字幕とウインカー

 「洋画離れが進んでいるのは若者の字幕嫌いも原因か」というニュースを見てちょっと驚いた。個人的には字幕を読みながら映画を見るための練習をした記憶もないし、慣れないうちは難しかったという記憶もない。小学校5、6年の時に劇場でサウンドオブミュージックを母親と見たときも字幕だった。そういえばアメリカ人は字幕を読みながら映画を見るということが難しいので外国映画はほとんど吹き替えという話を聞いたことがある。
 絵を見たり描いたりする時に使う脳の部分と文章を読んだり書いたりする時に使う脳の部分は違うらしいが、視覚的な表意文字である漢字と表音文字のひらがなやカタカナ、そしてアルファベットまでごちゃ混ぜにして文章を書いたり読んだりする日本人はもともと頭の使い方がフレキシブルだという話を聞いたことがある。だから漫画が日本の文化として定着したのも不思議はない。絵を見ながら吹き出しの中の文字を読んでストーリーを追っていく、と言う作業は「普通に」できること。だけど今の日本ではアメリカのように字幕を読みながら映画を見ることに努力が必要になっているようで驚いた。
 と、ここでちょっと話が飛ぶけど最近、車の運転をしていて感じるんだけど車線を変更する車や道を曲がってコンビニなんかに入る車がウインカー(方向指示器)を出さないこと、出さないこと。車の少ない田舎だけかと思っていたけど先日都内を走っても同じだった。もしかして車の運転中に道を曲がるという「高度」な作業をする時にウインカーを出すなんて作業まで同時に出来ない、ということなのだろうか。字幕を読むのが”面倒くさい”なら吹き替えを見ればいいけど運転中に道を曲がる時にウインカーを出すのが”面倒くさい”人は車を運転しないで欲しいなぁ。危ないよ。