菅原文太さんが11月28日に死去していたことが報じられた。原発事故が起こっても原発に依存し、戦争へ近づいている国の姿勢に明確に反対の立場をとっていた人だった。その映画に接する機会は残念ながら殆ど無かったけど、農業の話、原発事故の後は脱原発、戦争反対について話す内容は自らの体験にもとづいている実感を伴っていて、いつも僕の心に届いていた。沖縄県知事選挙のスピーチは死の1ヶ月前だ。覚悟して使命感で「自ら立候補」してきたんだろう。そんな状況でもユーモアを交えて。でも手は震えている。改めて見ると凄みさえ感じた。きちんと戦争に反対し原発に反対する人たちが亡くなっていく。ご冥福をお祈りします。
2014年11月0日 沖縄県知事選挙「うまんちゅ1万人集会」
政治の役割はふたつ。
ひとつは国民を飢えさせない事。
( 安全 な食べ物を食べさせる事)
もうひとつは絶対に戦争をしない事。
2014年6月12日 東京・日比谷野音「戦争をさせない全国署名提出集会」
「七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機野菜を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」