« 2011年3月 | メイン | 2011年5月 »

2011年4月 2日

コンビーフ

110402
 我が家のグランドピアノがストッパーごと4cm強、南に動いていた事に気が付いた。どうやら我が家は南北に揺れていたようだ。だからオーブントースターも南に落ちたし天井までの高い作り付けの本棚の大量の本は東に向いていたので1冊も落ちなかったのか。(白い輪は元の位置を写真に書いたもの)

110402
 我が家には今、友人知人親戚の援助物資でいつもよりいろんな食材がある。(ありがとうございます。今日は沖縄のOさんから久米島の水を始め缶詰などをいただいた。)コンビーフは普段、全く買わないし食べない素材。ネットで調べてジャガイモと一緒に炒めておつまみに。

110402
 僕らの夕食が終わるのを待つ愛犬小春。1階への階段の前には急に避難する事になったときに持って逃げるカミさんと僕のデイパック。

110402
 夕食が終わると小春はいつもはカミさんから1日の最後のおやつ、ヨーグルトをもらえる。だけど今スーパーの乳製品の棚は空。ヨーグルトは無い。乾き物で我慢してもらう。今日、気仙沼の海を漂流する屋根の上で地震から3週間ぶりに助けられた犬がいた。小春よ、もう少しだけ我慢しておくれ。

 ところで。IAEAが飯舘村の放射性ヨウ素を調べた結果3/31には2000万ベクレルで避難レベルと言っていたのが、昨日4/1は700万ベクレルと発表。これに限らず、なんでいろんな調査の結果が数日後に実はもっと低い数値でしたと決まって下向きに訂正されるのか? それが真実だとしても連日のその発表の仕方は精神には悪い。今日も、電話で「危ないの?危なくないんでしょ?」と言われうまく会話を続けられなかった。政府の安全情報は確実に多くの人に受け入れられてる(悲)。海外の友人からはすぐにでも避難した方が良いとメールをもらっているけど、もちろんこれからもこの土地で暮らしていきたいと思っている。だけど耳に痛い聞きたくない情報を聞かなかった事にして安全だという情報だけを選び取っていっても何の救いにもならない。万が一、急に最悪の事態を迎えたときに一時的にでも避難出来るようにガソリンは満タンを心がけ車には寝袋を積みっぱなしにもしている。無事、望み通り避難命令が出るような事態を避けられ、ここで暮らしていける事になっても今、設備が壊れた状態で綱渡りを続けている福島原発が今後、廃炉になるとしても作業が完了するのは僕が死んだ後の事だろう。死ぬまでこの暗くて重い雲の下にいるような感覚の中で生きていかなくてはいけないということだ。僕も認めたくない情報から目をそむけるために砂の中に頭を突っ込んでしまいたくなるけど(昨日、今年でジャーナリストの無期限活動休止を表明した上杉隆の緊急インタビューから)これは逃れられない現実だ。その事実にやられそうになる。

2011年4月 3日

忍法でござるよ

 以前、両親もらったお土産を手に取ってみた。
11040301.jpg
 富山県氷見市の光禅寺のおまもり。忍者ハットリくんの絵が描かれているのは、このお寺が藤子不二雄氏の生家だから。
11040302.jpg
 地震とか津波とか放射性物質とかもうどうしたらいいんだぁぁ。忍法「頭がよくなるの術」をかけて欲しいでござる。

2011年4月 5日

夏みかんの皮のお菓子

 夏みかんの皮のお菓子が送られてきた。手作りのお菓子。三重県の親戚からの贈り物。
11040501.jpg
 早速、つまんで食べてみるとグラニュ糖の甘さと夏みかんの独特の苦みと香りが口の中にぱぁーっと広がった。今でも水道の凍結防止の自動サーモが働く夜がある寒い東北だけど、口の中に夏が一瞬やって来た。そして今年の夏はどんな夏になるのか、と思いをはせてちょっと切なくなった。

11040502.jpg
 震災後すぐにもパンを焼けるようにと強力粉やドライイーストを送っていただいた。ありがとうございます。今回は友人知人はもちろん親戚の方々みなさんにもいろいろとお世話になりました。改めてブログでもお礼を。ありがとうございました。

2011年4月 6日

守山駐屯地

 仙台へ向かう国道で多くの自衛隊の車に行き交う。今日であった多くの自衛隊の車はみんな「愛知県名古屋市守山駐屯地」という旗を掲げていた。東日本大震災の復興支援で駆けつけてくれたのだろう。近くに陸上自衛隊船岡駐屯地があるのでそこを拠点にして。
110406
 愛知県は母親の故郷。僕を生むために母が故郷に戻っていたので僕も生まれたのは愛知県だ。記憶にはないけど小さい頃、守山駐屯地の近くに住んだ事もあると母に聞いた。仕事というのは簡単。だけど仕事を超えた気持ちで地獄のような現場で仕事をしている姿にニュースなどで接している。すれ違うときに思わず(ありがとうございますと)頭を下げる。向こうからは見えていないだろうけど。

ヴィトリーヌ

 画家のウエノイチローさんからメールをもらった。本来なら3月末にグループ展でご一緒するはずだったんだ。大震災さえなければ。メールの内容は"小さいけど気に入ってる仙台のカフェに今日から絵を飾ってるから良かったらお立ち寄りください"というものだった。地震以来、というより原発の対応に政府も東電も後手後手に回って状況が日々悪化する毎日を過ごしていたのでイチローさんの元気をもらいに行こうと出かけた。

