カルムイク共和国

 カルムイク自治共和国という国がある。ロシアに21ある自治共和国のうちのひとつ。

13053105
(左のハスの絵は国旗)

ほとんどの日本人は名前すら知らない国だろう。僕にとっては忘れられない国。1997年と1998年に国際彫刻シンポジウムに参加してそれぞれ1ヶ月半ほど滞在した。もう16年も前の事になるけど、僕の記憶からも細かなことがどんどん抜けていくけど、時間があるときに少しずつ書き留めておくことにした。
 インターネットの時代でも日本でカルムイク共和国についての情報はほとんど無いし、なにより自分がそれを読みたい。本来なら体系だって記録した方が良いだろうけど、そうするときっと一生書けない。書けるときに思い出したことを少しずつ書き足していこうと思う。幸いなことにたくさんの資料をプレゼントされたし、写真も少しある。(デジカメはまだ一般的ではなかったので写真がデジタルデータではなくてリヴァーサルフィルムからスキャンしなくてはいけないのも手軽に書けない原因)見て楽しいエントリーを心がけるので読んでもらえれば。

 本当はカルメキアと発音するのが一番しっくり来るし、現地の人と話したときの感じに近いのだけど日本ではカルムイク、又はカルムイキアと表示されることが多いのでそれにならうことにしますが、現地でカルムイキアなんて発音されるのを聞いた事は無かった。国の名前を聞いた印象は「レスプーブリカ(共和国)カルミキアー」だった。

 まとめて読めるように「カルムイク共和国」カテゴリーを作りました。これをクリックでカルムイクに関することを将来まとめて読めるようになるはずです。では、その1回目。

 ロシアにある国だから、何となく西洋風の白い肌の人をカルムイク人として想像するだろう。だけどいわゆるロシア人は3分の1で人口の半分はモンゴルから長い時間をかけてやって来た人たちだ。だからカルムイク人の見た目は僕ら日本人とよく似ている。僕がカルムイク共和国の首都エリスタをひとりで歩いていると良く「チャス?」(今何時?)と聞かれた。人種的には同じモンゴロイドで似ているのだろう。赤ちゃんの時におしりに青い蒙古斑が出るか聞いたら出ると言っていた。カルムイキアの図書館で歴史の本を借りてきた中に、カルムイク人の女性の写真があって一目惚れしてしまいボールペンでノートにスケッチしたものが残っている。カルムイク人ってこんな人です。

13053101

 僕が最初にカルムイク共和国に行ったのは秋で屋外での彫刻に備えて、作業着の専門店でNASAが開発したとか言う軽くて防寒にものすごく優れているという屋外の防寒着を買っていったけど全く役に立たなかった。そんな時、革の重いけど温かい上着を貸してくれたり、言葉の通じない僕のことを親身になって心配してくれたカルムイク共和国の彫刻家、バイスキン氏の写真。僕はカルメキアのパパと思っている。

13053102

 バイスキン。草原の中に赤い点々がいくつか見えるのは野生のチューリップ。
 日本人みたいでしょ。近所にいてもおかしくない感じでしょう。だけどロシアの大統領(当時はエリツィン)に勲章をもらうほどの彫刻家。ちょうどシンポジウムの時に勲章授与式があったので参加している各国の彫刻家みんなで授与を見に行った。酔うとすぐに僕のことを「タマーカ、タマーカ」と呼んではみんなに「たまきだよ」と訂正されていた。本当にお世話になった。

 バイスキンの助けもあって制作に集中することが出来て無事作品は完成し、エリスタに“Dance”という彫刻を建てた。

 facebookでバイスキンの娘さんが僕を見つけてくれて設置から17年経った作品の写真を送ってくれた。

13053103

 facebookやめようと思っていたついこの間の事。しばらくやめない事にした(笑)バイスキン氏の写真もfacebookで送ってくれた。カルメキアのパパは自宅にも招待してくれて家族で食事もしたので奥さんや娘さんの事もよく覚えている。おかげで作品の周りに土を盛って芝生を植えてねと言い残したけど、どうなっているかと心配していたその後を知ることができた。予想以上に整備してくれていて感激。背景に見える建物は僕が行ったときには無かったはず。

13053104

 これが建っているエリスタはカルムイキア共和国の首都。首都といえどもこれだけの緑。少し車で走れば草原、砂漠、湿地。