記録:東日本大震災

11031100東日本大震災(東北関東大震災)から10日。一区切りとして震災当日からの生活を記録しておく。
その前に。 お百姓さんの年間のスケジュールは人間の都合ではなくて自然の気候や天気と相談して決める。そうやって仕事をするのは当たり前の話。ところが。百姓が仕事をしていると「みんな震災で苦しんでるのに、農作業をしている人がいる」と苦言がよこされているという。米や作物はパソコンで入力してすぐプリントアウトするように出来る訳ではない。何週間も何ヶ月も前から淡々と着々と仕事を続けた結果得られるものだ。みんながこの大震災から立ち直ろうとしているのは一緒。緊急の事態だからまずは寝て食べて起きることをするだけで大変な人も多いし今はそれこそが大事な「仕事」だ。だけどもう少し後には復興に向けて働いていかなくてはいけない。食べなくてはいけない。その時のためにお百姓さんは今働いている。
この話を始め、お酒を飲みに行くのは不謹慎とか、異様な異常な自粛ムードが漂っている。お百姓さんが今みんな自粛したらこれから復興と言う時、食べるものないからね。被災した人は今でも大変な生活を送っている。それを全力で支援する事と自粛は関係無い。被災地が全て復興するまでみんなが喪に服していたら何も前に進まない。被災しなかった人が被災者の目の前で酒を飲むのは自粛すべきだけど東北以外の人たちはいつものように働いていつものようにお酒を飲めばいい。歌のうまい人は歌で元気づけて欲しいし、お百姓さんはみんなが食べられる米や野菜を作って欲しい。お金持ちはどんどんお金を使って欲しい。(出来たら東北のモノもお願い)歌の下手な僕に歌を歌う役割は無理だから、自分が出来る事を少しでもひとつづつやっていくしかない。
避難所にすら行けず孤立して被災している方が食べるものも食べられない現実にある時に、普通に食べて温かく寝る事ができたこの10日間の生活を記録する事に意味があるのかとも考えましたが今までも日々を淡々と記録してきたこのブログ。いつもと同じような気持ちで震災からの10日間の一部をここに記録して個人的に震災に一区切りをつけることにしました。
改めて今、被災している多くの方々の日々が一日も早く「普通」の幸せに戻る事を願います。


◆震災当日◆(2011/3/11)

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)2011年3月11日午後2時46分頃。マグニチュード 9.0

その時僕は隣町の白石市の石屋さんにいた。携帯から緊急地震速報のブザーが鳴り、揺れがいつまでも続いた。隣家の石塀は音を立てて崩れあちこちの屋根からは瓦が落ちてきた。ワンセグのテレビからは太平洋沿岸の方は津波の恐れがあります。大至急ビルの3階以上の高さまで避難してくださいとアナウンサーが伝えていた。あ、情報が錯綜して間違った事言ってる。海辺でビルの高さ3階に至急避難なんて無理でしょ、と相変わらず揺れる中で電信柱の下敷きにならないように注意しながら聞いていた。だけど本当にビルの3階の高さまで逃げなくてはいけない事態だったんだ。


歌のレッスンに仙台へ行っているカミさんに携帯で連絡を試みるもメールも電話も駄目。家には愛犬小春がひとりで待っている。段差が出来たり、切れてずれたり、水道管が破裂したらしく道路の亀裂から大量の水が流れ出ている道路を車で一路自宅へ走る。僕とカミさんと友だちと知り合いの助けを借りて作った家はそのままの姿で建っていた。急いで小春を探し怯えている小春の頭をポンと手で叩いてやり家中を見て回ったがほとんど被害は無かった。玄関の展示台に飾ってあった石の作品が落ちて角が少し欠けてしまったけど、床に置いてあった大事な作品の上に落ちることはなかった。台所の食器棚のワイングラスが倒れ落ちるときに周りの焼き締めの器と、陶器の器をひっかけて割れただけ。あと滑りやすいタイルの上に置いてあったトースターが棚から落ちた、これが被害の全て。しかもトースターは壊れていない。僕の部屋のMacやPC、モニタ等全部無事。Mac本体もバックアップ電源のおかげで自動的に安全にシャットダウンしていた。ただ自作の高床式の畳の下のキャスターのついた大収納は出まくっていた。

小春と家の無事を確認したので仙台のカミさんを救出に行く事にする。断水、停電なので帰ってきてから割れたワイングラスを片付けるのは危険なので(掃除機で吸えないので)ていねいに掃いて、キッチンペーパーを雑巾代わりに拭いては捨てる。大きな余震が続いているので小春も車に乗せ手回し蓄電の頭に装着できるタイプのLEDライト(*1)を持って車で仙台へ向かう。約30km、普段なら1時間弱の道のりだが、途中大きく陥没して車4台くらいが入ってしまいそうな池が出来てしまった道路を回避したりしてやっと国道に出た頃にはすでに2時間以上経過していた。大渋滞で全く動かないのだ。電信柱の横や橋の上で止まったときに大きな余震が来ると「頼む、揺れないで」と思わず願う。4時間後、石屋の社長さんにもらったばかりのお古のカーナビとこの時だけ奇跡的に繋がった携帯のお陰でカミさんと無事出会え思わず握手&・・・。ふと、夜空を見上げると信号の明かりすらない仙台の街の上で降らんばかりにたくさんの星が輝いていた。

