カルムイク共和国 20年振りの再会と初めまして

1997年と1998年、ロシアに21ある自治共和国のうちのひとつ、カルムイク共和国で開催された国際彫刻シンポジウムに参加した。その時の制作、出来事、出会いは今でも僕の中で特別なものだ。20年前の話だから、まだカメラはフィルムの時代。日本を発つときに心に誓ったのは(無事に生きて帰ること)だった。オーバーに聞こえるかもしれないけど、言葉も通じないロシア語圏へ行くのは初めての事だったし、行く前に一通りのことは調べられるインターネットも無く、地図帳で調べても僕がこれから行く国の位置を正確に特定することすら出来なかった。言葉も通じずどこにあるのかわからない所へ行くのは恐かった。だけど海外の彫刻シンポジウムにどうしても参加したい、という思いがその恐怖より少しだけ勝っていた。時差のせいか、それが普通なのかなかなか返事の来ないタイムラグの大きいFAXを何度かやりとりしただけで、結局不安を解消できないまま、文字通り清水の舞台から飛び降りる気持ちで飛行機に乗った。

Dance(軽やかなダンスのためのすきま XVIII)
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夜に到着したモスクワは、その頃治安が悪く、事件が起こっていたのでホテルから一歩も出なかった。部屋にはロシア語訛りの英語で「Do you need a woman?」と電話がかかってきた。言葉も通じず、食べるものを買うことも出来なかった。翌日、乗り込むと路線バスに乗っていると錯覚するような、すきま風の入る小さな飛行機でやっとのことでカルムイク共和国に着くまで結局、1日以上何も口にすることができなかった。だけど実際にシンポジウムが始まって各国(主にロシア語圏)の彫刻家と昼間は石を彫り、夜は杯を酌み交わしてあっという間に「仲間」になった。同じ石彫をやっているだけで共通の言葉が無くてもこんなにわかり合えるのか、と心の底から深く実感したことは今の僕に大きな影響を与えている。

だけど日本でカルムイク共和国の事を知っている人に会った事が無く、誰ともこの国のことを、話したり思いを共有出来ないことを寂しく思っていた。そんな時インスタグラムにアップした”ストーリーズ“を知らない人が閲覧してくれていて、誰だろう?と思ってその人の投稿写真を見に行ったら、僕の知っているカルムイクの風景が何枚かアップされていて、驚いて、知らない方だったけどメッセージを書いた。すぐにていねいな返事をくれたその方は、東京の大学から1年間、カルムイキア共和国に留学されているのだという。そして僕が1997年に初めてのカルムイキア共和国でのシンポジウムで制作して設置した「Dance」という上の作品の20年後の写真を「先日、友だちと散歩した時に撮りました」と送ってきてくれた。


Changing World II
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最初のシンポジウムの帰り際に、来年も開催するから必ず来い、と言ってくれて翌2018年にも再びカルムイク共和国を訪れた。相変わらず遠くて飛行機の乗り継ぎは辛かったけど、不安しかなかった最初の時と違って再び友だちと会える喜びでいっぱいで飛行機に乗った。
シンポジウムの間は毎朝、重量物を移動できるウインチのある制作会場まで、宿にしていた学生の寮から専用のバスに乗って移動して、制作していた。その会場のすぐ近くに住んでいる幼い兄弟とも再会できた。

はにかんだ笑顔がふたりともすごくかわいい。
そして今日、カルムイキア共和国に留学されている方とインスタグラムのダイレクトメッセージのやり取りをしたときに、今年の1月9日に誰かから届いたダイレクトメッセージを見逃して未読だった事に気が付いた。

”Hello, Tamaki. Do you remember me?”