 テレビでは安全安全というけどネットでいろいろ調べた計算方式で放射性物質の実測値を計算すると、全然安全な状況では無い(というより問題がある)ので外気導入をしないで窓も閉め切って車を走らせていたら、暑い。春の様な陽気だ。窓を開けるのは抵抗があったのでクーラーを入れてしまった。(ごめんなさい)

 1時間くらいで仙台へ。仙台はすでに震災前と同じ風情。不慣れな仙台で知らなければ自分から足を踏み入れる事は無いと思われる、僕と同じくらいの年齢の古いビルの細い階段を4階まで昇った。ちょっと不安な気持ちでドアを開けて入ったカフェは足を踏み入れてすぐ「あ。俺、この空間、好き」と感じた。
110406

 ガラスの壁から光が燦々と差し込み、白い壁のマチエールもむき出しな感じの構造。横長のガラスから通りを見れば銀杏並木の梢が見える。そこにいつもと同じウエノイチローさんがいた。"普通でない日々"に"いつもと同じ"というのはなんて力をもらえるんだろう、と思った。そして素敵なお店と素敵なママ。あ、この店に来て良かった、と思った。ここは「ヴィトリーヌ・ドゥ-オオマチ

110406
 白い壁にかけられたイチローさんの「富士山」キュービックなキャンバスに描かれた絵はその勢いが一面では抑えきれなくなって横の面にも広がり5面から構成される絵になっていた。それがポップな感じを強めカラフルな配色と相まって今までの富士山とはちょっと違う感じになっていた。ヴィトリーヌの白い壁にも合っていた。ママが何度も言っていた。「今こんな時にこそ元気が出るイチローさんのこの絵が持っている力がいい」
 僕もそう思った。写真に映り込んでいるたくさんの着物は被災して避難している方に配ろうと皆が持ち寄ったもの。たくさんのお皿や食器が割れたお店ですでに支援を始めているのだ。

 なんか資料持っていないの?とイチローさんに言われ車に積んでいた「らせんの一輪挿し」と値段入りのパンフレットを車に取りに行く。と、さっきバラをもらったのよ、とママが早速挿してバタフライテーブルに乗せてくれた。奥にはイチローさんの富士山も。
110406
 震災以来、なんか暗く静かに暮らしていた。それは変わらないけどイチローさんやママと話した数時間で小さく固くなっていた心が少しやわらかくなった。気持ちの良い空間で気持ちの良い人と会話をするというのがこんなに幸せな事なんだな、と思いながら行きと同じく窓を締め切って自宅を目指した。帰りはもうクーラーを入れる必要は無かった。

 ちなみに店名の「ヴィトリーヌ」はフランス語でショーウィンドウとか飾り窓といった意味なのだそうだ。ママはショーウィンドウのディスプレイの仕事もされている方だった。
110406

2011年4月 7日

カミさんのコンサート

11040701.jpg
 カミさんも企画運営に参加している地元のコンサートがある。健康福祉センター(ウェルパーク)で月に一度お昼休みにコミュニティモールで歌やオカリナやハープやいろんなコンサートをするというもの。今年は4月にカミさんが歌を歌う事になっていた。
 だけど3月11日に東日本大震災があった。会場には大地震で避難している方もいる。カミさんはやめた方がいいか、延期すべきかずいぶん悩んでいた。歌なんて歌っている場合かっていうのは当然考えたようだ。この方のような思いも僕は理解できるし僕だって原発の問題では(東北の住人でない)みんなはそうは言っても被曝の心配もないし半分人ごとだと思ってるでしょと思ってしまう時もあるし。そもそも、カミさんもピアノの方も落ち着いて練習を出来る状態じゃ無かった。
 いろいろ考えてカミさんは結局「決行」することにした。
 今日の曲目。

  1. 青い眼のお人形
  2. 電子ピアノ独奏 ありがとう
  3. うぐいす
  4. みんなで歌いましょう
      ふるさと
      めだかの学校
  5. カッチーニのアベマリア
  6. 電子ピアノ独奏 幻想曲 さくらさくら
  7. 小さな空

 椅子に座って聞いている方の数はいつもよりは少なかった。(それどころじゃない)会場は避難場所になっているので避難している方もいるし被災者への支援のため、タオルや着物を袋に詰めて持参される方もいていつもより雑然としていたけど、こんな状況だ、雑音も生きるための音。あるのが当然。静かにしろなんて(普段は思うけど)全然思わなかった。そこに混ぜてもらう事が大事だと感じながら聞いていた。支援物資を持ってきた方が思わず足を止めて聞いていたり、ボランティアの方がお昼休みだからとエプロンしたまま聞いてくれているのに感謝した。