さらに2時間かかって帰宅。キャンプ道具置き場からガソリンランタンを持ってきて居間に設置。往復の道のりで水と食料を買おうと何軒かのコンビニに寄ったが閉店か開いていても売ってもらえなかった。ガソリンも(電気が無いと供給できないので)買えなかった。ただ帰りにファミリーマートで暗闇の中、販売を続けてくれていた。たぶん夜の10時を過ぎていたと思う。レジに電卓を持った店長、そして金髪兄ちゃんが明かりを照らし、値段のわからない品物があると棚の前に待機している別の兄ちゃんに尋ねるという連係プレーで次々と客をさばいていた。品物の値段もほとんど頭に入っていて異常な状況下でテキパキと元気に働く兄ちゃん達に勇気づけられた。ただパンや水といった品物はすでに売り切れ。カクテル用のソーダ水と紙パックのお茶とカップラーメン6個を買うことができた。暗闇の中、品物を探す事が出来たのは出がけにカバンに入れたLEDヘッドランプのお陰。キャンプならともかく都会のコンビニで使う日が来るとは夢にも思わなかったがそれをちゃんと持ってきた自分をほめてやりたい・笑 ただほとんどの買い物をおさいふケータイに移行して財布には極力現金を入れないようにしていたんだけど、非常時に有効なのは現金だけ。万が一の時のためにと入れておいた札を使う事になった。

ソーダ水をヤカンで沸かし貴重なカップ麺の夕食。お昼にご飯を食べてから12時間後に始めて口にする食料だった。ちなみにお湯を沸かす事が出来たのはプロパンガスが活きていたから。中華鍋をガンガン振って料理したいのと火と鉄の(フライパンやダッチオーブンの)調理器具での料理に慣れているし、その方がおいしいと思っているので家を新築するときにあえてIH等の電化はせずプロパンガスにした事が功を奏した。またお湯も電化ではなく灯油式にしたため家の裏に200Lのタンクが有り、そこからストーブなど必要な分だけ入れる事ができるので暖房にも困らずに済む事になった。しかもファンヒーターがたくさんある中、電気を使わないただの灯油ストーブも1台使っていたのだ。よかった。 大きな余震が続く中、いつでも避難出来るように貴重品を僕とカミさんそれぞれデイパックに詰めすぐ持てるところに置いて、電池式の小さなLEDライトと手回し蓄電式のラジオで(緊急地震速報が聞けるよう)NHKニュースをつけたまま、寝間着に着替えることなくジーンズにベルトといった外出着のまま布団に入った。


◆震災2日目◆(2011/3/12)

断水。今ある水は風呂の残り湯と非常用バッグに入った1Lのペットボトル。まずは飲料水の確保だ。朝から市の車が小学校で給水していると広報している。朝食もろくに食べずにキャンプ用の蛇口のついた水タンクをふたつ持って車で駆けつけるもすでに長蛇の列。しかも肝心の給水車は無い。小学校から往復90分ほどかかる水道が壊れなかった場所まで汲みに行っては戻ってきているのだという。ただひたすら待つ。余震の中、待つ。一番嫌いな事が待つ事、並ぶ事だけど、待つ。だけどやっと車がきたと思ったら給水車ではなくて20Lのポリ缶に水を入れて20個くらいをトラックの荷台に積んでいただけだった。ひとり3Lの制限付きでも順番が回ってこないで水は尽き、再び取水のためトラックは出て行ってしまった。

こんな事を何度も繰り返して時間ばかりが過ぎていく。これではトイレにも行けない。次に車が戻ってくるまでの90分間お互いを信用して水の容器だけ置いて自宅に戻りましょうとの誰かの提案に皆ほっとして賛同。朝から並び続けて体が冷えているし。写真は並んだ容器。キャンプでもしないのに水タンクを持っている人は少なくありあわせのものばかり。焼酎の大きなペットボトルが目立つ。電気ポット、鍋、段ボール箱にゴミ袋を敷いたものなど。小学校の時計は地震の少し後の時間で止まったままになっていた。校舎と地面との間には30cm以上のすきまが校舎の周り全部に空いてしまっている。これからの使用に耐えられるように見えない。半日並んで昼過ぎに3リットルの水を得る。20L入りの大きな水タンクふたつ持って半日並んで3L。これから大変なんだ、という事を初めて実感する。地震後ほとんど繋がらなくなっていた携帯だけど基地局が駄目になったのかアンテナが圏外の表示に変わる(この後電気の復旧まで家及び家の周囲では圏外のままになりネットも駄目で陸の孤島になる。ラジオでは「・・・その他詳しい事は以下のホームページへ」と繰り返していた。きっと被災者以外が見ていたんだろう。)

