旅立ち

カミさんのお父さんが 2015年3月4日の朝7:30頃、旅立ちました。肺がんでした。

月に何回か東北から埼玉まで見舞いに行っていたカミさんは当初、木曜日に出かける予定を早めて火曜日の朝に出発して、その日はそのまま病院に泊まりました。そして翌朝。苦しそうに酸素マスクの下で懸命に息をしているお父さんに「大丈夫、ここにいるからね」と手を握ってあげると、お父さんは一筋の涙を流して旅立ったそうです。父と娘、ふたりだけの病室で。78歳でした。

15031001

朝の7時頃に「山場かもしれない」とメールを受け取った30分後に「駄目だった」という電話をもらった僕は、急いで準備をして東北自動車道を南に向けてひとり出発しました。カミさんの弟が自分で設計施工したばかりの新しい家で、3日間を家族とごく親しい人たちだけで過ごし、金曜日にお父さんの願いどおり派手な葬式をすることもなく、家族だけで火葬にしました。僕とカミさんにとって、親を失うのは初めての事でした。

15031005

かけつけて最後を看取ることができたのもそうだけど、この数ヶ月でカミさんはお父さんにできる事を精一杯やってあげていました。先月は緩和ケア病棟のロビーにあったピアノで山崎ハコの「私の生まれた日」を弾き語りして聴かせてあげていました。僕がお父さんの涙を見たのはその時が初めてでした。お父さんにカミさんの歌が確かに届いていました。

亡くなったお父さんの手を握りながら、涙を封印して、必要なところに連絡を取り、段取りを組み、お客様を笑顔で迎え、頭を下げ、それから3日間にわたる「明るくお父さんを送る」という一大イベントをやり遂げたカミさんは立派でした。

いつもは、書かないでよと言われても、何でも書いてしまうことが多い僕ですが、この事はブログには書かないつもりでした。でも、カミさんが「友だちはブログ見てくれてるから書いていいよ。それで伝えられるから」というので7日目の今宵、書きました。もしこれを読んだらカミさんに声をかけてやってください。

15031002

家族だけで送った日は、青空と雲のきれいな日でした。

15031003

僕はゲンを担いで、しばらく酒を絶っていましたが、お父さんの傍らでカミさんと、カミさんのお母さんと、カミさんの弟夫婦と夜遅くまで、とことん飲みながら話をしていました。得難い時間でした。形見に人間国宝 金城次郎氏の徳利をもらいました。

このアルバムをずっとかけていました。