お盆の帰省 2011

 8/14〜17、東京の実家に帰省。
110814
 東北自動車道は例によってSOEKS01Mはずっと黄色表示。ただし前回より全体的に少し数値が下がっていた。アスファルト上のセシウムが雨で流れたのだろうか。ただし広範囲に拡散していることは変わらない。
110814
 途中、カミさんの弟のお店によって久しぶりの再会。夜、ご馳走すると誘ってくれるんだけどこーゆー時、犬連れは辛い。後ろ髪をひかれつつ実家へ。
110814
 両親、妹、姪っ子たちとの再会。会った途端、無精髭と中途半端に伸びた髪を皆に集中砲火され駅前の床屋で刈り上げる。
 中学生の姪っ子は区で選ばれてオーストラリアにホームステイしてきたお土産話とコアラの鍋つかみのお土産。歯が描いてあって怖い。
110814
 夕食時に親父作のごぼうのスープ。完全なオリジナルだというがこれがおいしい。ビシソワーズな感じ。ごぼうの香りが良い。今でも料理をする父親というのが目の前で見ても実感わかないんだけど。
110814
 例によってビール飲みまくり話しまくり笑いまくりの夜、母親が大事に育てている月下美人がいくつも咲いた。
110815
 翌8/15の朝食。美味しいパンにサラダと八丁味噌の赤だしの味噌汁が実家の定番。変でもそうなんだから仕方ない。ただし放射性物質に対抗するのに味噌はすごく良いらしい。期せずして両親は実践してた訳だ。(その為の習慣ではないにしても)実はカミさんと僕は最近、毎朝味噌汁を飲んでいる。以前より味噌が美味しく感じるのは体が欲しているのか思いこみか。
 先日、宮城まで訪ねてきてくれた友人と会う。その後、僕は東京に来た時の楽しみ。ラーメンを食べに行く。次いつ食べられるかわからないと思って2軒はしごした。みんなが驚く小食なのにラーメンならば食べれてしまった。もちろん美味しいラーメンだったから。だけどいくら東京といえど外食で内部被曝したな。
110815
 持参したダッチオーブンでラグーを作る。刺激臭がなくなるまでゆっくりと玉ねぎとニンニクの蒸らし炒めをする以外に特別な事はせず冷蔵庫にある材料を切って入れていくだけ。(玉ねぎの蒸らし炒めの凄さはこの本で勉強した)経験から野菜を入れる順番と野菜ごとに切る大きさは変えるけれど。後はダッチオーブンが野菜の水気を逃さずに煮てくれて勝手に美味しくしてくれる。トマト缶をたっぷり入れたかったが、なかったのでトマトやミニトマトを切って投入。
110815
 夕食。昨晩咲いた月下美人の酢の物。母作。まさかと思ったが体にいいらしい。いやいや食べたらまさかのおいしさ。月下美人の花がなんとも言えない歯ざわり。
110815
 午後煮た後ゆっくり冷えて味がのったラグーを温め直しパルメザンチーズをかける。
110815
 ポテトサラダは妹作。妹はポテトを結構しっかり潰す。これは僕も好み。僕と妹以外はあまり潰さないほうが好きのようだ。そして僕が作るときにはかなりたくさん入れるお酢も入っていないがこれはこれで有りだ。
110815
 大根おろしに徳島のすだちの皮をすって牛肉に添えたものがメイン。2日目の晩もビール飲みまくり。
110815
 愛犬小春は付き合いきれんと我が家のように完全にリラックスしてふて寝。
110816
 3日目。8/16。姪っ子たちが昼に帰る前にラグーに市販のトマトソースを混ぜてパスタに。
110816
 玄関や庭は花だらけ。母親が一人で世話をしている。
 夕方 SWEETS STORY へ。途中隣駅の溝の口へ。僕とカミさんはこの地から宮城で暮らすためにレンタルトラックに荷物を積んで出発したのだ。19年振りに駅前に立つ。いろんな思い出や考えが頭をよぎる。引越しして宮城で暮らすことにしなければ被曝することはなかったかもしれない。それでも、やっぱり宮城での日々がかけがえの無いものであったことを改めて噛み締めた。
 翌日。8/17。骨折して入院しギプスが外れたばかりの友人を見舞って帰る。反対車線(上り)の渋滞は宮城につくまでほぼ全線に渡っていた。下りはいつもより車の数は多いものの流れていた。インターを降りて我が家が近づくにつれガイガーカウンターの数値が少しずつ上がるのが切なかった。
 今回の東京行きで何人かの信頼する人たちからアドバイス、提案、激励の言葉をたくさんいただいた。いろいろ考えながらこれからの日々を過ごしていかなくては。