顔を洗ったりトイレを流すための生活用水が全然足りない。そこで貴重なガソリンだけど家から車で10分の山の仕事場へ行って石を磨くために家から運んで貯めてある貯水槽の水を取りに行く事にした。僕が仕事場として借りている土地は石彫りには最適な広く平らな土地だけど水道も電気も無かった。家から水を運び発電機で石を彫っていた。その後電気は引いたのだけど今でも水道はない。だから少ない水の使い方には慣れているし雨水も有効に使って仕事している。まさかそんな事まで実際の生活で役に立つとは思わなかったけど。いつも山に水を運ぶのに使っている18L入りのポリ缶ふたつに(数日前に家からポリ缶で自分で運んだ)水を入れる。これでしばらくは大丈夫だろう。行き帰りの道路はところどころこんな亀裂が。場所によってはこの段差が1mにもなるのであまりスピードを出すと危ない。(ただしひどい段差は誰が直してくれているのか、どんどん応急処置や補修がされている。震災当日にカミさんを迎えに行く途中で見た大きな池のようになってしまった道路も数日後には重機で直していた)

台所のシンクに水をセット。奥の20Lに飲料水。手前の10Lに生活水。もうひとつ蛇口のついた20Lの水タンクがあるので、給水所で入れてもらって無くなったら交換していくことにする。(給水はその後、落ち着いてきて午後に行くと20Lもらえることが多くなった)

IHを選ばなかったプロパンガスが活きていたのは本当に大きかった。キャンプ用のバーナーもふたつあるけど出番は無くて済んだ。長期戦を覚悟したカミさんが計画を立てる。傷みそうなものから食べて缶詰や乾麺等の保存の利く物ほど後に回す。今日はパンのお昼。

余震にそなえて食器棚はテープで固定。食器棚の上の電子レンジやトースターは全て床に移動。どうせ停電で使えないし。食器はキャンプ用の物にして食後キッチンペーパーできれいに拭き取って使い回す。

いつもの愛犬小春との昼の散歩。あぜ道もあちこちに亀裂だらけ。本当に我が家には何事も無くて良かった。家が建っている土地の地盤はものすごく固い。

なんて美しい青空。いつもの光景。「普通」の幸せを噛みしめている。だけど今も多くの人が命の瀬戸際にいる。そうでなくても寒く、飢えている。そんな人たちにも美しい青空を「普通に」見上げられる日が一日でも早く訪れますように。

田んぼ脇のアスファルト。地震で亀裂が入った後、揺れで液状化のためゲル状になった粘土質の土が亀裂から吹き出していた。

空にはいろんなヘリコプターが飛んでいる。支援や救済だろう。(悲?)劇的な絵を撮ろうとしている新聞やテレビのヘリコプターは帰ってください。爆音、爆風で救済現場にマイナス。

夕方、面川さんの長男が来る。これから沢水の出る知り合いの所に水をもらいに行くところだ、と誘ってくれる。東京の大学に通っている彼は田んぼの準備のためたまたま帰省していたのだ。家族ばらばらにならなくて良かった。ガソリンがないので車に乗せてもらいタンクに満タンに飲料水を確保。以前一緒に紙粘土で、でっかいゴジラを作っていた子に助けてもらうなんて。嬉しい。帰って灯油ストーブの上にキャンプで使うシェラカップを乗せてペットボトルのミルクティーを温める。

ガソリンランタンの明るさは心強い。新聞の小さな文字も読める。ただし震災後、新聞は止まっている。揺れが続いているので地震が来たらカミさんが灯油ストーブを、僕がランタンをすぐに消して確保する役割分担にした。でも夕食が終わったら8時過ぎに布団に入る。いつものように外出着のまま、LEDライトを小さくつけっぱなしにして。それにしても寝間着ではなくて普段着のまま布団に入ると逆に寒い。Tシャツ1枚なら体温の反射熱で布団の中がポカポカになるけどそれが無い。しかもからだを縛り付けてくる。特にジーンズのベルトが。近くの90近い年齢でひとり暮らしのお婆さんも寝室になんか行かれない。居間(この辺の田舎は玄関の前のふすまを開けるとすぐ居間という作りになっている)で普段着のままうつらうつらしてる、と言っていた。地震の時は思わず庭に飛び出して大木を抱きかかえて叫んでいた、止めようとしても涙が自然に流れた。こんな恐い思いをするんだったら長生きしなければ良かった、と言っていた。


◆震災3日目◆(2011/3/13)

6時起床。寝る時間が早いから起きる時間も早くなる。手回し蓄電のラジオを回しニュースをかける。このライト付のラジオは本当に役に立った。アウトドアで電池の消耗を気にしないで使いたくて買った。発電の効率の高いやや高価なものをかったけど1分まわせば1時間以上聞けた。居間で食卓で寝室で聞いたので小さいのも使い勝手が良かった。福島県にある原子力発電所で爆発があったというようなニュースが流れる。停電でテレビニュースをずっと見ていないのでよくわからない。支払いを出来るだけおさいふケータイにするようになって常に携帯と共に”携帯”している電池式の携帯充電器。モバイルSuicaで新幹線や山手線に乗っている最中に電池切れになるのが恐くて買ったけど初めて使う事になった。電池さえあれば役に立つ。写真のピンクのものは手回しの携帯充電器。1秒間に2回を3分間必死に回して約60秒の通話。これではお話にならない。おまけでもらったから仕方ないけどラジオ+ライト+携帯充電器がセットになった手回し発電器付のものを買うか悩む。”

大震災があっても太陽はいつもと同じように昇る。僕が死んでも何事もなかったように昇るだろう。そしてきっとそれは良い事だ。

キャンプで使う食器やシェラカップを被災後の食事で使い続けている。洗わずにキッチンペーパーで汚れを拭き取って。手回し発電式のラジオの横に立っているLEDライトは暗くてキャンプでは使えなかった物だけど非常時の常夜灯には暗くて逆に良かった。客人が来た時の手元照明にも使ってもらっている。暗いけど電池の消費量は驚くほど少ない。

