高山登展

宮城県美術館高山登展を観に行った。
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 中庭も作品で空間を形作って迎えてくれる。今回の作品は全て(再構成ではなくて)新作。
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 作者自らの制作による「枕木」で構成された空間。
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 枕木だけでなくグランドピアノや金属のベッド、コンクリート、映像と音の要素なども使って構成されていた。
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 「絵画的」な要素も感じられる美術館のエントランスホールに組み上げられた金属と枕木。
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 今回、僕が一番気に入ったのがこれ。「地下動物園2010」アリスの庭とよばれる美術館のハーフミラーと煉瓦で囲まれた空間に今まで一度も開かれているのを見たことの無かった扉が開いていて、そこから中を覗くように見る。本来は倉庫のスペースらしい。館内の作品は作品内部に取り込まれるように鑑賞できるけど覗き見するようにしか見られなかったのが逆に良かったように感じたし匂いと密かな光が作品を際だたせていた。
 今日を選んで行ったのは展覧会の関連企画でシンポジウムがあり作家の高山登氏と美術評論家の椹木野衣氏と高島直之氏による対談「高山登のいまを語る」という企画があったから。特に椹木野衣氏の話を直接聞けるのを楽しみにしていた。椹木氏は東京から朝着いて展示作品を見た、その美的体験をなんとか正確に表す言葉に変換しようとする真摯な態度が興味深く作品と対峙した時の体験を「静けさや明るさから歌声が聞こえてくる」と表現したのが印象的だったし共感するところが多かった。(この言葉も体験を言語化するための試行錯誤で発している言葉のひとつなのでこれが正解として提示されたわけではないことを記しておきます)
 僕は映画でも読書や展覧会で感動を受けてもそれを言語化する能力が全く欠如している。カミさんと映画を見に行っても見終わって僕が言うのはほとんどの場合「良かったね」か「つまらなかったね」のどちらか。美的体験や経験を言語化することが出来るのはうらやましいなぁと思いつつ自分には難しいことなのだと改めて感じた。
 だけどせめて感想らしきものを残してみる。。。 個人的には「枕木」を使うという事それ自体にはあまり意味を感じることはなかった。並べたり積んだり組んだりするためには同じ形の物の方が都合が良いということと、素材に相性としての使いやすさがあったということくらいで。それよりそれを使って空間をどう構成したか、と言うことと中に入って見るのか外から見るのかのぞき見るのかという事に意味があると思った。。。駄目だやっぱ言語化は無理だ。
(このエントリーの写真は盗撮ではありません、念のため。フラッシュを使わなければ撮影が許されました。著作権ばかりを声高に主張する輩ばかりの今の風潮の中ですばらしい)
 美術館の中庭では新宮晋さんの「時の旅人」が今日も風に吹かれてゆったりと動いていた。いつ見てもおおらかで気持ちが良い。

 いつも宮城県美術館に来ると見る大好きな松本修俊介の作品、特に「画家の像」を常設展でゆっくり見て帰る。