「医学と芸術展」カタログ

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 先月末に見に行った「医学と芸術展」が美的体験とは違う意味も含めてものすごく面白かった。最終日に見に行ったせいかカタログが売り切れで増刷後の発送を頼んでいたのが届いた。
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 これは不治の病で死ぬことを運命づけられた人の生前と死期を対比させたヴェルター・シェルスのモノクロームの写真による作品。(もちろん本人と家族の了解を得た上での撮影、発表)
 カタログをめくりながら展覧会で見た作品を思い出していた。それだけでなく詳しい解説を読んで新たな発見もあってあきらめずに買って良かった。福岡伸一さんも文章を寄せていたりして「美術本」としても改めて楽しんでいる。(ちなみに発行は平凡社)
 「死」があまりにもタブーになっているこの社会は不健全ではないだろうか?
 「死」をすぐ人のせいにしたり管理責任を問う社会は不健全ではないだろうか?

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 昔(ブログが無い頃に手打ちで毎日のように日記を書いてホームページにアップしていた頃)の”管理”と”個人”について書いたことを思い出してMacの中を(これを書いていた頃はWindowsだけ持っていたんだったなぁ)ごそごそしていたら出てきたので転載。イラクでの日本人人質でいわゆる「自己責任」論がマスコミをにぎわす事になった数年前。今でもあの時、自己責任を「他人」に迫っていた人がたくさんいたことを思い出すと怒りがわいてくる。

2001年02月23日(金)
堀江謙一さんが40年ぶりの太平洋単独無寄港横断に挑戦する。元気が出るねえ。かっこいい62歳だなあ。最初の横断のことを綴った「太平洋ひとりぼっち」はドキドキワクワクの熱血興奮本。体重計の無いヨットで体重を計るには自分の手首の太さをもう片方の手でまいて測ればかなり正確にわかるというのを読んで、海外旅行の時なんかに体調管理に使ってる。確かに結構正確。普段のサイズさえ把握しておけば。

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堀江さんが太平洋単独無寄港横断に挑戦しようとした時最大の敵は”日本”だった。冒険を認めず旅券を発行しない。どうしてもやりたかった堀江さんに残されていたのは”密出国”という手段だけだった。何度も海上保安庁の巡視船に止められ海に出るまでは相当大変だったみたい。で、困難を乗り越えてサンフランシスコに着いた時、日本は”密航者”を掴まえようとてぐすね引いてた。そん時のアメリカは偉かったねえ。「コロンブスが強制送還されていたら、今日のアメリカは存在しなかった」として堀江さんを名誉市民として受け入れ米国政府も入国を認めるどころか勇敢な冒険者を大歓迎で迎えたんだから。もちろん堀江さんを犯罪者扱いしてた日本もアメリカが認めたのでそっこー手のひら返したんだけど、これはかなりかっこ悪いぞ。まあ、国が最初に何かを認めてあげるのは稀有なことで死んでから賞をあげるよーな国だからしょーがないけど。
これは国だけが悪いんじゃなくて一人一人の意識の問題なんだろうけど、個人の権利を個人に返して欲しいな。責任が一緒についてくるのも当然受け入れることになるんだけど。イタリアのピサの斜塔に行った時のこと、本当に塔が傾いていることや石の螺旋階段が長い歴史の中で多くの人が通ったところだけ磨り減っているんだけど、傾いた塔の中だから平衡感覚がおかしくなるので磨り減った部分が傾きにあわせて蛇行していたことよりも今でも一番印象に残っているのは、歩きたい人は傾いた塔の柱の外を歩いても良いということ。上の方の階の柱の外側、数10cmのところ歩いてつまづいたりしたらもちろん落ちて死んじゃう。だけどそれは、それをやりたかった個人の問題で塔の管理責任なんか問われない。まっとうな感覚だと思う。あんまり人のせいにばっかりしてるとやりたいことがやれなくなっちゃう。それになれていると全く車のこない横断歩道でも赤信号だと渡らない世界でも稀有な家畜化された人間になってしまう。自分で考えることより機械的な信号を優先させて。しかも新聞に赤信号を渡ってる人がいますなんて投書されちゃうからね。(笑)
そんな中だから、自分の責任で考えて行動している堀江さんがよけい自立した人間として際立つんだろう。横断は何度も成功してるからうまくいくのがあたりまえなんてつい思ってしまうけど、毎回が命がけの冒険なんだろうな。御成功を心より祈ります。無事に帰ってきてね。

 10年近く前の文章だけど考えが変わってない。成長しないというか何というか。。。