門をたたけ、そうすれば開かれる

 僕の人生と交わる可能性は限りなく細かった糸がいろいろな出会いで絡んで読むことになった本「原子力発電と平和 −キリスト者の視点から」
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作者の吉村 孝雄さんが仙台で講演をするという連絡をもらった。自分しか信じない、宗教も信じられないという立場ではあるけれど、直接お会いして話を聞きたいと思ってカミさんと仙台へ出かけた。
 今日のキリスト教講演会の演題は

「門をたたけ、そうすれば開かれる」

でした。
 この言葉自体は有名な言葉なので非キリスト者の僕でもよく知っていました。
“門をたたけ、そうすれば開かれる”
“求めよ、さらば与えられる”
 だけど、求めたって得られないじゃんという素朴な感覚は一般の人とも共有するものでもありました。事故によって下半身が麻痺してしまった少女も吉村先生に「求めたって私に動く体は再び与えられることはないじゃありませんか」と言ったそうです。
 でも、体を病魔に蝕まれ自分の体を全くコントロール出来ない状態で何年も生きざるを得なくなった方が言ったそうです。「息をできることに感謝している」
 息をすることを当たり前の事と思っていた吉村先生はとてもショックを受けたそうです。
 息ができる、食べられる、指が動かせる、考えられる、、、、、 求める前に僕たちはもうすでに多くのものを与えられている。それを当たり前と思うのか感謝することとして捉えるかでも認識はずいぶん違う。
 また、とても興味深いと思ったのは、「翻訳」の限界の話。日本語にした時にイメージがずいぶん変わってしまうこともある。吉村先生は聖書の1つひとつの言葉や文章をギリシア語やヘブライ語や英語などにも当たってその意味の真髄に迫っている。
 例えば「求めよ、さらば与えられる」の「求めよ」という言葉はギリシア語の原語に当たると「求め続けなさい」という現在進行形の言葉なのだそうだ。「門をたたけ」ではなく「門を叩き続けなさい」ということなのだそうだ。一度、求めて与えられなかった。なんだよ、何も与えられないないじゃん。という話ではかった。
 さらに興味深いのは「門をたたけ、そうすれば開かれる」の門という単語が英訳には無い、という事。

そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。探せ、そうすれば見出すであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるだろう。
And I tell you, Ask, and it will be given you; seek, and you will find; knock, and it will be opend to you;
—ルカによる福音書11章9節 LUKE11

 ここに書かれていることは、なにか得られないか、そこにある門を一度叩いてみる、ということではない。求め続ける、という「姿勢」、そのような「態度」こそが必要だ、という動的な生きる姿勢として個人的には理解した。
 また聖なるスピリット(Holy Spirit)を単純に日本語に和訳すると「霊」となり「生霊」「悪霊」などのイメージも含んでしまうが、本来のスピリットは「聖」であり「熱」であり「力」であり「スピリット」としか表現できないもの。(ルカによる福音書11章13節)
 それ以外にも、神のことを抜きにして、知識だけを求めたら死ぬ。という話も今の原発の問題にも直接的に関係していると感じたし、自然のオーケストラの話やエデンの園の話も聞かせていただいたけどけれど、反芻しないときちんとした理解まで到達できないので書くより考えることにします。
 10年以上も前から原発の警鐘を鳴らされていた氏は今日も時々、話の中に原発の事をからめて話しをされていましたが、先生の話を聞くために国の除染地域に指定されたほど放射能の問題が身近である地域から駆けつけた僕らにあえて語ってくれたのではないかと勝手に感謝もしています。
 「物語」としていつか読もうと思ってと、英語の勉強のために学生の頃から手元にあった日本語と英語が併記されている「聖書」が手元にあったので該当箇所をスキャンしました。(画像クリックで拡大)
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 いつか読もうと思って手元においていたのが初めて役に立った。ちなみにこの聖書は「国際ギデオン協会」より贈呈された”NEW TESTAMENT -MODERN ENGLISH AND JAPANESE-“というものでした。(なぜ持っているかは今となっては不明)
※僕にはキリスト教の知識が無いので今日のエントリーに間違いがあった場合には、吉村さんの非ではなく理解不足による私の問題であることを明記しておきます。
吉村先生の著作 「原子力発電と平和」という本に出会えた喜びを紹介したエントリーはこちらです。
吉村 孝雄さんが主催されている内村鑑三の流れを汲む無協会の集会である「徳島聖書キリスト集会」のサイトはこちら
 今日の会に参加するために仙台を始め宮城県から集まられた方は吉村先生の「いのちの水」を読まれている。ネットでバックナンバーも含めて読むことができます。僕も時々読んでみよう。こちらです


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※画像はエントリーと関係ありません。
Michelangelo’s Pietà in St. Peter’s Basilica in the Vatican.

最後に、吉村 孝雄さんが遠く徳島から東北、北海道にまで話をするために来られたことで実際にお会いできたことに感謝します。握手をありがとうございました。

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