冷凍してあったクロワッサンの朝食。地震直前にお世話になっている面川さん(*3)のお米をダッチオーブンで5合炊いて一膳分づつパックに入れて冷凍してあって冷凍庫が満タン。加えてキャンプ用の保冷剤が入っていたせいで被災3日目にしても停電の中冷凍庫のなかの物はカチカチ。氷も全く溶けていない。米が蓄冷材の代わりになっている。保冷剤も夏のキャンプで冷たいビールを飲むためにマイナス15度に冷やせる超強力なものを入れていた。相乗効果で冷やし続けている。家の冷蔵庫は最上段の冷凍庫から冷気が下に降りるタイプなので冷蔵も野菜庫も冷えたまま。

地震2日目の朝には圏外になったままの携帯から何度も僕とカミさんと愛犬小春と家の無事をブログに投稿しようとしたけど駄目だった。(そのおかげで多くの友人、知人、親兄弟親戚を心配させてしまう事になりました。本当に申し訳なかったです。そしてありがとうございました。)

地震から3日目にしてお昼前に新聞が届いた。いつもは早朝4時30分に来るのだけど。初めて地震の写真や記事に触れる。ただ一面は原子力発電所の爆発になって地震では無くなっている。この後、地震と放射能の問題の両方に社会も僕らも直面していく事になる。また手回し蓄電式だからかけっぱなしにしても電池の消耗が無いのでラジオでNHKのニュースをつけたままにしていると、大地震後6日間の間にM7クラスの余震が再び襲う確率が70%と言っている。

玄米を炊く前に小豆と共に軽く炒り始めたカミさん。僕は白米が好きだから自分でダッチオーブンで炊いているけどこの炒った玄米を土鍋で炊いたご飯は時々もらう。おいしい。玄米は固くてまずい、と思っている方は安いもので充分だから是非フタが2枚になっている炊飯用の土鍋で煎った玄米を小豆を入りで炊いてみてください。きっと玄米の認識が180度変わります。さらに玄米を主食にして良く噛んで食事をとると確実に痩せます。ウソじゃありません。もともとそんなに太っていなかったカミさんが玄米を主食にして思いっきり痩せてしまった。加えて超健康にもなった。(あと毎日ゆっくりマラソンも2年近く続けてますが)

車で30分くらいの所にいるカミさんの両親の様子を見に行く。こちらも大きな被害無し。ただ僕らと同じくガソリンが無くて身動きがとれない。だから僕らの所にも来られなかった。お互いどうにも困ったときに相手の所に行くだけのガソリンを残してまずはがんばろうと言って別れる。途中ガソリン買えず。また消費するだけに終わってしまった。お母さんにいただいたおかずと玄米ご飯の昼食。

愛犬小春と昼の散歩。隣のお婆さんが地震の時、我が家の前を通ったら小春が2階の居間の窓からずっと外を見ていたそうだ。「きっと心配なんだべなぁ。」てかわいそうだったぞぃ。

初日こそ半日並んで3Lしかもらえなかった水も午後行くと並んでいる人もまばらで20Lもらえることもある。

アウトドアのキャンプ用品には今回は助けられた。宮城県に宮城県沖を震源とする大きな地震が来る確率は99.9%と言われている。(今回の大地震はその宮城県沖地震にカウントされないんだそうだ。まだ大きな地震が来る、と言う事だ・悲)だからアウトドアと震災対策の両方を兼ねられる物は積極的に買ってきたことが功を奏した。アウトドアだけ地震対策のためだけでは買う決心が出来ない物もその両方に使えるものなら決心ができる、というものだ。手回しで発電できるラジオやLEDライト(*1)の他にどうしても電池でなければ駄目な物のために大量の充電池を持っている。それも古くなった物を買い換えるときは全てエネループにしている。エネループは充電後の放電が少ない。これは大事な事で古いタイプの充電池だとせっかくフル充電して準備してあってもいざ!という時はほとんど放電してしまっていて使い物にならない。買う物は出来るだけ単3の大きさで使える物を選ぶようにして単3形の充電池をたくさん用意。ただしエネループにも弱点がひとつ。明かりのためのランタン系にはあまり適していない。すぐ暗くなるし電池の持ちも悪い。そこでランタン用にだけ単1形の電池もストックしている。

これは単3で単1形の機器を使うときのスペーサー。これで単3形だけ買えば使い回しが可能。単1形は高いし充電器も別に買わなくてはいけなくなる。単3形も単4形も充電できる充電器も便利。アウトドアで使える手のひらサイズの電動ひげ剃器(親父にもらった)や小型ラジオ用に単4形も数本持っている。

玄米を炊いた土鍋を洗ってストーブにかけ鍋物の準備中のカミさん。水が少ししか使えないときは鍋を洗うのがとても大変だ。玄米は油がないのでざっと洗ってそのまま使い回す。ガソリンランタンは本当に明るい。

