ミツバチの羽音と地球の回転

 隣町に「ミツバチの羽音と地球の回転」を観に行った。とてもいい映画でこれを書いている今も体に温かな気持ちが流れている。
 原発後、放射能を心配する仲間のみんながそうだったように、僕も睡眠時間を削って本を読みサイトを巡り動画を見まくって勉強した。動画を見るのは時間がかかるのであっという間に深夜から明け方になって昼仕事する時はいつも眠かった。そんな中、鎌仲ひとみ監督の動画にもいくつか出会い、その度に共感し勇気づけられていた。

 僕が勇気づけられた鎌仲ひとみ監督の動画のひとつ。
 この人の作った映画なら是非観ようと出かけた。今日、観た映画が震災・原発後初めて見た映画だ。1日に2時間も取られてしまう映画を観る余裕は今は無い。映画を観るなんて気分にもなれなかった。
 鎌仲監督の作品だったし見まくった動画の中で出会った「祝島」の事は深く胸に刻まれていたしこれからのエネルギーをどうするか?というテーマは今まさに直接、僕らにつきつけられている事。でもこれは原発の映画ではなかった。「命」をどうするのか?という普遍的なテーマの映画だった。
 町山智浩氏が”観る前と観た後でその人の中に、何か変化が起こっているのがいい映画”というような事を良く言うけれど、小さな化学反応が心の中で温かく燃えている
 上関原発に反対し続けてきた祝島の人たちの笑い顔の素晴らしいこと。多くを求めている訳ではない。自分たちが暮らす場所を大切に思い、それを力づくで破壊しようという人たちに対してやめてくれ、と言っているだけだ。子ども達に豊かな命を育んでいる海を死の海にして渡すのではなく美しいまま渡したい、それが願いの全てだ。みな心から笑い、多くを求めず、淡々と暮らしている。だけど自分が許せないと思うことに対しては強い気持ちを持って「嫌だ」と言う。言い続ける。絶対に引かない。それを30年近くも続けている。それを自分の運命と受け入れ、当たり前のように生きている何人もの島民の姿を見た。その人達の笑うのを見た。話すのを聞いていた。真っ当に人が生きていくという事はこんなにも素敵な事だったんだ。
 映画を見終わった今、現実の世界に戻った今原子力発電所が爆発した今の状況で「真っ当に」生きるというのはどういう事かを考えていた。誰かの健康を代償にする(もしかしたら誰かの命を削るかもしれない)電気エネルギーを使って楽しく生きることが真っ当な生き方だとは思えない。というかそんな可能性のある電力を使うのは嫌だ。
11110606.jpg とにかく今の電力が一企業に独占されている状況だけはやめてもらいたい。地域の小さな水力発電だっていい。送電線を開放して供給する方も参入しやすくし、買う側も原発による電力を買わず再生可能なエネルギーで発電している企業からの電気を買えるようにして欲しい、そうしたら少しくらい高くてもそっちを買う。どんな方法で作られている電力かを知って選択できるのは今や先進国では当たり前の事のようだ。映画に出てきたスウェーデンの人は日本の電力が一社独占でお客に選択の余地が無いことをにわかには信じられずにいた。それほど日本は遅れているのだ。発想と手技で戦後の復興を成し遂げた日本ならやれたはずなのに。やれるのに。
 カダフィや金正日の事は笑ってられない。電力エネルギー的には僕らは独裁国家に生きている。独裁国家の指導者が何をしたかは歴史をみれば明らかで、それはいつも同じような状況を呈する。利益を自分に集中し利益の還元はしない。国民が貧しくても自分たちだけは金にまみれた贅沢な暮らし。自分の立場を危うくする勢力は金で抑えこむ。それが無理なら力で抑えこむ。本当の事は言わない。プロパガンダだけは(ハリボテの高層ビルの書割を作ってでも)する。書いていて嫌になるくらい、今の日本の電力会社のやっている事だ。ここに「命」の問題は無い。あるのは「金」の問題だけど。モンゴルに核のゴミを持っていけば全てOKというようなエコノミストを含めて「金」の話しかしない連中ばかりを見せられていたから、「命」のことを問題にするのが当たり前で、そこに一切の疑問を感じていない真摯な祝島の人たちの姿をスクリーンの上で何人も見ているうちに、淡々と仕事をするだけの、何もドラマが起きているわけでもないシーンで僕は涙をこらえるのが大変だった。真っ当に生きている人の生き様に触れるのは泣きたくなるくらい幸せな事だ。
 今の日本の状況はあまりにも「命」をなめている。
 復興は大事だ。だけどやり方も大事。健康を損なうような方法でやることは許されない。まして放射腺の感受性が大人よりはるかに高い子ども達に、なんの罪もないのに大人の僕らの過ちのツケを回し、その事を見て見ぬふりをすることは許されない。
 また、この映画を観た人に知ってもらいたい事があります。ブイの設置強行を阻止するために海上いた島民2人、カヤック隊の2人は中電の起こした4800万円損害賠償の訴訟で理不尽に訴えられています。中電は最終的には協定違反を犯し夜明け前にブイを設置したにも関わらず、です。 祝島漁師の橋本さんからの意見陳述書を是非、読んでください。