 6曲目の歌を歌う前にカミさんが少しお話。
「お祈りの、聖母マリアに祈る曲なんですが私は、18年前に東京から角田に来たのですが今まで5回引っ越しをしたんですね。それで一番長く暮らしているところが角田になりましたが大切な場所である角田、そして東北が1日も早く穏やかな平和な日常が戻ってくる事をお祈りして歌いたいと思います」と言って歌い始めたカッチーニのアヴェ・マリアを聞いていて泣きそうになった。そんな自分に動揺した。そんな事は初めての事だったから。そして8曲目の「小さな空」を聞いて涙がこみ上げてきた。(わざわざ来てくれたお友達も「小さな空」が良かったぁと言ってくれた)
 結婚してからいろんな場面で歌うカミさんを見てきて、その中でも今日はとても良かった。もっと立派な会場やいろいろなところでいろいろな場面で歌うところを見てきたけど今日の雑然とした会場でのカミさんの歌声で僕は、いや僕がとても勇気づけられていた。身内のカミさんをほめるだけでオチのないエントリーでごめんなさい。だけど僕はカミさん(とピアノ演奏の方のふたり)が今日のコンサートを決行してくれて良かった。えらいなぁと思った。
 いずれにせよ今のような状況の時、音楽の力は強い。感情に直接訴える力があるのだろう。抽象彫刻とは違う。音楽は消えてしまうけど強い。

 コンサートの後、カミさんに「今まで聞いた中でも今日の歌はとても良かったよ」と言うと「何故か落ち着いてできた。震災の日までレッスンをしたいただいた先生のおかげもきっとある。」とカミさん。いろんな事があっても学生時代からずっとやり続けてきたことこそが一番大切な事だったのかもしれない。ご苦労様でした、カミさん。

 "カッチーニのアヴェ・マリア"に興味を持った方のために動画を貼っておきます。あ、これ僕のカミさんではありませんのでお間違いなく(笑)Katherine Jenkins という方です。でもカミさんの歌はいつものように僕がXactiで撮影してDVDに編集しておいたので、カミさんの友だちなあなたは見たければ我が家に遊びに来てカミさんにリクエストしてください。全曲撮ってあります。

 それから「小さな空」が収録されているアルバムはこれ。この「翼 武満徹ポップ・ソングス」というアルバムは相当聞き込んだ。生涯10枚のアルバムを選べ(というのは絶対無理だけど、どうしても選べ)と言われたら入る可能性大なアルバム。全曲、武満徹の作曲、石川セリの歌。そして歌詞の多くも武満徹が手がけている。間違いなく天才だ。小さな空も作詞作曲を手がけている。(リンク先でほんの少し試聴できます)

2011年4月 8日

メッセージ

11040801.jpg
 カミさんのお友達から食料などが届けられた。そこに手編みの部屋履きも入っていた。温かい心で足を温かくしてくれるうさぎの耳のついた部屋履き。

 僕の親父方のいとこ一同から普段、見た事も無いようなお肉やお見舞い金が届けられた。なんか本当に申し訳ない気持ち。西日本に住んでいる人が多いのでもう何年も会っていない人がほとんど。子供の頃は正月や夏休みにおばあちゃんの家に集まってザリガニをとったりゲームをして遊んだものだけど。
11040802.jpg
 そのいとこ全員からのメッセージ。ありがとう。泣きました。またみんなに会いたい。

ずっとウソだった原発の安全神話


 惚れ直した、斉藤和義。

この国を歩けば原発が54基
教科書もCMも言ってたよ安全です

俺たちを騙して言い訳は「想定外」
懐かしいあの空くすぐったい黒い雨

ずっとウソだったんだぜ やっぱバレてしまったな
ほんとウソだったんだぜ 原子力は安全です
ずっと嘘だったんだぜ ほうれん草食いてぇなあ
ほんと嘘だったんだぜ 気づいてたろうこの事態
風に舞う放射能はもう止められない
何人が被曝すれば気がついてくれるのこの国の政府

この街を離れてうまい水見つけたかい?
教えてよやっぱいいやもうどこも逃げ場はない

ずっとクソだったんだぜ 東電も北電も中電も九電ももう夢ばかり見てないけど
ずっとクソだったんだぜ それでも続ける気だ
ほんとクソだったんだぜ 何かがしたいこの気持ち

ずっと嘘だったんだぜ ほんとクソだったんだ

2011年4月 9日

また断水

 愛犬小春との昼の散歩。僕は(友だちは知ってるけど)よっぽど大雨じゃないと傘をささない。めんどくさいからだけなんだけど。小春との昼の散歩も小雨なら防水のコンパクトデジカメだけもっていつも濡れねずみだった。だけどさすがに放射性物質の雨に濡れ放題にはならないよ。安全だと言ってる国を信用してないから。
110409
 田んぼのあぜ道のあちこちにある亀裂は日を追うごとに深くなっている。きっと余震のせいだ。

110409
 おとといも夜の11時30分を過ぎた頃に大きな余震。東日本大震災が無ければ名前が付いたと思う余震と言うにはあまりにも大きな地震。宮城県は震度6強の揺れに襲われた。(僕の住んでいる角田市は震度5弱)すぐに停電。断水。もう強い地震に慣れてしまっているので淡々と電池のランタンのスイッチを入れバックアップ電源の電源の元、作業中だったコンピューターの仕事を「保存」してMacを落とした。
 元々は東北電力のせいでMacが壊され導入したバックアップ電源はその後、もう何回実力を発揮してくれただろう。充分元をとりました
110409
 東日本大震災から我が家はまだ警戒を解除していないので落ちそうなものは全て床に置いてあるし明かりの準備も万端。ガソリンと電池のランタンでその夜を過ごた。翌日の昼過ぎに電気は復旧したけどまた水道は断水です。余震や停電は覚悟していたけど先の見えない再度の断水は考えていなかったなぁ。

