待ち合わせ

 先日、大切なものを引き継ぐために面識の無い、会った事のない市内の若いお母さんと待ち合わせる事になった。頼りは携帯の番号だけ。何回かのやりとりの後、お互いの都合がつくときに会う事になり
「住所を教えてもらったらナビで伺います。もしくはどこかで待ち合わせしましょう」と僕。
「家に来られるのはちょっとなのでどこかで待ち合わせを」(そりゃそうだ。知らない人が家に来るなんていったら怖いし超キモイ)
結局、誰でも知ってる市内のホームセンターの大きな駐車場で待ち合わせる事になった。
「じゃあ、誰かわかるように帽子をかぶって立ってますね」と僕。
更にひき気味な声で「あの、着いたら携帯かけますから」(そんな事しなくて全然、大丈夫ですから)
 そうなのだった。今の若い人の待ち合わせは時間も場所もアバウトに大体決めておけば後は現地で携帯をかけながら会うのだった。電車の中で「あ、今、電車で向かってるとこ。え、もしかして同じ電車に乗ってんの?じゃぁちょっと移動してみる」と電車の中で待ち合わせに成功した女子高生を見た事がある。
 僕たちの時代の待ち合わせは大変だった。
 ただ、待ち合わせの彼女にフられているだけなのに、駅の東口と西口を間違えたのではないか。西口で待っているのではないか。今からでも西口に移動した方がいいのではないか。まてよ、だけど西口に行っている間に遅れて来た彼女が来たらどうなる。誰もいないと思って帰ってしまうのではないか。ここはひとつ公衆電話をかけて確かめよう。だけど電話をかけに行ってる間に来てしまったらどうしよう。1時間30分も来ないのは何かあったにちがいない。やっぱり電話で確認しよう。だけど日曜日だからお父さんがでたらどうしよう。やっぱやめるか。
 もう、ヘトヘトなんである。(フられているだけです)
 待ち合わせに成功するだけで、ある意味ひとつのゴールでもあった。(何も始まっていません)
 携帯の無い時代。待ち合わせの場所と時間を正確に決めておくのは当たり前の事だった。
 ネットで知り合った子と、実際に会う事になった時も「東口の改札の一番端に紫のデイパックを背負ってますから」と言うのはありがたがられた。その頃はまだ。携帯は持っていたけど待ち合わせの補助的道具だった。
 
 だからおじさんには、待ち合わせの作法が体験と共に心と体に染みついてしまっているのです。 
 知らない人との待ち合わせ、なんていう大変な局面を無事に乗りきろうと思って「帽子をかぶって立ってます」と言っただけなんです。よかれと思って言ったんです。本当です。
 駅で待っている間、白と赤のチョークを使ってその頃は当たり前にあった伝言板の半分くらいを使って、大作のメッセージを描いたものだ。時間だけはいくらでもあったから。たまに青いチョークとかも置いてあるリッチな駅だと喜んで絵入りにしたり3Dにしたりして。途中からうすうす、あの子にこれを読んでもらう事は無いだろうと気が付いても、描く事が楽しくなってやめられなかった。今でも黒板を置いてある駅はあるのだろうか。もう一度、伝言板に「僕はここにいるよ」と書いてみたい。
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photo by dhchen