結婚指輪の影

春の陽気。仕事場の石のテーブルでランチ。今年初、外ランチ・幸

でも写真見るとカミさんは寒そうだな。僕は上着脱いだけど。

両口屋是清の和菓子をもらったので、仕事場の石のテーブルで野点。(仕事場は水道とガスが無いので)ワンバーナーとシェラカップで。暖かくて美味しくて幸せ。

茶さじを乗せているのは仕事場に残った最後の雪。
(ここで野点しようって言って何年も待たせてしまってる友だち、ごめん。ちゃんとおぼえてるから!暖かくなったらやろう!)

黒御影石の三日月と満月。

石を削って削って埃まみれの一日だった。暖かかったなぁ。


本日のハートプロジェクト(一度やり始めるとしつこいよw)

【heart project No,12】shadow of wedding ring on Bible
#heart #heart❤️ #ロマオジのハートプロジェクト

石彫りを始めた時、最初は結婚指輪をしていたけど、ご覧の通りボコボコになり、以後指輪も腕時計も一切着けてない(笑)
写っているのは聖書だけど、僕は特定の人や宗教を信じない。あえていうならバリ・ヒンズーが一番近いかもしれない。バリ島の人々は悪いことを減らして良いことを増やせば、世の中が良くなるとは考えていないようです。大事なのは良いことと悪いことのバランスを取ること。良い神様と悪い神様の力が同じぐらいだと世界は安定します。進歩でなく、安定が大事。
写真に写ってる聖書のページは、園子音 監督の映画「愛のむきだし」でヨーコが叫んでいた一節。4時間近いあの映画の衝撃は今もここにある。やっぱ、愛なんだよ。


コリント人への第一の手紙13
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。