110409
 今回は復旧のめどがたっておりませんという広報が回覧板で届いた。復旧のめどがたたないのはとても残念。(だって消耗するんだよ、本当に)だけど何とかやっていくしかない。それよりすぐにお知らせとして各戸に配布して正しい情報を流してくれている役所の方々に感謝します。

それにしても。
停電飽きた。断水飽きた。地震飽きました。

2011年4月10日

東日本大震災&福島原発関係リンク集その2

 3/30、3/31にエントリーした東日本大震災&福島原発関係リンク集にまた少し気になったページを追加しておきます。出先でも見られるようにと思って個人的にエントリーしたけど便利に使わせてもらっているという話を聞いたので。
東日本大震災&福島原発関係リンク集(その1)

東日本大震災&福島原発関係リンク集(その1)はこちら

 おととい貼ったものの別バージョンを。♪斉藤和義 ずっと好きだった〜ずっとウソだった♪

 こーゆーの見ちゃうと「君はひとりじゃない。僕らがいつもそばにいる。」とか言ってる人たちの言葉に何の意味も感じられなくなる。(そばにいないじゃん)かっこいい言葉をきれいなライトの中でつぶやいて帰れば温かな家と食事が待ってるんでしょ?失ったものは無いし失うものも無いでしょ?ボランティアでやってるんじゃないだろうし(相当ヤられてるな、俺。ひどい言い方だ)それにひきかえ何かを失うであろう覚悟で歌われたこの音楽。同じように何かを失った人にも届いて欲しいと願う。斉藤和義さんの失うものが少なくて済む事も心から願う。

 「一緒にがんばろう」とか言ってる人を偽善者と言いたい訳じゃない。原発が安全だという話を信用したのも、原発を着々と進めてきた自民党の政治を許したのも、地震、津波、原発の問題が起こったときに問題を悪化させるようにしか対処できない民主党の政治を許したのも俺だ。原発の本当の情報が知らされなかったとか、その政党に投票していないとか言い訳は出来ない。現に今こうなんだから。こんなにひどい事になっているんだから。ひどい事に巻き込まれているんだから。自分に責任がある。くそう。被災者に服を贈るだけじゃなくてやらなきゃいけない事がある。

2011年4月13日

ゴミの分別

 4月から僕の住むエリアのゴミの分別方法が大きく変わった。燃えないゴミだったものが燃えるゴミになったり劇的に区分けが変わったのに加えものすごく細分化された。プラスチックも豆腐の容器などのような「容器包装プラスチック」と「その他のプラスチック」に。例えばペットボトルの飲料を飲み終わったらキャップとラベルをはがして「容器包装プラスチック」に。ペットボトルは洗ってそれだけをひとつの袋にまとめる。ビンは良く洗って乾かしてから色別(透明・茶・その他)で3つに分ける(これは以前から)。

 我が家を作ったときに冷蔵庫の脇にピッタリはまる分別ゴミ用の身長より高い木の箱を作った。ゴミ袋のLサイズが斜めになった棚にちょうどはまるようにして、それはそれは楽に分別できる自画自賛のものだったんだけど今回の分別で台所だけでは分別しきれなくなった。仕方が無いので3種類の空きビン置き場だけ台所から納戸へ追いやった。
11041301.jpg 自作ゴミ棚では「大きな紙」「小さな紙」「容器包装プラスチック」「その他のプラスチック」「ペットボトル」を分別。一番下にちょうどはまるプラスチックのゴミ箱に「缶」。別に台所に作った自作の棚の一番下には以前から「燃やせるゴミ」「燃やせないゴミ」を分別できるようにしてある。後は納戸にで3色の「ビン」その他に新聞、衣類、粗大ゴミ。こうやって書きだしてみるとなかなか大変。そして今日、新しい方法で分別した。実は先月大震災でワイングラスが割れ「燃やせないゴミ」の袋に入れてあったのだけどそこにはペットボトルのフタもたくさん入っていた。今月からフタは「容器包装プラ」他にも区分が変わったゴミがあって割れたガラスに気をつけながら分別し直し。半日かかってしまった。ヘトヘト。

 以前、川崎市で数年だけ暮らしたとき、ゴミの分別をしなくて良くて驚いた。生ゴミと割れたガラスを一緒に捨てて良かったのだ。でもゴミを分別しないですてるというのはどうにも気持ち悪くて個人的に分別はしていた。近所の人に聞いた話ではゴミの分別をしようという人は選挙で落ちるのだと言っていた。だからみんな何となく分別しなきゃと思っているのに楽な方が良くて結局そのままになっていると。(今もそのままかどうかは知りません)

 今回の大変になった分別も処理が追いつかず分別したのが混ざられるものもあるというような噂も聞くけど分別自体は(面倒くさいしヤだけど)続けるべきだと思う。みんなが徹底した分別を続けていれば処理の仕方もさらに改善されるだろうし。
 そういえば40年前の東京でもラッパの音が聞こえてくると母親に豆腐買ってきてと鍋を渡されたものだった。包装紙やプラ容器を全く使わない買い物。昔が良かったという単純な話じゃないけど震災、節電を期に昔のように出来る事は少し面倒でも引き受けようと思ってる。