賞味期限が近い豆腐とありあわせのモノを煮ただけ。美味しいポン酢でごちそうに早変わり。

寝室でガソリンランタンを付ける訳にはいかない。だけどこの電池式のランタンがまたものすごく明るい。天井の梁にフックをねじ込んで吊した。いつもと同じように新聞が読める明るさ。このカバーを外して逆さに吊すとこのように室内を照らすのにちょうど良くなる。(カバーをして立たせた状態は2枚写真を戻るとテーブルの上に乗っています)


◆震災4日目◆(2011/3/14)

さらに早く5時に目が覚めてしまった。朝食の味噌汁を温める鍋のフタに昨日炊いた玄米を乗せて温める。

愛犬小春が一足早く朝食。鼻にご飯粒付いてるよ。

携帯で何とか安否を伝えようとしたため電話もメールも駄目なのに電池が消耗する。auは1年使うと新しい電池パックをくれる。その古い電池パックも捨てないで挿し直してフル充電して持っていた。キャンプと震災に備えて。古いのに差し替える。カミさんとは全く同じ機種の色違いで使っている。最悪の時は電池も使い回せる。いろいろ考えて同じモノにしている。操作に慣れているからメールを読まれちゃう危険もあるので注意。って別にぼ、僕は大丈夫です。

玄米、自家製切り干し大根とニンジンのきんぴら、白菜に塩した即席漬け、納豆、お麩入り手前味噌の味噌汁。なんだこの正しい日本の朝食は。ちなみに僕の普段の朝食はロールパンひとつと紅茶、作り置きがある時はベラルーシ風のスープ

ちょっと食料が心配になってきたので自転車で町のスーパーまで行ってみる事にする。途中道路と歩道には1m以上の段差が出来ていた。

点灯していない信号を見慣れてしまって何の違和感も無くなっている。

久しぶりの自転車で息も絶え絶えになりながら20数分で大型スーパーに9時30分に到着。営業するようだ。写真では見づらいけどスーパーも日曜大工の店も100m以上の大行列。食料や灯油ポンプなどどうしても買いたいモノがあったけど何も買わずに帰る。ラジオでしきりに被災地の全ての公衆電話は無料でかけられますと言っていたので家に帰る途中に見かけた公衆電話の全てで安否確認の連絡をとろうとしたがどこも不通だった。電気が来ていないんだから仕方ないのか。だけど、それなら被災地の公衆電話は全て無料というその被災地は電気もちゃんと通っている被災地でそれなら携帯のアンテナも立っているだろう。ラジオでも詳細はこちらとサイトアドレスを読み上げ続けているけどこういった情報のほとんどは肝心の被災者には全く意味の無いものとなっている現実が悲しい。

踏切は全ての電車が止まっているので遮断機の棒が取り外されている。この私鉄の単線だけでなくJR東北線も。

家に帰る。揺れたら持って逃げるカミさんと僕のデイパック。全財産がこんなちっぽけなバッグの中に。いやここに入っているのは財産ではなくてほとんど預金高の無い通帳という紙だった。ワタシ大げさに言いました。

おやつにひな祭りの残りのひなあられを。お菓子の買い置きは普段から無いので甘い物が貴重。今までで食べたひなあられの中で一番美味しかった。やることが無いので新作のためのアイデアスケッチやデッサンをしたり文藝春愁で芥川賞を読む。苦役列車が読みたくて購入し、それを読み終えて放っておいたのでこんな事がなければきっと同時受賞の「きことわ」は一生読む事が無かっただろう。だけど。ものすごく良かった。最近読んだ短編の中で一番良かった。僕は読書中にあまり映像が頭に浮かばないのだけど今思い返しても小説を読んだと言うより、映画を見たような記憶として残っている。ふたりの少女の髪の毛が渾然一体となっているところとか絵を見るように目に浮かぶ。こんな体験は初めて。素晴らしいです、朝吹真理子さん。普段と違う状況での読書だったからっていうことは無いと思う。次回作も読んでみたい。

ラジオの発電機を回すカミさん。愛犬小春はなんでこいつら一日中いるんだろうと思ってるのかも。

夕食のご飯を土鍋で炊いた。面川さん(*3)のつや姫とひとめぼれを半分ずつブレンドしてみた。普段僕はダッチオーブンでご飯を炊くんだけど、使用後少ない水で洗うのが大変そうなのと温かいダッチオーブンを洗うのには冷たい水ではなくてお湯を使わないと割れる危険性があるのでカミさんが玄米を炊くのに使っている土鍋を借りた。キャンプだけではなくて日常の生活で米は電気炊飯器ではなくて火で炊いているからこんな時は困らない。我が家では電気炊飯器で米を炊く事は無かったので母親が外出していても夕食前に無水鍋でご飯を炊くのは子供の頃の僕の役割だった。だから米炊き歴はもう40年近い。今でも役に立ってます、ありがとうお母さん・笑

キャンプで使う折りたたみの箱に今ある食べ物をまとめた。まだもう少し何も買わずにやっていける。

炊きたての銀シャリ、白菜の即席漬け、青森八戸のB級グルメ「バラ焼き」の肉抜き。つまりタマネギ炒め。だけど専用のタレで味付けしたのでおいしい。それに目玉焼きに味噌汁。友だちの農家と契約して平飼いの有精卵を毎週月曜日に持ってきてもらっているのだ。こんな時だから今日は無いだろうと思っていたら夕方持ってきてくれた。お互いの無事を喜びガソリンを買うための情報交換。他、ばっけ(ふきのとう)味噌。昨日の鍋に味を付けた汁の夕食。

