大震災から1年

 昨日までテレビは津波の映像を流し続けていた。そして頑張れと。国は消費税を上げようと頑張っている。東京電力は電気代を上げようと頑張っている。
 ひと区切りつけたので、次は1年後となりませんように。僕はなんか「記念日」にしたくなくて「日常」で過ごした。だからと言って各地の脱原発のイベントや1年間みんなよく頑張ったね等のイベントを否定しているわけではありませんよ。 僕は阪神淡路大震災が起きた時、チャリティー作品展に出品したりしたけど地震の事を次第に忘れていった。その事を自戒しなくては。だから今回の事は1年前の今日、爆発して放射能のあるそれまでとは違う世界に生きざるを得なくなった事も含めて「忘れない」という事を大事にしていかなければ、と思っている。
 昨日のツイッターを抜粋しておく。

あの日から1年目の朝を前橋で迎えた。これから熊谷に彫刻を持って行く。この1年間の事を振り返ると怒りで血が沸騰しそうになるので無心に祈って過ごそう。「その時」は高速で福島県辺りを走っているだろう。合掌。

きっかけは最低だったけど新たに出会えた皆さん、再び出会えた皆さんに感謝しています。どうもありがとう。

一般道を走行中だったのでコンビニに止めて黙祷した。これから東北を目指す。

ただいま。遅レスごめんなさい、ありがとう。変らない現実に怒りも感じるけれど淡々とした日々が「ある」喜びを噛み締めました。

1年前のこの時、車で4時間かけてやっと仙台の先生のお宅でレッスンを受けて被災したカミさんに再会できた時間だ。その時、地震の後降りだした雪がやんで見上げた空には今にも降ってくるくらいに星が輝いていた。帰路、街灯は消え信号も消えていたけど大きな交差点も皆が譲りあって整然としていた。

電気が無く、水も無く、情報も無く、大きな余震が続く不安な夜でしたね。それから1週間、ジーンズに上着の普段着で寝ていました。