 だから分別の無い僕だけどゴミの分別は積極的にやりますよ。

2011年4月14日

東日本大震災&福島原発関係リンク集その3

 家の近くの桜も少しずつ咲き始めた。春だ。東北の春は寒い冬を越えて迎えるから雑草の小さな花が咲くのを見るだけでも幸せを感じるものだ。そんな小春日和に愛犬小春と散歩に出かけると気をつけないとすぐ100枚、200枚と写真を撮ってしまうものだけど気が付けばずっと全然写真を撮っていない。毎日、空気を吸ったり食べたりするように写真を撮っていたのに。原発事故のせいだ。外出するとき完全防備だから、というのではなくてそういう「気持ち」がおこらない。桜の小さな花を見ても。ヤられてるな。
 また、気になった原発関連のリンクをリストアップしておきます。

東日本大震災&福島原発関係リンク集(その1)
東日本大震災&福島原発関係リンク集(その2)

 原発だからって、放射線が出てるからってじたばたするのはかっこ悪いと思っていた。なんだかんだ言ったって、生きてるなら生きてくしかないんだから、と。だから最初は放射線のことも見てみないふりしていた。だけどじたばたしない、ということは現状を認めるということ。安全神話を信じ地震の多発する日本に、しかも津波の危険のある海岸にたくさんの原子力発電所の建設することを肯定することになる(選挙で投票しないで政治に文句を言ってるだけみたいに)。見てみないふりをしたら将来、また同じような災禍が起きたら同じように文句を言うだけになってしまう。ただの繰り返し。それでも死とか甚大な被害じゃなくて繰り返せるならいいけど。僕は文句を言いたい訳ではない。放射線に怯える毎日が嫌なんだ。身に染みて本当に嫌だ。こんな思いをしなくてすむなら文句なんて言わない。だから、じたばたはすることにした。この間もジャーナリストが各地を取材している時に、ガイガーカウンターが振れているのに何の対策もしていない女の子達がファミリーレストランで普通に食事していて驚いたと書いていた。見てみないふりしてるんだなぁ。日本人は我慢強いと今回の災害で驚嘆されているけどこーゆーところにその力を発揮するのはまずいのでは。(僕は今、車には最悪の場合を考えていつも携行缶にガソリンと水とマットと寝袋を積んでます。そしてこれだけ持っていくというデイパックを僕とカミさんのふたつを階段においてある。じたばたしてます)

 最後にこのリンクは是非読んでもらいたい。

戦争責任者の問題(伊丹万作)

 ひとつ前の(2011/04/10)エントリー

原発が安全だという話を信用したのも、原発を着々と進めてきた自民党の政治を許したのも、地震、津波、原発の問題が起こったときに問題を悪化させるようにしか対処できない民主党の政治を許したのも俺だ。原発の本当の情報が知らされなかったとか、その政党に投票していないとか言い訳は出来ない。現に今こうなんだから。こんなにひどい事になっているんだから。ひどい事に巻き込まれているんだから。自分に責任がある。くそう。被災者に服を贈るだけじゃなくてやらなきゃいけない事がある。
と書いた。気をつけないと意識と思想をちゃんともたないと人のせいどころか加害者にすらなってしまうかもしれない。ちなみに伊丹万作の文章は先日僕もエントリーした斉藤和義の♪ずっとウソだった、に対して"「騙された」とか歌って喜んでる斉藤和義と信者はこれ読めよマジで"と紹介されたりしているけど、斉藤和義は騙されたと人のせいにしている訳ではないだろうし、やっぱりリスクを負ってでもやらないではいられなかった「行動」を個人的には評価する。何をやったって安全圏から非難する人はいるんだから。

東日本大震災&福島原発関係リンク集(その1)
東日本大震災&福島原発関係リンク集(その2)

2011年4月16日

お花見 2011

110416
 放射線をよけながらの暗い気分の日々。数年前に誘って毎年の恒例になった隣町の友だちとのお花見。今年も行こうよ、と電話で誘ってもらった。嬉しかった。友だちは僕らとほとんど同じ時期に関東から宮城へ来て百姓をしている。宮城で知り合って友だちになった。

[2007] [2008] [2009] [2010]

110416
 去年はどうしてもタイミングが合わなかったので一緒の花見は2年ぶり。おととしは友だちの(今は亡き)愛犬「大豆」も元気だった。大豆がいないだけじゃなくて今年は憎き「放射性物質」を身体に付けないようにいつも座ってお昼を食べていた池のほとりのコンクリートのテーブルと椅子にも座らず、全員マスクで桜を見ながら散策するだけ。

110416
 桜は相変わらず美しいのに。3.11の前と後では全てのものが違って見える。自分の作品さえも。同じものはもう作れないな。意味が変わってしまっている。

110416
 今年は初めて愛犬小春も家においてきた。犬をおいてきた夫婦と亡くした夫婦の前に、お年を召したご婦人に連れられて犬が散歩で来ていた。見ず知らずの犬とスキンシップ。とてもおとなしいエンゼルちゃん。聞けば我が家の小春と同じ13才。高齢だ。

110416
 百姓だけでなく農家民泊もやっているその宿「里の家」の縁側で(放射性物質を除けて)お昼を食べようと言ってもらっていた。床の間を見ると「里の家」オープンの記念に贈った石の彫刻作品を大切に飾っていただいていた・嬉
 曇り空ながら温かい日だったが公園を出て車で友だちの家に向かった途端、雨が降り始め警報の通りの暴風が吹き始めた。

