僕は、そして僕たちはどう生きるか

 梨木香歩さんの初めてのエッセイ集
 「春になったら苺を摘みに
を読んで先日、エントリーした
 その本は家にあった。カミさんが大切にしている本だったからだ。僕が(一人勝手に)読書の水先案内人にして、その方が紹介したから読んだ本が何冊もあるかわうそ亭さんはブログで「f植物園の巣穴」についてふれていた。facebookでも、いろんな方から次々に自分の好きな本、オススメの本をコメントでいただいた。
 梨木香歩さんの事、みんな好きなんだなぁ・笑。
 その中で「僕は、そして僕たちはどう生きるか」をすすめてくれた方がいた。「ちょっと鳥肌がたちました」
 え。その人にそんな感想を持たせる本なんだ。
 そっこー借りてきましたよ。市の図書館で。カーリルで調べたら貸し出し可能だったから。
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からくりからくさ」は無かった。
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 で、読みました。「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
 とても良い本だった。これを去年読んだら確かに、鳥肌が立ったはずだ。
 ふたりの中学生を中心として物語は進む。ふたりは歴史ある家の屋根裏部屋で叔父さんの残した昔の本を読む楽しみを持っていた。その本を読む事で戦争の時代を生きた叔父さん達と繋がる感覚を得る。そこで今の時代へと繋がってきた時代の事も語られていく。他人事ではなく地続きの世界として。知らずしらずのうちに戦争に荷担していった人々。良かれと思って戦争に向かっていった人。絶望的に社会から理解されない中で個人として戦争に反対を貫いた人。
 ただ、この物語は戦争の話ではない。自分で考えるというのはどういう事か。真実に近づくにはどうしたら良いのか。

「・・・・・・泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから」

 これが書かれたのは2007年4月〜2009年12月。本として出版されたのが2011年4月。東日本大震災の直後。なんて運命的な。この本がその時期にでた事で救われた人がどれだけいるだろう。なぜならこの本は、極限状態からのサバイバルの物語でもある。それは精神のサバイバルであっても同様。戦争ではなく津波、地震、原発事故、放射能とその対象が変わっても普遍的な物語の意味や価値は揺らぐ事はない。
 そして僕は、今読めた事に感謝した。 放射能に翻弄されていた去年ではきっと僕には早すぎた。来年では遅い、きっと今、読むべき本だった。
 20章の終わり。物語の中の少年と少女が吹き出して大笑いしたところで、僕は大泣きした。「オカダンゴムシ」なんて言葉が大泣きのきっかけになるなんて!梨木香歩マジック!!
 最後の主人公のセリフを読んだとき、何か体の力が少し柔らかく抜けて、また、泣いた。
 ひとつだけ困った事が。時間がなくて読まなくてはいけない本、読みたい本が積まれたままです。いま、すぐ横には

 全然読めない。みさなん、どうかお願いです。素晴らしい本の紹介をしばらくやめてください。積ん読が全然読めません・笑
※この後、本から少し文章を抜粋します。
 まだ読んでいない方はネタバレするので読まないでください。

「相手が何なのか確かめないと対処のしようがないからな。だから僕は『それ』がどういう方向に動くつもりなのかをもちろんじっと考え続けてたよ。いざというとき瞬時に動けるように」

「そもそも自分で選んだ事だろう。ぐだぐだ言うなよ、今さら」

 そうだ。自分は何が好きで何が嫌いか。他人がどう言っているのか、定評のある出版社が何を出しているか、部数の多い新聞がどう言っているか、じゃない、他ならぬ自分はどう感じているのか。
大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにスすべきはそこだ。自分基準(スタンダード)で「自分」をつくっていくんだ。
 他人の「普通」は、そこには関係無い。

僕は半信半疑でそこにいた。異を唱えようにも杉原先生の言い分は、いかにも理にかなっているような気がした。ただ、どこか、何かを無視したような強引さで進んでいく気がしたけど、どこがおかしい、というのを指摘するだけの力が、僕にはなかった。「何かがおかしい」って、「違和感」を覚える力、「引っ掛かり」に意識のスポットライトを当てる力が、なかったんだ。「正論風」にとうとうと述べられると、途中で判断能力が麻痺してしまう癖もあった。

 僕は軍隊でも生きていけるだろう。それは、「鈍い」からでも「健康的」だからでもない。自分の意識すら誤魔化すほど、ずる賢いからだ。

「黙ってた方が、何か、プライドが保てる気がするんだ。こんなことに傷ついていない、なんとも思ってないっていう方が、人間の器が大きいような気がするんだ。でも、それは違う。大事なことがとりこぼれてく。人間は傷つきやすく壊れやすいものだってことが。傷ついていないふりをしているのはかっこいいことでも強いことでもないよ。あんたが踏んでんのは私の足で、痛いんだ、早く外してくれって、って言わなきゃ」

「言っても外してくれなかったら?」
「怒る。怒るべきときを逸したらだめだ。無視されてもいいから怒ってみせる。じゃないと、相手は同じことをずっと繰り返す」

 そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了承してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。

 そして最後の主人公のセリフ。
 いや、これは抜粋しないでおきましょう。