お待夜

 部落の大正生まれの女性が数日前に亡くなった。今日がお待夜(お逮夜)でお宅まで出かけた。「おたいや」という言葉、僕は生まれて初めて聞いた。ネットで調べるとここくらいしかひっかからない言葉

承応2年(1653)、刑場の露と消えた義民・佐倉宗吾(木内惣五郎)の命日は9月3日。宗吾が亡くなった後、彼を慕う人々は命日の前の晩にお籠りをしました。これが「お待夜(お逮夜)」の始まりです。

とあるが部落では初七日の前の晩に集う会のことを挿すらしい。言葉や方言や風習等まだまだ知らない事ばかりだ。今宵も知らない世界の話を教えていただいた。
 何でもシステマティックに行かない事に歯痒さより奥深さや興味を感じるようになって来たのは年をとったせいか。そこには手間や大変さと同時に「情」も確かに含まれている。