110416
 気のおけない友だちと窓を閉め切った縁側でご飯を食べながら久しぶりに笑った。ただ1ヶ月前には知るよしもなかった「マイクロシーベルト」とか「放射性ヨウ素」とか「ベクレル」なんていう言葉が普通に出てくる現実が悲しい。宮城県は当初、放射線値を測りもせずもちろん公表もしないという愚挙に出た。愚かな県民に事実を知らせればパニックになる。情報は自分たちが知ってコントロールすれば良い、という姿勢に見えた。(浅野前知事がもう少しのところまで迫った警察の裏金問題の対処も同様)
 食後には野点は出来なかったけど抹茶セットを持参して今年も一緒に抹茶を点てていただいた。
 友人は自分たちが百姓だからその値によっては自分たちにマイナスになるにもかかわらず、早くから県や町に水や土の汚染レベルを測定するよう働きかけていた。日本だけでなく自分の畑を海外の団体にも測定してもらっている。人体実験ではないけれど実際に放射性物質を体外や体内に浴びた人間とその放射線量、被曝後の経過という具体例はチェルノブイリ以外では、ほとんど無いため海外の諸団体が今、日本で具体的な活動をすすめているという。ましてや我慢強く勤勉な日本人だ。経年変化の実証データをとるには最適な国だろう。もしかしたら僕を含めた東北の人間は、後に続く人たちのための人生をかけた試験をしているとも言える。せめて役に立ってとしか今は言えないけど。
 チェルノブイリの事故の後にもそこにとどまっている老夫婦を訪ねた辺見庸氏のNHKのテレビドキュメンタリーを思い出した。(もの食う人びと (角川文庫))その時僕は、放射性物質を浴びたジャガイモとタマネギを食べながらも何故そこにとどまる?と思っていた。馬鹿げているとも。振り返ってどうだ。僕とカミさんは東京から宮城に越してきた。すぐまた東京に逃げ帰ればいいじゃん。そう言われている・悲。だけどそうは思えない。都会からの他所者を受け入れてくれた人たちに事情が変わったので出て行きます、なんて簡単に言えない。ましてその土地で生きてきたお百姓さんたちにとって、土地を離れて生きる、という選択肢は無いだろうし考える事すら無理だ。だからこそ、何の因果か大地から高い放射線量が検出され避難を強いられることになった飯舘村の農家を思うと心が痛む。飯舘村は僕らのキャンプのベース基地でもあったのでその土地の自然や人々の豊かさに触れる機会が多かった。村長夫妻ともたまたまキャンプ場の管理等でゆっくり話をする機会があったけど、その時お話をした事や贈られた著作などから先駆的な考えや実践をしている村長さんと言う事を知った。今回もかなり早い段階で(野菜を作れないなら)ひまわりの植え付けによってバイオマス燃料を作り土地を改善していくという案を出すなど、素晴らしいリーダーシップを発揮されている事を尊敬してもいた。日本の多くの人がたまたま放射線値が高かった土地として初めて飯舘村を知ったとしたらとても残念。とても悔しい。そこには素晴らしい自然と素晴らしい人たちと先進的な考えが有る事をどうしても書いておきたい。せめて飯舘村で撮った写真をここに貼っておく。




 友人の老猫。小麦粉の様に白い「こむぎ」。
110416

110416
 笑う事ができて良かった。少しからだが柔らかくなった。来年がどうなっているのか全く想像する事は出来ないけれど、来年も一緒に桜を見る事ができますように。

2011年4月17日

部落の共同作業

 部落総出の共同作業。8時から昼前まで。田んぼの脇の水路を確保。
11041701.jpg

原発勉強会

11041701.gif 福島の原子力発電所の事故。今回爆発事故を起こした原発は福島にあるので福島だけの問題のように扱われているしニュースとして扱われる場合も福島のことまで。新聞に放射線量の各地点の測定値の図が載るときも地図はきれいに福島県で切られてすぐそばの僕の住んでいるエリアの情報は見られない。(放射線測定値が高く全村避難になった飯舘村はよくキャンプに行っていた。山越えの道で60分で着く距離)
 大震災の時陸の孤島になったけど今、原発関係の情報の孤島になっている。メディアからも情報が無く、市や県からも必要な情報が提供されない。だけど地理的に見て単純に福島県境で行政区分のように問題が止まる訳ではない。僕の住んでいる角田市は丸森町などと共に宮城県の中でも南端に近い位置にある。影響はあるはずなのに判断するためのデータがない。福島県は細かくデータを取り公表もし始めているが僕らの地域は有志が各方面に電話で問い合わせ続けるまで県や市からは全くデータが出てこなかった。
 そのせいか周囲の人は以前と同じように生活しているように見える。気をつけないと外出時にはマスクをしたり外から家に入るときに帽子や上着を払ってから入る、また車の空調を外気導入をやめ車内循環にしている僕らが「異常者」になってしまうかもしれない。でも国や県、またその指示を待っているだけで積極的に動く事を拒否しているように見える市の動きに危機感を感じている人たちがそれぞれの思いを抱えて今日、集まった。
 市外からの方も含めいろんな職種の方が14人。単純に原発反対で集まったのではない。今日、集まったばかりでまだ名前もないけれど勉強会を開くなど活動を続けていく事にした。そして緊急的にまず子どもたちへの放射線の影響を少なくするよう要望しようという事になった。少なくともこれからの1年間の小学校の活動に対して。
 子ども達は大人より地面に近いところで生きている。放射性物質はもちろん地表に多い。体育はどうする?のどが渇いたときに飲む水道水はどうする?インフルエンザが大流行したときはマスクの着用が推奨され飲み水は各自家から水筒に入れていったのに、なんでインフルエンザとは比べものにならない影響のある放射線の中、何の対策もとられないまま新学期が始まるの?マスクして飲み水持って行ってもいいじゃない。なぜ推奨しない?
(年間被曝量の基準値が長い時間をかけて1ミリシーベルトに決められたのに事故後あっさりと20ミリシーベルトになったので個人的には1ミリを基準としているけど、角田市の放射線値の積算量を個人的に計算すると通常に浴びる放射線量だけで年間の予想値は2ミリを超える。呼吸と食料摂取によるによる体内被曝の数値を計算から外してすでに)

