初めての個展の終わり

20日間にわたる初めての個展は今日で終わりました。台座と作品を搬出してみたら、そうだ、こんなに広かったんだ。

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その時の思いを形にする、その時の気持ちがOKと言う形をみつける、そうやって気が付けば20年以上、作品を作ってきました。依頼された作品や契約があって始まる野外彫刻以外は作品を売ってお金にするなんてことは全く頭になく作ってきました。人に見せる事を積極的に意識しないで作品を制作してきたことが良いか悪いかはわからない。だけどそうやってでしか作ってこられなかった。極私的な世界に閉じこもるように。

作品を人に見てもらう、という事をあまり意識しないで制作してきたけれど、彫刻を作り続けてきたんだから40代の最後に「個展」をしようと思って準備を始めていたら「大震災」に遭いそれどころではなくなった。

時間が経ち、再度、個展をやろうと思い始めて仙台のあるギャラリーに相談に行った帰りの車の中で携帯が鳴った。ライフスタイル・コンシェルジュの成田さんからだった。「作品をお借りできませんか?」これが成田さんとの出会い。

数日後、すぐに打ち合わせに行った。仙台の真ん中でアクセスは申し分のない場所、会場も落ち着いた白い空間でここに作品を並べられたら良いだろうなぁ、と思う空間だった。40代最後の年に個展をやろうと思ったときは、どこか義務感のような感じもあったかもしれない。本当にやりたいと願い始めていた僕には望外のプレゼントのような提案だった。
「僕で大丈夫ですか?」と聞くと「ネットでいろいろ見せていただいての判断ですから。」と言っていただき、更に「小春ちゃんの写真も時々見て癒されていたんですよ。小春ちゃんの写真も飾っていただけないですか?」驚いたし、素人の写真を飾っても良いものかという戸惑いもあったけど、嬉しかった。もちろん、どちらもやらせていただくことにした。

 

 

自分で創った作品を介して知り合う。友だちになる。作品を介して話をする。それはどんなに幸せなことか。
作品を人に見せる事に自覚的ではなかった昔の自分も、意識的ではなかったかもしれないけど作品によって誰かと繋がる事に最後の可能性を感じていたように思える。僕が望んでいるのは結局、そう言うことだ。逆に言えば人と繋がることは僕にとってとても難しい事。子どもの頃からなかなかうまくいかなかった。僕に手をさしのべてくれた人たちの温かい手を冷たく払う様な事もしてきた。自分のしてきたことを思うと情けないし悲しくなる。ごめんなさい。

石の野外彫刻もいくつか建っているので「石だと死んでも作品が残って良いですね」と言われることがある。芸術家は死んでも作品が残る事、芸術の歴史に中に作品が残る事を目指して制作している人が多いと思われる。僕だって作品が残らないよりかは残った方が良いと思っているけれど、僕が一番強く願っていることは、作品を通して「今」に生きる人たちと繋がること。
死んでしまった後の事は結構どうでもいい。だって、僕はもう死んじゃってるんだから。死んだ後も作品を大事にしてくれる人がいたならそれは幸せなことだけど。

今回の初めての個展。だから会場に足を運んで実際に作品を見に来ていただいた方々には本当に感謝。新たに友だちになれた方もいるし、思いがけない再会もあった。良く会う友だちとも初めて会った人ともたくさん話した。作品の事もそうでない事も。それは僕にとって至福の時間でした。

 

今回、個展をやらせていただいたライフスタイル・コンシェルジュのスタッフの皆さんには本当にお世話になりました。作品を見に来てくれたお客様にラウンジで、いったい何杯のおいしいお茶やコーヒーを出していただいたでしょう。おかげで僕はただお客さんと楽しくおしゃべりだけしていられました。
石の一輪挿しは会場に来る度に違う装いで飾っていただいていました。
作品の台座を搬入も搬出も仙台と自宅の間を車で運搬していただきました。
中でもチーフの成田さんには最初から最後までお世話になりました。ありがとうございました。小春の写真まで飾らせていただいて。作品展初日の夜、仙台で震度4の地震があった時には翌朝はすぐに「作品はひとつも倒れていません」と電話をかけてきてくれました。僕の行かれない日のお客さんの様子を忙しい仕事の合間を縫ってメールしていただきました。
平さんには大きくて重い作品の台座をハイヒールにも関わらず、女性であるにもかかわらず、階段を何往復も運んでいただきました。搬出の今日は「動きやすいパンツと低めのヒールにしました!」と言って駆け足するそぶりを見せられて泣けました。

会える人には直接、会って伝えるけれど改めてここにも書いておきます。

ライフスタイル・コンシェルジュの成田さんに僕を紹介してくれたイチローさん。直接的なきっかけをいただきました。

山の中でサル(仕事場には出たこと無いけど)だけ相手にして、ずっと一人で石彫ってるだけじゃしょうがないだろうと仙台に引っぱり出してくれた造園家(株式会社・吉光園)の佐々木さん。おかげでイチローさんを始め仙台の作家や友だちができました。佐々木さんが無理矢理引っぱり出してくれなかったら、仙台に知り合いは今でもいなかっただろうし、できなかった仕事や生まれなかっただろう作品もあるでしょう。今回の個展に繋がる最初の波紋を数年前に起こしていただきました。

地元から、仙台から、近くから、遠くから、東京から、会場に足を運んでいただいた皆さま。

始めましての方。知り合い。友だち。友だちの友だち。

カミさん、両親。

今回の個展はこれまでやって来たことの、ひとつの大きな区切りになりました。
その瞬間に一緒に立ち会っていただいた方々に改めて感謝します。

ど う も あ り が と う ご ざ い ま し た 。

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毎日、会いたかった人が次々に目の前に現れ、元気や新たな制作のテーマやプレゼントが届けられる”祝祭の日々”でした。
日頃お菓子を買わない(食べない)我が家に祝祭の名残のお菓子と花がいっぱいです。
明日からまた、淡々とした日常に戻ります。特別な事は何も無い(だけどかけがえのない)当たり前の日々を続けるからこその祝祭です。

玄関の作品の横にはいただいた苔玉を飾りました。見る度に思い出すでしょう。

いやぁ、楽しかった!

 

僕が個展の作品をブログに掲載する予定はありません。
もし、どんな感じだったか知りたい方がいるようでしたら以下の友だちのブログを。

お洒落なCAFE食堂BAOBABさん
じぞうもじで知られる書家の夕深さん