ラジオマン

吉田 照美著「ラジオマン -1974~2013 僕のラジオデイズ-」を読んだ。

去年の終わりに突然、友だちからのプレゼントで届いた本のプロローグを何気なく読んだら「ずっとウソだった」という動画について書かれていた。原発事故で放射能が撒き散らされたらしい、だけど本当の事が何もわからない。そんな現場に居合わせる事になってしまった僕らは、国とマスメディアから本当の事は出てこない事を知って必死に仲間を探して繋がろうとし、ネットで本当の情報を探して精神的に緊迫していた頃だ。俺たちはやられたな、と思っていた原発事故から一ヶ月弱の頃にネットで知って見た動画だ。この動画を見たときの事を思い出した。泣きながら見て、ミュージシャンの中にも僕らと同じ様な痛みと怒りを感じそれを表現している人がいる、そんな事にシンプルに勇気づけられていた。そして吉田照美さんが同じようにこの動画から勇気をもらい、それ以降の使命感を感じた行動に繋がっていった事を知って心に響いた。


(大手メディアでこの動画を流したのは唯一、吉田照美のラジオだけです)

僕ら60年代に生まれたものにとってラジオはとても身近なものだ。机に向かって勉強しているときにいつもAMラジオをかけていた。勉強している時というのは大袈裟に書きすぎた。AMラジオを聞くのがメインで、ついでに(仕方ないから)勉強もしていた。試験勉強の時だって受験勉強の時だっていつもAMラジオを聞きながらだった。高校の時、春風亭小朝のラジオがブームになって友だちみんなで聞いていた時に自分の葉書が読まれた時は嬉しかった。小朝さんの絵を一生懸命描いた余白に短い文章を書いた。きっと何時間もかけて描いた絵で選んでくれたんだろうと思ってる。でも僕にとってのラジオパーソナリティーのヒーローは「ビートたけし」と「吉田照美」だった。文句無しにくだらなくて面白くて最高だった。

吉田照美の放送で印象に残っているのは「恥ずかしい」という感情がわからないというリスナーのために、カバンの中からエロ本を何冊も電車の中でわざとぶちまけさせるという企画をやったことだ。それを吉田照美とアシスタントの女の子が陰から見守って実況して照れてる、照れてまくってる。笑った。
本当にくだらなかったなぁ。もちろん賛辞で書いている。人を笑わせ楽しませるのはすごい事だ。毎日、ためになる話をし続けるよりよほど大変だ。だけど普通、マジメでカッコイイ事を言ってる人の方がエライとされ尊敬される。照美さんもなんども「そんなくだらない事やってないで報道をやれよ」といわれたそうだ。だけど、3.11の後に起こった事はどうだ。人を傷つけず自分が馬鹿になる事でみんなを楽しませるという方法で、人生をかけてくだらない事を担当していたはずの照美さんが、どれだけ命を張って「本当」を伝えたか。正義感ぶってくだらない事やお笑いを馬鹿にしていた「真面目」な人たちのやった事、「報道」の人たちがやった事(そしてやらなかった事)を、馬鹿でくだらない事が好きな僕は忘れない。

「正義」で「正しい」ことを伝えてたはずのマスメディアは何をやった?

 特に最近腹が立ったのは、NHKの松本(正之)会長のコメントです。「NHKは、日本国政府の公式見解を踏まえて、ニュース・番組を制作している」。これを衆議院の総務委員会という公の場で言ってしまった。それは「私たちは政府の広報機関です」と言っているようなものです。そうなるともう、”皆様のNHK”じゃなくて、”政府様のNHK”になってしまう。それで受信料とっちゃまずいだろう、と。報道はやっぱり反権力であるべきで、常に権力と対峙していなければならないと僕は思うんですよね。でも、新聞も民法のテレビ局も、そこに対してツッコまないし、ジャーナリストも何も言わない。それはやっぱりおかしいですよ、どう考えても。(ラジオマン P,194-195)

この国のテレビで良く見る有名なジャーナリスト達は何をやった?最近だって、国会議員になったばかりなのに「特定秘密保護法案」に危機感を覚えひとりで全国行脚していた山本太郎氏を馬鹿にし覚めた目で見ていて、法案が可決する寸前に「本当にあんな法案を可決するとは思わなかった」と言って急遽反対の声明を発表したけど、私たちはあれに反対したからねというポーズにしかならなかった。

 だからつくづく思うのは、いったいこの国のメディアはいつの間に、アメリカの立場に立ったり、権力の立場に立つようになってしまったんだろうとと。国民主権って何だろう、ということですよね。民主主義で国民主権のはずなのに、メディアはそれをおざなりにしている。(ラジオマン P,194)

 結局、メディアの姿勢だけじゃなくて、日本人の一番悪いところは、「すべてが他人事」という感覚に侵されているところだと思います。自分の身に降りかかったときに初めて、事の重大さに気づき、自分の置かれている立場を知らされる。あんな大きな事故があったにもかかわらず、そういう気質が今でも直っていない。日本人特有の、水に流せないのに流してしまおう的な状況が、相変わらず続いている事の恐怖をつくづく感じます。本当は水に流しても元通りにならない事だってあるのに。(ラジオマン P,197)

このブログを昔から読んでいただいている方は、くだらない、どうでも良い事ばかりだらだら書いていたのに最近はなんだよ、と思っている方もいるかもしれません。というか自分がそうだ。そんな気持ちも書いていてくれて共感した。

 もちろん、相変わらず、くだらないこととかバカバカしいことが好きな自分もいるんです。スタジオで、くだらないメールを読みながら、みんなでゲラゲラ笑っているのも大好きなんです。
本来、僕みたいな人間が真面目なことを言ってる日本じゃダメだと思うんですよ。ジャーナリストたちがみんな本当のことを言っていたら、僕がこんな事を考える必要はないわけです。そういう意味では、悲しいですよね。(ラジオマン P,201)

ラジオのスタジオでしゃべっているときに僕が幸せを感じるのは、くだらない話をしている瞬間だ。真面目な話はあまりしたくない。そんな思いで、長年ラジオでしゃべってきた。
しかし、あの東日本大震災以降、ラジオでも真面目なことを考えざるをえない時代環境になりつつある。そこに押さえようのない憤りつ寂しさを感じてしまうのだ。
なぜなら、本来ラジオとは楽しいものだからだ。(ラジオマン P,220)

 
 
正念場になった時に、正義を語っていた人が語るのをやめ、くだらない事をしゃべっていると思っていた人が一生懸命「本当」を探して僕たちに伝えようとする声を聞いた。
 
愛とか平和を歌っていた人が傷ついた人の心に届く歌を歌わず、無骨だったり自分勝手に見えていた人が、傷ついた人に届く歌を自分の歌えるところから精一杯歌う姿を見た。
 
友だちだと思っていた人が疎遠になり、遠い知人だった人が仲間になった。
 
放射能というリトマス試験紙の上で。

プレゼントしてもらわなかったら、この本に出会えなかったかもしれない。ありがとう、まゆみさん。素敵な本をプレゼントしてくれて。いつも、大切なものをもらってばかりで。

14010701

【追記:2014/01/08】
吉田照美さんにリツイート、お気に入りしてもらった。ラジオでハガキが読まれたみたいな気持ちで嬉しい・笑