 チェルノブイリの原発事故でも小児の甲状腺にヨウ素-131が蓄積して癌化する例が見られるなど子ども達に影響があった事が報告されている。大人の責任として今、子ども達に出来ることをやる。かつて世界で誰も経験をした事がない事態を向かえている真っ最中で「確実な安全策」など誰もわからない(僕が知らないだけなら教えてください)。
 だから少々やり過ぎでも子ども達のためには対策をしておいて、後々何も問題が起こらなかったなら「ごめんね、窮屈な思いをさせたね」とあやまりたい(チェルノブイリでは被曝当時、子供だった人々に20〜25年後に影響が出はじめた)。
 大丈夫、大丈夫と言って子ども達に何もせず、結果、将来彼らにもし重大な被害が出たときどうやってあやまればいい?僕たちもわからなかったんだよと言い訳でもしろと?

 近く大学から先生なども招いて原発や放射能についての勉強会を開く予定です。(連休明けを予定)もし勉強会に参加したいと言う方はご連絡ください。
 角田市の方でなくても結構です。また僕らの会に強制的に入らせ要望書を提出する際に名前を連ねろ、なんて事ももちろん言いません。周りの人が何もなかったかのようにしていて自分のこの不安を共有できない。心配だけど相談する相手もいないから話を聞きたいだけという方もどうぞ。それでも心配なら匿名で参加されたってかまいません。いろいろな兼ね合いだって有るでしょうから。それをわざわざ壊す事はありません。(参加を希望する方はコメントかメールでお知らせください)
 僕も最初、無かった事にして暮らす道を取ろうと思いました。でもそれは無理だった。人のせいに出来ない事もわかっています。ここまで原発が作られるのを許し、結果認めざるをえない事になったのは自分の責任です。だから理不尽な出来事とは言えない。だけどこれだけひどい仕打ちを受けて黙ったままでいることはやめました。

 僕の原発への現時点での立場を明らかにしておいた方が良いかもしれません。それは新しくは作らない。古くなったものは廃炉にしていく。最終的に段階的に全て廃止し脱原発。電気量が減って今と同じような暮らしが出来ないならそのレベルでやっていく。というものです。
 それとは別に大きな余震が続く可能性のある東北では緊急避難的に原発をすぐに停止を要望。今月7日の東日本大震災の余震ですら宮城県の女川原発は耐震設計の想定を超える揺れで外部電源が一部遮断している。大きな余震が数年間、続くのがわかっているのに平気で綱渡りを続ける意味がわからない。1年とか2年とか期間を区切りその期間が過ぎたら原発の是非はおいといて電源を再度入れても良いからとにかくまず緊急避難的に停止すべきだと考えます。ただでさえ制御不能な原発を抱えているのにひとつでもふえるのは大きな負担になるのは明白。少なくとも今、東北の原発は地震でも安全ですよと言われても信用するのは無理。

 これをエントリーしようとしたらいつもこのブログを見てるよ、という仙台の女性から電話。私も同じ考えだよ、と言われ勇気づけられた。嬉しかった。原発から100kmの距離があるからか仙台の人たちと話をすると地震や津波の話は共感して話が出来るけれど放射線の話になると楽観的な方が多く気持ちが全然違う。東電の金にものを言わせての広告やプロパガンダが成功しているのか、お前何言ってんの?というムードに包まれる。それ以来個人的に放射線の話はあまりしないようにしていた。だから余計勇気づけられました。「ありがとうございます。今度、仙台に会いに行きます。お茶しましょ・笑」

【2011/04/19:追記】
角田市の隣の丸森町は有志がすでに要望書を出したそうです。
また同様の行動をされている方がいらっしゃいましたので情報を載せておきます。

【2011/04/19:さらに追記】
今日、文部科学省からの発表
福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について
3.8μSv/hって。文部省は子供を守るためにあるんじゃないのか。

2011年4月19日

雪の夜桜

11041901.jpg
 夕方、山越えの道を走っていると雨が雪に変わった。去年、桜に雪が積もるのを見て驚いたけど今年も見る事になるとは。桜も2年連続で花が雪にさらされて可哀想に。しかも今年は放射線入り。ひどい話だ。

