石材工業新聞に掲載

昨年6月に東京で個展を開催した折、亀川石材店亀川洋社長に取材をしていただいた記事が、石材業界の業界紙、「日本石材工業新聞」に掲載されました。作品についてや制作のことなど、聞かれたことにとりとめもなく喋ったことが、わかりやすくまとめられてます。亀川洋社長と、当ブログやSNSへの転載をOKしていただいた、日本石材工業新聞社にも感謝します。(日本石材工業新聞社からはわざわざ当該記事をpdfファイルにしたものを送っていただきました)。
下記に記事をスキャンした画像とpdfファイルへのリンクを掲載しておきますが、読みやすいようにテキストでも転載しておきます。

亀川洋の石日記
NO SCULPTURE NO LIFE
石彫家に聞く「石の魅力」とは?
vol.32

「石の魅力は、石の表面の処理の仕方を変えると、劇的に印象が変わることかな。
 これが今とにかく一番ハマっていることなんですが、例えば、お墓でも墓石の本体は磨きにして、他の部分は小叩きやビシャンにしたりという部分を墓地では見ているんですが、それを一つの作品の中に入れて磨きとビシャンで表現すると、途端に皆さんものすごく驚かれるんですよ。バラバラには見ているんだけれども、それが一つのもので出来るっていうイメージが無いみたいで、私の作品も『どうやって組み合わせているんですか?』って聞かれることがよくあるんです。
 また、鏡のように冷たいような感じとか温かいような感じとか、表面の見た目が劇的に変わるところ、変えられるところも石の魅力ですね。ですから見た目の違いが分かる黒みかげや赤みかげが好きです。

 石をやり始めたのは30歳の時に宮城に行ってから。大学生の頃は木彫と塑像でした。彫刻を作りたかったけれども、それで食べていくのは無理だと思ったので、中学校の美術教師になったんです。でも30歳の時に、今やらなかったら一生教師として終わるんだろうなと思い、彫刻家と教師の道とを悩んだ末に、彫刻家の道を選び、宮城に行って、それから石をやり始めたんです。
 直接的なきっかけは、まだ教員をやっていた頃の夏休みに、『福島にある別荘の前にオブジェを作って置いてほしい』と頼まれて、その頃は全く石を彫ったことが無かったんですけど、石を彫れる友達のところで夏休みに居候させてもらいながら一つ作ったんです。その作品を彫った時のあまりの楽しさ、あまりの面白さに、やっぱり教師を辞めようと思い、彫刻家になったんです。
 とにかく子供の頃から作るのが好きで、色んなものを作ってきたんですけれども、石の形を変えられるなんていうのは全く想定外でした。紙とか木とか粘土とかは、まぁ想定内の考え方で、何かを作れるっていうのがあったんですけれども、石の形を自分で変えられるなんてことは考えたこともなかった。自分で石の形を作れるってとても面白くて新鮮だったので、それでここまでやってきちゃってるって感じです。

 石で二重螺旋を作るとか普通の人がやらないような、ちょっとやり過ぎな感じのものや、どんなものが石で出来るのかを色々と考えてやってます。最近は伊達冠石の石そのものの魅力、石が主役っていうような作品や、僕がコントロールしたんじゃなくて、石がうねって割れちゃった部分、そこを大事に活かした作品などを作っています。
 初めの頃の作品ですが、石を割ったら全然予定外の所が割れちゃったんですよ。それでしょうがなく割れた形に沿って形を作り直したんですが、すごく良い作品になって。もし、きちんと割れていたら成立しなかった作品ですよね。イレギュラーに割れたことが神様からのプレゼントだったのかなぁなんて自分では思っているんです。割れた石の肌って見ているだけでうっとりしちゃいますね(笑)。

 作品のコンセプトは、基本的に人間関係が根底にあるんですけど、人間関係が上手く出来なくて行き過ぎるとか、足りないとか、そういったことってありますよね。人間関係が上手く出来る・出来ないっていうのは、人との距離感だと思うんですよね。距離感が遠過ぎる、近過ぎるとか、きっとそういうことなんだと思うので、その距離感を隙間にとらえて、隙間があるから美しく成り立つような形というようなものをテーマに制作しています。
 あとは割り戻しで境界・距離感をテーマにした作品を作っています。昔は一つだったが、割れてしまってもう二度と再びくっ付くことは出来ないんだけれども、割れた形は揃う訳ですよね。親密なんだけれども絶望的に分かれている。そういった距離感が見えるような作品にしています」。


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日本石材工業新聞 第2093号(pdfファイル/1.5MB)