今夜も余震に備えて普段着のまま寝る。関東の一都六県では初めての計画停電が実施されるとの報。


◆震災5日目◆(2011/3/15)

今日も5時に起床。相変わらず断水、停電、電話・携帯・ネット不通。ガソリン無し。灯油とガスは今のところ大丈夫。朝食後いつものようにキッチンペーパーで汚れを拭き取る。

冷凍庫には炊きたてのご飯を冷凍したモノの他にはブリのアラと挽肉が2パック入っていた。5日目を迎え少し溶け始めてきたので料理してしまう事に決める。挽肉はひとつは傷みにくいように濃い味の肉味噌にして残りひとつはタマネギや残りふたつになったニンジン、トマト缶を使ってトマトソースを作る。これをベースにいろいろアレンジして食べていく。

ブリのアラはお湯をかけて臭みをとってカミさんがブリ大根に料理する。

味をしみこませる料理の時はいつも土鍋でひと煮立ちしたら火から下ろして毛布でくるんでゆっくり火を通しながら味をしみこませる。

トマトソースは僕が担当。頻繁にミートソースを作っているから慣れている。いつものように中華鍋で一気にたくさん作る。その後ストーブに載せておく。後でいろいろアレンジする事を考えて塩を少し控えめ。このままスープとして飲むなら皿で一塩必要な塩分量。

肉味噌に合わせるのは母親の郷里の八丁味噌。正月に帰省した折にもらっていたモノ。八丁味噌最高。

昼食のためにトマトソースの上にステンレスのざるを載せ炊いてあった米を蒸して温める。

雨の予報。防災担当大臣を自任したカミさんが生活用水確保のため雨水を貯めます。というので屋根の下にセメントを練るのに使う「船」を置く。

今日の小春の散歩は小雨となる。

昼食の準備をしていると近所で仲良くしたいただいている方が出来たて熱々のお好み焼きを持ってきてくれる。「おら、担当範囲広いから行かなきゃいけないところまだまだあんだ」と言うのを無理言って居間に上がってもらって少しおしゃべり。

できたばかりのブリ大根を少しだけお土産に持っていってもらう。

お好み焼きの他に京菜もいただいた。昼食はお好み焼きと出来たばかりのトマトソースをリゾット風にご飯にかけ塩味を足すために粉チーズをたっぷり降りかけていただいた。お好み焼きおいしかったぁ。昼食後残り少ない貴重なガソリンを使って国道を走りガソリンを買いに行く賭けに出る。昨日卵を持ってきてくれた友人に聞いた、おととい40L買えたというガソリンスタンドを目指して。長蛇の列に並ぼうとしたらここまでで終了ですと前の車で切られて意気消沈して帰る。結局ガソリンは消費しただけ。帰路、また長蛇の列を見つけ並んでみる。入った事の無いセルフのガソリンスタンドだ。列の前のおじさんに聞くと、3時過ぎにこの辺りの停電が復旧するからガソリンを販売するはずだという情報で集まってきたのだと言う。ガソリンスタンドが開く気配は全くないが携帯のアンテナが3本立っていたので残り少ない電池で母親と妹、その他、最低限の連絡をとる。残り少ない電池を60件ものスパムメールが消費していくのを見て怒りを覚える。(この件については別途エントリーするつもり)被災して命の連絡をする電源が切れそうな携帯に今もたくさんのスパムメールが送信されているはず。これはもう殺人に近い。地震にからめた文章の悪質きわまりないメールは削除しないでとってある。ひどい。ひどすぎる。

連絡がとれた隣町では水も電気もガスもOKで風呂に入っているという話を聞いて力が抜けてガックリくる。こちらでは相変わらず全てのライフラインが途絶え給水所に行くための最後のガソリンまで危うくなっているというのに。もちろん被災後風呂には一度も入っていない。温かい日に濡れたタオルで体を拭くのが精一杯だ。ガソリンを無駄遣いしないように車に積んできた水タンクに帰路小学校で20Lの水をもらう。給水所のそばでは屋台が営業して大判焼きを売っていた。我慢できずにひとつづつ買った。

これからの携帯の電源確保を考える。充電池はあと4本。だけど充電池ではあまり充電できていなかった。携帯充電もランタンと同様エネループには不向きなのかもしれない。本当の電池でないと。それと何ヶ月か前に充電した古い電池パックがひとつあるから放電が少なければ使えるのだが。

新作のアイデアを描いていたクロッキー帳の裏に震災後の日記を書き付けていた。この文章はそれを見ながら書いている、

GENTOS LEDランタン(エクスプローラー)のお陰で停電でも台所は明るく調理に不自由は無い。

保温していた土鍋の毛布を外してブリ大根を盛る。

夕食。午前中に作った肉味噌、ばっけ(ふきのとう)味噌、自家製干し大根の煮物、白菜漬け、京菜の味噌汁、ごはん。


◆震災6日目◆(2011/3/16)