2011年4月20日

チョコレートと青い空

11042001.jpg
 ベコ飼いのお友達の2冊目の本が出版されたのでさっそく読んだ。「チョコレートと青い空
牛を飼っている専業農家にガーナからエリックさんが研修生としてやって来た1ヶ月の物語。最初は背が高く真っ黒なエリックさんをおっかなびっくり迎えていた二人の兄弟と妹が、一緒に生活していく中でお互いとお互いの国を理解していく物語。
 作者の家は専業農家だから牛舎での作業などはわかりやすくていねいに書かれている。さらに僕は(物語はノンフィクションではないだろうけど)実際の作者の家族や牛舎に物語をだぶらせて読んでしまって余計感情が入ったかも。何気ない生活の中に大切なものがたくさん詰まっている事を改めて感じられる温かい物語。
 僕の住んでいる所は実際に国際交流が盛ん。農家の方々が毎年、各国からの研修生を迎えている。東京で暮らしていた頃より、この「田舎」に越してきて比べものにならないほどいろんな国の方に出会う機会があった。この土地の農家の子ども達は、毎年のように各国からのお客さん(研修生)を迎える事で世の中にはいろんな人がいていろんな考えが有る事を体験として得られるのはとても素晴らしい事だろうと思う。

見なれた田んぼが、エリックさんの目を通して、今までとはべつのものに見えていた。
 という体験をこの地域の子ども達はしているんだろうなぁ。大人からの素晴らしい贈り物だ。

 ネタバレしないように本の内容は詳しく書けないけど、最後はまた涙がこぼれた。1冊目も2冊目も泣かされた。もちろん今回も友達でもある作家にサインしていただきました・嬉

※写真はその本と物語の中に出てくる「チョコレート」。あぐりっとでも売っているそうだけど、いただいてしまった。ありがとうございます。

2011年4月21日

Dream

 ネットの友だちのYumiさんから彼女が書いた「夢」の書の写真がメールで送られてきた。
11042105.jpg

Don't forget with everything there are still dreams to catch. Hard to see, but there is a future.
 全ての叶えたい夢はまだそこにあることを忘れないで。今は見えなくても将来、きっと。(意訳ごめん)

 なんかまだ気持ちが全然駄目だけど、このメールに少し救われた。皆さんにもおすそ分け。みなさんの夢が叶いますように。今日の小さな夢は「来年の桜をもう少し幸せな気持ちで迎えられますように」

 そういえば子供の頃の夢のひとつはペンパル(海外に文通相手)を持つ事だった。メールなんて無い時代だから文通。もちろん便せんと封筒だ。海外への郵便代は重量計算なので少しでも安くなるようにエアーメール用の便せんはトレーシングペーパーの様に薄かった。でも買ったけど使う事は無かった。英語力も無いし相手も見つからなかったのだ。だけど気が付いてみれば、今FlickrやTwitterやFacebookやメールで日常的にやりとりしている。震災の時も海外からメールやメッセージをたくさんもらった。そうか子供の頃の「夢」のひとつは叶っていたんだ。
Yumiさんのブログはこちら

※Yumiさんには掲載の許可を得ています

お散歩カメラ 2011春

倒れた木からも命は萌える
 倒れた木からも命は萌える。(拡大します)

110421
 田の水路の先の桜

110421
 カメラを持つ気にもならなかったけど、これじゃ駄目だと一眼レフを持って小春と昼の散歩に出た。雑草も伸びようとしている。

110421
 小春がいなきゃ春の気配を撮る気にもならない。ありがと、小春。

2011年4月23日

シジミ蝶

11042301.jpg
 雨の中のシジミ蝶。そこで雨をよけられるの?羽根にダメージは受けないの?がんばって生きろ。

2011年4月24日

津波:44日後

 東日本大震災から3週間後に友だちのレストランがあったところをひとりで訪ねた。テレビの四角いフレームの中ではなく自分が立っている周囲360度が何も無いというのは想像を絶する世界だった。ブログにアップはしなかったけれど。
 以下は今日の福島県の海岸の様子。震災から44日たった今の様子をあげておく。復興までの道のりは遠い。

11042401.jpg
 福島県新地町役場の前の道路脇にあった自動販売機。地上からおよそ150cmのところまで泥水に浸かった後が残っている。(白いラインは写真に描いたもの)海岸線までおよそ1.3km地点。

11042402.jpg
 無くなった方の鎮魂をしている僧侶と災害復興のために派遣されている自衛隊の方が歩いていた。僧侶の方は練馬ナンバーの車だった。

11042403.jpg
 海岸線まで約900mのところから撮影。この正面が海水浴場。今は見渡す限り何もないけど家があり鉄道が走っていた。東北の太平洋沿岸はこのような茫洋たる風景が延々と続いている。下がこの写真の撮影ポイント。海岸近くまで走ったけど(以下の動画参照)常磐線は見る影もない。

大きな地図で見る

 東北のいたるところで道路が傷んでいる。大きな損傷は応急処置で修復されているところもあるけれど、全ての亀裂や段差にまではとても手が回らない。


※先日せめて子供への対策を強化して欲しいと書きましたが、以下のような署名活動がありました。呼びかけ団体のひとつのグリーンピースの活動を僕は支持していないのですがこの件に限って署名しました。よければ署名を。(4月25日午後11時まで)

【緊急声明と要請】子供20ミリシーベルト撤回を要求するオンライン署名
子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求する

2011年4月28日

お庭カメラ

 お散歩カメラならぬお庭カメラ。夕方。

110428
 ビオラ。

110428
 黄色のビオラ。

110428
 雑草。

110428
 食べ残してとうの立ったルッコラ。

110428
 鯛釣り草。

110428
 水仙。

110428
 水仙。

110428
 タンポポ。

110428
 すみれ。

110428
 タラの芽。今年は食べられないけど。

110428
 敷石。

110428
 冬を越したソラマメ。食べられなくなってしまったけど。

« 2011年3月 | メイン | 2011年5月 »