石の上の虹と彩雲

朝。玄関のタタキ仕上げの白御影石の板石に落ちる虹。

麦畑。

たんぽぽ。

今日の昼食は LALDI のカレー。

人参グラッセ、豚肉のソテー、蒸したじゃがいもをトッピングしたから、というのもあるだろうけどカルディのレトルトカレー美味しい。

今日の彩雲。

アップ。

仕事場に物取りに来たらテント強風で外れてた。

着陸態勢に入ったピンク色の宇宙船みたいな雲。

仕事場に物取りに行ったついでにセブンでなめこと鳥ささみ揚げ買ってきて白石温麺。

贅沢な”うーめん”になった。


昨年の9月15日に亡くなった樹木希林を追うように3月17日に肺炎で死去した内田裕也さんの昨日開催されたお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」で喪主を務めた長女のエッセイスト内田也哉子さんの謝辞があんまり素晴らしかったので転載。あれだけ才能あるふたりの子とはいえこの文章、この朗読。胸に迫る。

私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。

私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。

そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。

母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。

もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれでも、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。

79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

Fuckin’ Yuya Uchida,

don’t rest in peace

just Rock’nRoll!!

→日刊スポーツサイトより転載

歌も歌ってるんですね。多才!

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