 映画の最初と後半で明らかに顔がたくましく強く変化した孝くんが「お金を稼ぐことと生活をすることと原発に対(して反対)することを平行してやっていかなくてはいけない。」と言っていた。抗議のための旅費も自腹。それは大変な事だろう。
 振り返って、僕らも生活と仕事と原発の事をやらざるを得ない状況が続いている。村井宮城県知事のように放射能は無い、ということにしてしまえば話は簡単で、今までと同じように暮らせばいいだけだ。(2,3時間の会議でしかも非公開にして宮城県民に健康調査は不必要と決定する。実に簡単だ)だけど放射能と共に生きていかざるをえない僕らは、ガイガーカウンターを買う。原発の事や他のことに時間とエネルギーをとられ稼げるお金は減っているのに水を買い続け、遠くの野菜を買い、そのために時間を失う。でもそんな事でめげてる場合じゃ無い。祝島の人たちはそんな平行していろんな事をやる人生を30年近くも続けてきたのだ。30年やっても「金」に生きる奴らに「命」で生きる人々が傷めつけられている現実は、これからの事を思って暗澹たる気持ちにもなったけど祝島の人たちのように笑える人生を生きたい。
 自主上映を実施してくれた方々は津波被害のひどかった山元町の方々という事だった。近くでこんなに素晴らしい映画を見る機会を作っていただいてありがとうございます。感謝しています。最近の映画館て、昔みたいに笑ったり泣いたりすることは少ないけど、今日、視聴覚ホールに集った皆で、何度も声を出して笑いながら観ることが出来た。一緒に笑うって幸せな事だ。


「ミツバチの羽音はどんなに小さくても、地球の回転にすら影響を与えているかもしれない」
そう、小さな命のざわめき、命のエネルギーにこそ希望の種はまかれている。
希望に至る道:鎌仲ひとみ

 全く本題と関係ないのだけれど、鎌仲ひとみ監督の声が僕は大好きだ。この映画のナレーションは監督自身のものだけど、これだけのナレーションが出来る人はプロの俳優、声優でもそうはいないだろう。声、話し方、息使い、素敵だ。
 たまたま昨日、ミツバチの写真を撮っていたので感謝の気持ちを込めて貼っておきます。
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 全編のシナリオ付きパンフレットと缶バッジを買ってきた。”flickr“とGONちゃんの作った”にじのたねプロジェクト“と”NO NUKES NECO project”のバッジが付いているデイバッグに追加した。パンフレットは映画の会話やナレーションが全て書き起こされている。何度も噛み締め直したいセリフがたくさんある映画だったからこれは嬉しい。映画のパンフにシナリオが全て掲載されているなんて初めてだけどとてもいい企画。
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 映画の会場のすぐ先が仲良くしていただいていたレストランのあった海辺。
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 レストランのあった場所に行ってみた。広い海岸線は津波の瓦礫の山だった。その圧倒的な量に打ちのめされる。
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 ここには復興へのかすかな光さえまださしていない。
「ミツバチの羽音と地球の回転」公式サイトはこちら
 海外向けに監督が紹介されている動画もどうぞ。