から始まるその文章は、この写真の男の子からのものだった!!!僕の事を覚えていてくれて、探してくれて、見つけてくれて、メッセージをくれたなんて!!彼のインスタグラムには今の写真が載っていたけど、このはにかんだ笑顔はそのままでとても素敵な青年になっていた。

メッセージの最後には “I found one of your sculptures that you gave to my father” という文章と共にこんな写真をアップしてくれた。シンポジウム会場で重い石を吊り上げて移動する作業をしてくれていた、彼らのお父さんに僕が贈ったんだろう。サインがあるから。全然、覚えてなかった。制作の過程で出た石の破材で野外彫刻の制作の合間に、小さな作品も作ってお世話になった人たちに贈ったおぼろげな記憶がある。この頃、太陽をモチーフにいくつか彫刻を作っていた。(最下部にその頃の彫刻作品の写真)なんか改めて見て、新鮮だ。今年の個展にはまた太陽のシリーズを天草木目石を素材に小品でいくつか作ってみよう。

そしてシンポジウム会場で3人で撮った上の写真をインスタグラムにアップしたら、この少女(もちろん今は女性)からもダイレクトメッセージが。3人の写真をリポストしてくれたインスタグラムの投稿にロシア語の文章が添えられていた。Googleさんに助けてもらいながら翻訳してみる。

“1998年。 Elista(カルムイク共和国の首都「エリスタ」)での彫刻家の国際シンポジウム。 私はそこで初めて芸術家に出会った。弟と日本の彫刻家との写真。 私はElista(の大統領府のすぐそばのメインストリートに僕の野外彫刻「Dance」が建っている)の彼の作品の近くを通る時、いつもそれを思い出す。 そして彼はまた私たちに羽ばたく鶴の折り紙を作ってくれた。私たちはまだそれを持っています。私にとって、この人は美しい国の具体化です。非常に親切で、開いていると同時に神秘的です”

きっと、文章の最後の方は詩的な表現なのだろう。うまく訳せないけど、心の込められた素敵な文章であることは充分伝わってくる。

カルムイク共和国での第3回国際彫刻シンポジウムで「Changing World II」制作中のひとコマ。「倒れる戦士」の像を制作中のロシアの彫刻家、イーゴリと。2回のシンポジウムで出会った多くのロシア語圏の人たちの中で唯一英語が話せたのは彼だけ。通訳を買って出てくれてすごく助けられた。。そう考えると、写真の兄弟2人は英語でメッセージのやりとりができている。この20年でそんなところも変わったんだなぁ。

今日、一日でカルムイク共和国にいる人と、カルムイク共和国で出会った人たちと1度に3人も(ネットで)コミュニケーションする事になるなんて、昨日まで夢にも思わなかった。インターネットの時代は時々こんな思いがけないプレゼントが届く(Facebookでの再会も)。かつて地図のどこにあるのかも良くわからなかったその国とそこで暮らす人たちは今、僕にとってとても大切な場所でかけがえのない人たちだ。

カルムイク共和国に興味を持たれた方は是非、以下もご覧ください。

一回目のシンポジウムの時、カメラマンが撮影してくれたビデオに参加した彫刻家や関係者がサインをして空港から経つ直前まで撮影して特別にプレゼントしてくれたもの。ロシア語圏以外から参加した唯一の日本人の僕にみんな本当に優しかった。飛行機の関係で、みんなより少し早く帰国する僕の見送りに、空港には彫刻家達が自分の制作を休んで全員で見送りに来てくれた。
2回目の時は仲良くなった彫刻家と一緒にモスクワまでの長距離を、地平線しか見えないステップを走るバスと寝台列車を乗り継ぎながら帰る旅に誘ってもらって一緒にモスクワまで行った。イーゴリの友だちのアトリエに泊めてもらって、翌日空港まで送ってくれたイーゴリは別れ際、目にいっぱいの涙をためて大きな体で抱きしめてくれた。忘れられない。

PAL方式でVHSのビデオテープに撮影したものを、業者にDVDに変換してもらったものなので画質はかなり悪いけど。


「太陽の神殿」
今日のメッセージで20年振りに再会した彫刻の小品は、この頃良く作っていた太陽のシリーズの中で出てきた形だろう。

個人蔵

 

 

【2018/01/30:追記しました】

 


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