さよなら、棟梁

とても大好きだった方が62才の若さで亡くなった。どうにも気持ちの持っていく場が無くて超個人的エントリー。


「くそっ」思わず声に出した自分の声に(あ、またやった)。こんなことをこの数日、何度繰り返しただろう。。。
 僕には宮城に引っ越してきて仲良くなった大好きな大工の棟梁(とその奥さん)がいる(このエントリーではこの後「棟梁」と呼びます)。「暑くなったなぁ。負けずにがんばって石を彫って近いうちに週末にでも棟梁と奥さんとうちのカミさんと4人、冷たいビールで乾杯していろんな話をしよう」と考えて「あ、これはもう2度と叶わない事だったんだ」と気が付いてまた「くそっ」。「くそー!」
 年齢で言えばひとまわり以上違う棟梁。恩人であるのに「友だち」のように付き合ってくれた方が突然逝ってしまった。まだ62才。隣町の現場でいつものように仕事をしていた棟梁は夕方、倒れたそうだ。すぐに運ばれた病院ではまだちゃんと自分の名前を言ったけどここでは手に負えないと運ばれた大きな病院に着いた時にはもう意識は無かったそうだ。そして4日後、家族や友人に別れのあいさつをすることもなくそのまま逝ってしまった。
 僕が宮城に越してきて最初に借りた仕事場はここを全部買うという人が現れ出て行かなくてはならなくなった。その時、棟梁は「国道に面した平らな土地があるから使いな」と自分の土地を貸すと言ってくれた。馬鹿な僕は「国道に面しているとうるさいしいいです」なんて言ってその好意を断った。結局、数ヶ月さんざん探してこれという仕事場が見つからず棟梁に「やっぱり貸してください」と言う羽目になる。よそものにも優しく、若者に優しく、僕の様な馬鹿者にも棟梁は優しかった。その仕事場は国道に面しているから大型車両も入れるし静かだし広く平らだし大雪が降っても国道は除雪車が除雪してくれるという最高の仕事場だ。1年に1度、真夏にその仕事場の無料のような賃貸料を払いに行くと「上がったらいいべ」といっていつも冷えたビールを出してきていろんな話をしてくれた。モノを創るという同じ事をしているからか共感出来る話が多いし料理上手の奥さんのつまみが美味しくていつも楽しい時間だった。何年目からだろう、いつも客間に通されていたのが家族がくつろぐ茶の間に通されるようになって最初からおじいさん、おばあさんたちと一緒に過ごすのがあたりまえになった。時々カミさんも一緒に4人で居酒屋に行ったり寿司屋につれて行ってもらったりした。一度も払わせてもらえなかったけど。
 借家の老朽化が激しくなり家を建てることになった。すぐに棟梁に相談に行ったけど僕らの予算があまりにも少なくて棟梁に作ってもらうわけにはいかずアドバイスだけたくさん教えてもらって結局カミさんと自分で作ることになった。サッシ周りの処理をどうしていいかわからなくて困っていた時に現場に来てくれて質問しまくり。解決策を示してくれただけじゃなくて午後、道具をたくさん持って木材の外壁を奥さんとふたりであっという間に張って仕上げてくれた。
10061701.jpg
そしてスライド丸鋸などの道具を我が家の完成まで置いていって貸してくれた
 3階の僕の部屋への階段は棟梁に「仕事」としてお願いして作ってもらったものだ。朝一番から作ってくれて夕方、仕事から戻った僕とふたりでかけた。きっちり作った階段はなかなかはまらず二人ですったもんだしてはめ込んだのが今でも懐かしい。あれは棟梁との一緒の仕事だったな。はまった後の階段は一分のスキもなく今でもあたりまえのようにそこにあります。僕にとっては形見だ。そして階段をはめた後そのまま我が家でみんなで宴会。懐かしい。
 前の日まで元気で、仕事をしていて突然逝ってしまった棟梁。奥さんはさよならを言うことも叶わなかった。その寂しさを想像すると泣けてくる。俺もお別れは嫌だけどお別れなら「さよなら」と言いたかったよ。奥さんは読みかけだった文庫本とこれから読もうとしていた文庫本も一緒に入れてあげたというから今頃読んでいるのかも。あまりに突然で告別式にも間に合わなかった僕は式の終わった夕方にカミさんとあわててかけつけた。寝ようとしても寝られない夜を何日も過ごしている奥さんは、僕らが帰ったらひとりになってしまう寂しさに負けそうで時々朦朧としながらも一緒に折り詰めを開けてご馳走をつつきビールを飲みながら棟梁の事をひとつづつ思い出しながら遅くまで語り合って、最後はみんな泣きながら家路についた。
 叶うならあと一度でいいから話をして元気にしてもらいたかった。一緒にビールを飲みたかった。そして言いたかった「本当にありがとうございました」。
 石の野外彫刻を創っている、というと「死んだ後にも作品が残っていいですね」といつも言われる。だけど僕には死んだ後の事なんか関係無いと思っていた。出来るなら作品を建てることで(死んだ後の事はどうでもいいから)今、現在一緒に生きている人々(さらに言うなら同世代の人々)と深く手を結びたいと思っていた。同じ理由で、墓もいらないと。だけど亡くなってしまった人(棟梁)と手を結びたい、という気持ちを今回、強い実感を持って味わってしまった。単純に年をとったということなのだろうか。朝から寝るまでなんだかんだと言うカミさんに時々むかつきもするけど、もしカミさんが突然死んでしまったら誰にも突っ込んでもらえなくなると思うと逆にぞっとする。
 棟梁が突然死んでしまってこの気持ちをどう納めていいかわからない。他に術が見つからないので今の気持ちをそのまま石に彫り文章に書いておく。
 さよなら、棟梁。
 くそー。