雪の朝を迎えた。灯油のない避難生活を送っている人はもちろん、誰にも知られずに救助を待っている人がまだたくさんいるはず。この寒さで命が奪われないか心配。

梅の花に積もった雪。新聞が配られる時間が少しずつ早くなってきている。

玄関にならんだ予備の生活用水、飲料水、ガソリンを入れたい携行缶。中東の紛争のあおりでガソリンの値段が朝と昼で変わる日もあるくらい値上がりしていたため、いつも満タン買いのガソリンを20L買いにしていた。草刈り機や急に足りなくなったときのために携行缶にも常に20Lのガソリンを入れて保管していたのに、たまたま全て空に近い状態でこの地震を迎えてしまったのが今回の地震のおおきな失敗。軽くして燃費を良くするというカミさんの考えで普段からカミさんの車は満タンにしない事が多かったので2台ともほとんどガソリンが残っていなかった。教訓として携行缶は常にガソリンを入れた状態を保つ様にして車はいつも満タン買い。

昨日から防災担当大臣になったカミさんから、凍っていたモノが溶けてきた冷凍庫の代わりにキャンプの時のクーラーボックスを使うので今朝積もった雪を入れるようにとの指示!なるほどと雪を詰める。(数日後、福島原発の放射能汚染をカミさんが心配し全て捨てる)

昨日おいた船に雨水もたっぷり入っている。これでトイレを流す事ができる。(同様に数日後、福島原発の放射能汚染をカミさんが心配し一切使わない事にする)

早速真空パックの鳥肉と買い置きのバターなどを雪のクーラーボックスに移す。

冷凍庫の中に最後まで残っていた鳥肉は濃い味で土鍋で煮ていた。これもブリ大根と同様ひと煮立ちしたら毛布でくるんで保温すると煮たものとは明らかに違う柔らかさの鳥肉の煮物になる。今回は傷まないようにかなり濃いめの味付けにしているようだ。

昼前に雹がすごい勢いで降ってくる。救助を待つ人の姿が陽炎のように頭の中に浮かんでは消える。寒さに耐えて頑張って欲しい。

ブリ大根、自家製切り干し大根の煮物、いただいた京菜の手前味噌の味噌汁。ごはん、いただきものの梅干し。枝豆の醤油ひたし。きのう近所のひとり暮らしのお婆さんの様子を見に行ったカミさんが凍らしていたけど溶けてしまったと茹でた枝豆をもらってきた。さやから出してあわ漬けというおいしい醤油を回しかけておいたら絶品の一品になっていた。ありがたい。

まだ冷凍庫で凍らせていた米は半解凍くらいに凍っている。蓄冷材代わりに冷凍庫に入れて食べないでいた白米を夕食用に出しておく。

夕方、愛犬小春と田んぼを散歩する。

昨日作ったトマトソースを少しとりわけカレールーを入れてトマトカレー。白米をバターでソテーしながら解凍し温めた上にかけて夕食。普段食べているカレーより断然旨かった。近所の方にいただいた京菜ともやしをさっと茹で昼に煮た鳥肉をチラして和えたものとこれもいただいた解凍枝豆で作った一品を添えて。M7(阪神大震災レベル)以上の余震の来る確率は70%から40%に下がったという。6日目にして初めて普段着ではなく寝間着に着替えて寝る。なんて温かくてゆったりしている事。この日、やっと熟睡できた。


◆震災7日目◆(2011/3/17)

庭の梅の木にメジロがやって来た。被災7日目にして家の中で携帯電話のアンテナが3本立った。母親とメールではなく電話で話した。涙ぐんでいるようだった。こちらは陸の孤島で手も足も出なかったけど、その間に毎日テレビで地震のニュース映像を見ていたら心配になるのは当然。申し訳ない気持ちになった。昨日携帯で連絡をとろうと雪の中自転車でアンテナが立つところまで走ったりして風邪気味。体調を戻すために朝食を抜く。

炊く前に小豆入りの玄米をストーブの上で炒るカミさん。

淡々と耐久生活を送るしか無かった日々。僕は読書したり日記を書いたりデッサンをして写真を撮っていた。カミさんは歌の練習をしてリトミックの教材を作っていた。色鉛筆も大活躍していた。午前中、災害7日目にして電気が復旧した。

カミさんのお父さんから近くのガソリンスタンドでガソリンが買えた、と連絡が入り隣町まで出かける。ものすごい長い列が国道から山の集落の細い道の遙か先まで続いていたが並ぶと整理券を渡された。この整理券をもらった人はリッター150円×20リッター=3000円だけ売ってもらえるのが確実なので心配しながら待つ事はなく安堵しながら並ぶ。

半日かかって被災7日目にして20Lのガソリンを買う事ができた。ほっとした。だけど並んでいる間にガソリンが無くなる心配があったので移動するとき以外はエンジンを切ってヒーターもないまま並び続けたために吹雪の中、完全に風邪をひいてしまった。

朝からガソリン買いのためずっと車の中、今日初めてまともな食事をとってそのまますぐ寝る。絶不調。絶不調だけど僕は自宅の温かい布団で眠る事が出来る。避難している人や今、まだ救助を待っている人たちは風邪をひき体調を崩した中、空腹を抱え寒いところで毛布1枚、もしくは着の身着のままで寒さに震えて耐えているのだろう。。。


◆震災8日目◆(2011/3/18)

