ジョバンニの牛乳

えずこホールに演劇公演「ジョバンニの牛乳」を見に行く。

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お友だちの石神バーバさんが出演しているので。
東京にいるときは良く舞台を見に行っていたけど、最近はその機会が無い。何年振りだろう。
しかも今回の演劇は構成演劇というものらしい。

従来の劇作家のテキストをそのまま上演する形式と異なり、グループワークで寸劇やダンスなど様々なシーンを自分たちで創作する。それをストーリーとは別の抽象的な関係性を探りながら並べていき、ひとつの大きなイメージとして具現化する手法。その題材は時として文学作品であったり、集団の主張であったりする。
※えずこホールサイトから引用

なんか難しそうだなぁ。大丈夫かなぁ、と思っていたけど始まったら笑いっぱなし。ある学校の文化祭のテーマが「銀河鉄道の夜」になったらという短編のオムニバスのようだった。観客ものっけからいじられる。僕は心がオープンマインドな人間じゃないので、こういういじりのある構成は実は嫌い。「俺のところには来ないでくれ」と願いながら見ていたのだけど今回に関してはこのいじりも舞台を一層盛り上げていた。僕の隣の人がいじられている間、僕にはからまないでくれと願いながらもあまりにおかしいやりとりに腹が痛くなるほど笑っていた。

駐車場でみんなでお母さんの演劇を見に来た石神バーバさんの家族に会ったので、隣の席で一緒に見せてもらった。旦那さんは奥さんが出るのがちょっと恥ずかしいと言っていたけど(わかる!僕が歌を歌うカミさんを見るときも同じ)一番下の娘さんは体を乗り出して舞台を見ていた。家庭では見せる事のないお母さんの顔を見るのはお子さんにとってきっと素晴らしい事だろう。

終盤、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の最終章「ジョバンニの切符」の中でも有名なラストのシーン(下に転載しておきます)を、舞台上に並んだ大勢である部分は数人で、ある部分は独白で、ある部分は微妙にずらしながら数人が読み上げる、というやり方で一気に読み上げだのだけど、なんか素敵な演劇体験だった。

「ジョバンニ」「カンパネルラ」という言葉の響きはもうそれだけを鼓膜で震わせるだけで心地良い。

「カンパネルラ」

なんか親しみやすいような遠いところにあるような楽器の音のような素敵な響き。

思いがけず楽しい時を過ごす事が出来た。ご苦労さま、ありがとう、石神バーバさん
滑舌も動きも良いし、普通に役者として見てましたよ。昔取った杵柄は伊達じゃないですね・笑

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以下、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(青空文庫)より転載。

 そのときすうっと霧がはれかかりました。どこかへ行く街道らしく小さな電燈の一列についた通りがありました。それはしばらく線路に沿って進んでいました。そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さな豆いろの火はちょうど挨拶あいさつでもするようにぽかっと消え二人が過ぎて行くときまた点つくのでした。
 ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしまいほんとうにもうそのまま胸にも吊つるされそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白い渚なぎさにまだひざまずいているのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行ったのかぼんやりして見分けられませんでした。
 ジョバンニはああと深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙なみだがうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧わくようにふうと息をしながら云いました。
「あ、あすこ石炭袋ぶくろだよ。そらの孔あなだよ。」カムパネルラが少しそっちを避さけるようにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥おくに何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。
「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄にわかに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫さけびました。
 ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕うでを組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯こう云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座すわっていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲丸てっぽうだまのように立ちあがりました。そして誰たれにも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉のどいっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

※今回の件と直接関係ないのだけど、青空文庫で「銀河鉄道の夜」を検索していて面白い考察をしているページを見つけた。また読み直せるようにメモしておく。
ジョン・レノンの「アクロス・ザ・ユニバース」と宮沢賢治
 -芸術の創作過程に夢が介在する時-