雑誌

 「スロウ」という雑誌を眺めていて学生の頃、雑誌フリークだったことを思い出した。月に10冊近く買っていた時もあった。小学生の頃から自分で手描きで雑誌を作って授業中に友だちに回覧してもらっていたくらい「雑誌」という形態が好きだった。雑多なものがひとつになっている、というのが好きなんだな、きっと。
 
 当たり前のように毎号「ぴあ」を買い名画座で映画を3本、4本とはしごした。ページの端っこの縦1行を読者に”はみだしYOUとPIA”として提供したのは、今から思うと紙版ツイッターとでも言うようなツールだった。高校生の時、最初に掲載されるのは誰だ!と盛り上がって僕の投稿が載って最初に掲載されたけどみんな悔しかったのか僕の投稿がつまらなかったのか盛り上がらなかった(苦笑)。「東京おとなクラブ」を創刊号から5号まで全部持っている人なんて、全国でもそうはいないだろう。若い清志郎とチャボを取り上げた「SALE2」「LISP」「POPEYE」「シティロード」「週刊プレイボーイ」は時々買ったけど「平凡パンチ」はもう僕らの時代とは相性が合っていなかった気がする。
 「BRUTUS」はロゴもデザインした堀内誠一氏の仕事には相当影響されているはず。素晴らしいグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナーだった。
 「ROCKIN’ON」(JAPANは昔、無かったような気が)、「広告批評」
 15才の時に「ロードショー」のシネマ大賞の抽選にあたって出かけたら、司会がニュースステーションを始めるずっと前の久米宏だった。トレーシー・ハイドが来日して登場!っていったって「小さな恋のメロディ」をみんな知らないだろうな。
 雑誌って面白いメディアだったな。
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