放射能と能動的に向き合う

 夕方から知人の家で原発の勉強会。講師は守田敏也氏。被災地に自転車を送る活動をしていたところ自転車は無いが車ならある、という会社の社長から提供された車を届けた後、戻り足で少しづつ南下する道の途中だという。
 今日「ああ、そうだな」と共感したのは放射能との共存というテーマ。残念ながら放射性物質に汚染されていなかった世界にはもう戻れない。現実を受け入れるしかない。「ああ、爆発事故の前に戻りたい」といくら嘆いても意味がない。(何度も嘆いているけど)ならば
     「放射能と能動的に向き合う」
という当たり前の事。
 放射能があることを前提に生きていかなくてはいけない悔しさと理不尽な暴力に対する怒りは死ぬまで忘れない。だけどそれを前提にしか前に進めない。
11051601.jpg それにしても。飯舘村で牛を飼っていた人をテレビで見た。地域の気候を知り、親や年寄りから受け継いだその土地に根ざした知恵や文化を受け注ぎ、誇れるような牛を育てる技術を磨き、日々淡々と牛と共に暮らしてきた人が故郷を追われ、家を追われ、受け注いだ有形無形のものを失う。新しい土地で牛舎を始め仕事に必要なものを新たに作る事ができずに廃業を余儀なくされる。人は「仕事」で人生を生きている。その仕事を理不尽な暴力によって奪われた。その方はぽつりと呟いた。「誇りを奪われた」
 賠償金で償う?いったい何を。

 勉強会には福島第1原発から約3キロの双葉町から避難している老夫婦も参加されていた。勉強会の最後に「先生は私達が戻れると思いますか?」と質問していた。「とても辛いのですけど難しいと思います」「先生にそう言ってもらえてあきらめがついて逆によかったです。新しくやり直します。ありがとうございます」
 ここにも放射能と能動的に向き合う姿が。畏怖の念を覚えた。守田氏と握手するそのお婆さんを涙を堪えて見ていた。