効率と教育

 モロヘイヤのスープを作るための葉。これを叩いて器に入れて、熱々のスープを注いでスプーンでかき混ぜたらスープは完成。うまいのなんのって。
120916
 モロヘイヤの葉は1枚1枚爪で茎から切り離して集める。モロヘイヤの束をごそっと手でしごいても葉はとれる。だけど葉の下の細い茎も葉と一緒にとれてしまう。おいしいスープが飲みたければその葉の下の細い茎も外した方が美味しさは全然違う。僕は爪でプチプチ切りながら葉だけを集める。
 料理の面白くて怖いところはこんなささいな事で出来上がりの美味しさが全く変わる事。
 僕だって「なんとかの素」使う。だけど「効率」だけで考えたら本当に美味しいものは食べられない。幸せな気持ちになれる晩餐にはありつけない。 
 今の御時世で毎食、いちから出汁をとるなんて無理。バランスなんだよね。
 だけど「教育」だけは効率で考えては駄目だ。資本主義の世の中だからって「教育」というサービスを提供するのが先生で、享受するのが生徒、なんていう考えをおかしいと思わない人が多くなったから、望んでもいない給食費は払わないとか、汚い金の話で汚しすぎ、教育を。(放射能を心配して給食を食べず弁当持参とは別の話。←これは全く正しい)
 生徒が求めている「サービス」のレベルに達していない先生にはやめてもらおうとか、本末転倒な話が多すぎ。そんな刹那的なものか?モンスターペアレントと呼ばれる人が近所から馬鹿にされるんではなくて言いたい事を言ってくれる人としてよしとされている事が驚愕。
 「効率」や最低限の努力でどれだけお金や利得を儲けられるか、というのは「教育」から一番遠い話だと思っていたけど最近の流行はそうでなないようだ。他人を出し抜いてでもスマートにもうける方法こそを我が子に(だけ)教えて欲しいのか。僕が個人的にこの人にだけはこれからの日本を支える子ども達の「教育」には関わって欲しくない、と思っている人ほど教育を変えたがる。今だと安倍晋三元首相とか橋下徹大阪府知事とか。(偶然にも、ふたりともいろいろ途中で投げ出しちゃう人だ)
 「教育」を良くするのは必死に実践をしている人にまかせて、どうぞ他の事をがんばってください。