が来ませんように(祈)。(僕はネットサーフィンが苦手です。以下のほとんどは人づてかたまたま見かけたサイトやブログです。自分なりの評価も定まっていないサイトもあります。ここもチェックしておいた方がいいよ、というサイトを知っている友人知人からの情報は大歓迎です)

 なお平井憲夫さんのサイトについては、原子力推進派によるプロパガンダが今、激しく行われています。「捏造された記事」だと。文章をブログに転載した知り合いのところには、すぐに訂正依頼のメールが届いた。この件に関しては評論家の宮台真司氏が「(平井さんの文章は)悪いシナリオが進んでいます。僕や周辺は、既に想定していた展開ですので様々な問題は対処済みです。出来る限り多くの方が事態の展開を想定内とし得るようツイートを続けてきました。想定と言えば僕の親しい友人の親しい友人が書いた文章です。」とツイートしてくれました。僕は宮台氏の著作や発言は以前から積極的にフォローして信頼しているのでこの件も個人的には信用する事にしています。ただ敵も多い宮台氏のことだから苦々しく思っている人もいるかもしれません。
 なお、ここで平井さんのサイトを信用していることを表明している僕への原子力推進派からの反論は受け付けません。特に原子力発電所は地方に作ってもらって自分はそこから遠く離れて住んでメリットだけを享受し理想論を語っている方々のものは。ただし、福島県に家族で引っ越し、その土地で暮らし空気を吸い水を飲み野菜を食べ、その上でリスクと(二酸化炭素を排出量が少ないから温暖化対策に貢献するはず等の)メリットの両方を考えている方からの反論の場合その限りではありません。

※冒頭の写真は夏に撮った家の裏の田んぼの風景。これからはこの写真を撮った時と同じような気持ちで見る事ができなくなるのだろうか。緑にあふれた空気を胸一杯に吸い込む幸せはもう味わう事ができないのだろうか。加工する前のそのままの写真もアップしておきます。クリックで拡大します。
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無邪気に「手を止めてふと見上げた空にうろこ雲。この世は美しい」とツイートし写真を撮る事ができた、淡々とした何気ない日々を返してください。飯舘村の素晴らしいキャンプ場も。

2011年3月31日

東日本大震災&福島原発関係リンク集

 昨日のエントリーの後、知ったサイトやリストアップしていなかったサイトを追加して改めてリンク集をまとめました。昨日のリンク集も末尾に再掲載してこのエントリーから一覧できるようにしました。

以下、2011/03/30のエントリーのリンク集を再掲

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