芸術脳

 僕の住んでいる市の図書館をよく利用していた。司書さんが素晴らしい女性でデザインの仕事の資料が必要で閉館間際に駆けつけた時、嫌な顔ひとつせずまさにうってつけな本をあちこちの本棚からスススッと何冊も抜き出してきてくれた時から信頼していた。また平台というか入り口のテーブルに図書館でセレクトしたのであろう本が並べてあるエリアがあって、そこがとても充実していることに気が付いて図書館に行くとその平台にある本を1〜3冊、借りるようにしていたことがあった。「非・バランス」なんて児童文学に分類されるから市の図書館の平台に無かったら読むことは無かっただろう。だけど出会うことが出来て幸せな本だった。これはこの本が映画になるずっと前の話。それ以外にも多くの素晴らしい本に出会わせてもらった。
 僕だけでなく本好きの間でこの司書さんのことは良く話題に登っていた。カミさんが仲間と歌と踊りの公演をやった時も見に来てくれた。だけど公務員の宿命か、ある年突然全く関係のない仕事に移動されてしまった。とても残念だった。しかも入れ替わりに来た館長はいつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしたおやじで、知り合いにだけニコニコするような最低な男で僕はその年以来、図書館に近寄らなくなった。ところが今年、その方が図書館に戻ってきた、という話を聞き、会いたくて久しぶりに図書館に出かけた。変わらぬ笑顔に接してなんだかとても幸せな気持ちになった。で、本を借りないのも変なので彫刻の作品集とテレビのトーク番組やその他いろんなところで名前を聞く茂木 健一郎の本を借りた。
 「芸術脳」でブログは自分のためのデータベースとして使っているとあった。全く一緒だ。僕もただの個人的な日記にしか過ぎないブログを2003年から6年も続けているのは自分のことを検索できるというのがあまりにも便利だから。あの人にあったのはいつだっけ?あの店で美味しいものを食べたのはいつ?どこ?そういったことを検索できるように意識して固有名詞やキーワードを意識してブログを書いている。おかげで記憶力”0″なのにブログ以降のことは日時を特定できる。便利。
 「芸術脳」からコメディ・ユニット「リトル・ブリテン」との対談の印象的だった箇所を抜き出し。

幸せで天真爛漫な子供時代を過ごすよりも、ちょっとだけ陰のある子供時代を体験した方が、絶対にクリエイティブにはなれますね。例えば私が、社交的でいつも友だちと外で遊んでいるような子だったら、これほどコメディアンとして成功することはなかったでしょう。それが人生の不思議であり、おもしろいところなんですね。だから、いまつらい目にあっている子供や若者がいても、決して悲観的にならないでほしい。いまのつらい体験が、いつかあなたのクリエイティヴィティを開花させるための肥料になるからって、私たちは訴えたいんです。

 同感。
 クリエイティブな事をする必要の無い幸せな人生はあたりまえにあるだろう。それはとても幸せなことだと思う。だけどそれだけだと幸せを感じられない(もしかしたら心に欠損のある)僕らのような人間にとって「創る」というのはその欠損を埋めるに余りある幸せな活動のひとつなのだなぁと改めて思う。どんな状況、どんな環境でも素晴らしい人生の可能性が残されているという人間の可能性のこの素晴らしい事実。
がんばろう。