僕らの布団で眠る、愛犬小春。小春のベッドは別にあって絶対に僕らの布団には乗らないように躾(しつ)けてあるのだけどひとり(1匹)で今回の大震災を向かえたため大きく揺れると怖さがフィードバックするようだ。この写真を撮った朝も直前に大きな余震があって飛び上がり思わずカミさんと僕の間に来て布団に乗って伏せている。さすがにそれでも「自分のベッドに戻れ」とは言えない。黙認する。

完全に風邪。カミさんが次々と出してくれるモノを言われるまま飲む。梅エキスに続いてシェラカップで本葛(くず)を練ったもの。

梅干し番茶。洗面所に塩番茶を作っておいたから時々うがいしてね、とカミさん。

この日、ほとんど布団で寝ていた。情けない。今回あって本当に良かった手回しで発電、蓄電できるライト&ラジオと頭に付けられる(つまり両手が使える)モンベルのLEDライト(*1)。

GENTOS LEDランタン エクスプローラー。なんて幸せな安心の明るさ。

充電池、エネループと充電器。

昼食は昨日のトマトカレー。

僕は食べたら一刻も早く風邪を治すために布団へ。即席防災担当大臣のカミさんは雪が溶け始めたクーラーボックスに底冷えで出来た氷を割り入れていた。(この後、福島原発のニュースで放射能を心配し全て捨てていた。)

天井までの作り付けの本棚がある家が夢だったので作った本棚。画集や単行本、文庫本とそれぞれの高さに合わせて棚の高さを変えて作っていたせいかどうかはわからないけどこの大きな吹き抜けの2階の天井まで届く本棚からは1冊の文庫本も落ちる事は無かった。少し前に出ている本はあったけれど、ほんの数ミリ。地盤が本当に固いんだな。


◆震災9日目◆(2011/3/19)

風邪がだいぶ良くなっている。良かった。トマトソースに少し塩胡椒してスープにしてカミさんのパンで朝食。風邪なので少しだけにする。というかこれが僕のいつもの朝食の量。

今日は温かい。気温を味方に強力粉でパンを焼こうと生地を練るカミさん。

大根の煮物、梅干し、肉味噌、友だちのお百姓さんの卵、八丁味噌の味噌汁、白米の昼食。

午後、仕事場に生活用の水を被災2日目以来、再び入れに行く。カミさんの大好きなふきのとうが仕事場の土手にたくさん生えていた。カミさんは喜んでいくつか摘んでいた。僕は大嫌い。どこが美味しいのかわからない。温かい日になったので病み上がりだけどふたり共、仕事場から持ってきたお湯を沸かして髪の毛を洗った。普段はカラスの行水な僕だけど流石(さすが)にゆっくりお風呂に入りたい。

パンが焼き上がった。家にはガスオーブンが無いのが本当に残念。ガスオーブンがあればもっといろいろ料理の幅が広がるんだけど。家を作ったときにどうしても(予算的に)そこまでは出来なかった。

トマトソースで茹でたペンネを少し煮てピクルスやカミさんの和え物や手作りのパンで夕食。


◆震災10日目◆(2011/3/20)

3日前に買うことができたガソリンはカミさんの車。朝一番から僕の車用にガソリンを買うためにどこかのガソリンスタンドに並ぶと決めていた。宛て無く車で走り始めると隣町のガソリンスタンドに40台ほどが止まっていた。そこに並んでみる。車を止めて営業をしていないガソリンスタンドまで歩いて様子を見ると「災害復旧や緊急車両以外の一般の車には一切ガソリンを販売しません」「整理券は配布しません」との大きな貼り紙。そんなところで2時間も待ったのであきらめて帰ろうとしたら整理券が配られた。43番目。3000円分のみ。販売は11時〜4時だから改めて来てくださいと言われてホッとして帰る道。延々とどこまでも続く車列。結局2時過ぎに行くと並ぶ事も無く3000円分のガソリンを買う事ができた。良かった。これでしばらくは心配しないで動く事が出来る。

小学校へ飲料水をもらいに行く。窓には市役所からのいろいろな連絡が貼られていた。営業をしているお店、給水所、避難所その他。階段の下と地面との間には深く大きな空洞が。4月から小学校はどうするんだろう。卒業式はどうするんだろう。

愛犬小春との昼の散歩ではあぜ道にオオイヌノフグリが満開。早く温かい春が来て欲しい。

庭の畑で食べ残したルッコラに花が咲いていた。思わず小さな葉の先を摘んで食べてみる。独特の苦みと香りが口中に広がった。

昼食。小豆入りの玄米、部落の方にいただいた手作りの梅干し、大根の煮物、鶏の煮物、八丁味噌の味噌汁。

夕食。トマトソースにパスタをからめ粉チーズを振って夕食。いつもなら週に4日は晩酌しているんだけどもちろんずっと飲まずにいつでも避難出来る体制で過ごしていた。被災10日目。大工の棟梁の奥さんにバレンタインにもらったスーパードライの缶ビールあけて飲む。あっという間のような長かったような10日間がすぎた。僕とカミさんと愛犬小春はこの10日間、ほとんど朝から晩まで24時間一緒にいた。まずは一区切りだなぁと思いながらビールを飲んだ。いつも休肝日のため2日休んだ後のビールは美味しいのに、何故か今宵のビールはおいしいのかどうか良くわからなかった

 

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