コントロール・核・人

東日本大震災から3年が過ぎた。

一週間、テレビもネットも見られなかった。手回しで発電できるラジオからのニュースだけが便りだった。それさえ、どこでガソリンが買えるか、原発がどうなっているのか、本当に欲しい情報は手に入らなかった。

テレビでも新聞でも、何かと言えば「絆」と言っていたこの国は今、リーダーを含めて他国に向かって攻撃的な言葉を投げかけている。強い結びつきを示す言葉でもある「絆」はひとりで立ち上がる力が戻ったときにすら、仲間に結びつけておこうとするような力を感じて、僕は3年前から聞くのも嫌だ。絆、絆とばかり言っていた3年後が今の状況になってしまったのはとても残念だけど、内向きの絆を求めようとするなら、それは必然だったのかもしれない。外に敵を作り非難すればさらに結束は高まろうというものだ。

そして明日は、この国が原発事故の放射能で汚染されてから3年だ。

深刻な事故が起こっても、原発のある世界を目指す人達が見ているのは、そこから得られる利益だけで、たとえその途中で深刻な事故が起こって放射能が撒き散らされても、そのせいで困難におちいった人や、放射能を大地や体に振り撒かれた人の事は無視し、いなかったことにするのを、3年間毎日見せつけられた。
汚染水がコントロール出来ているとは思えないが、国の首相が世界に汚染水はアンダーコントロールと言い放ってもアンダー・コントロール下のメディアや人々からは非難されない現実を見た。

原子力の平和利用と言いながら核兵器への転用や核抑止力という軍事目的のためにも存在させている、というのが本音だろう。

核や原発を捨てる未来を目指す人間の未来と
核や原発を威嚇や経済のために手放さない人間の未来を
3年目の今日、改めて想像してみる。

 

 

この世界が徐々に荒廃した原野と化してゆくのを、わたしはまのあたりに見ています。

アンネ・フランク

 

 

♪Imagin♪

 

 

亡くなられた方々、未だ渦中にある方々、そしてこれからの世界を祈りながら手を合わせます。
安らかで、平和でありますように。No Nukes。