HARD DUTY

「HARD DUTY 〜過酷な任務・ある女性のチェルノブイリでの体験〜」

日本で原発事故が起こった2011年に、狂ったようにネットや書籍などから情報収集と学習をしていた7月に公開されてダウンロードして読んでいた。事故から3年目になろうとしている今、何故か何度も思い出されて、プリントアウトして再読した。

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1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故後、「恥ずべき証拠を隠滅」するためソ連政府 の命令で「事故による重大事を清算」した数十万人ものリクィデーター(リクィビダートルとも呼ばれる。清算人 / 除染作業員の意)のひとりとして4年半作業した、ナタリア・ボリソヴナ・マンズ ロヴァへのインタビューを元に作られた冊子。
この冊子はチェルノブイリのリクィデーターたちに捧げられている。 彼らの健康や命が犠牲になることで、人類はより悲惨な悲劇を回避することができから。ナタリアの健康も犠牲になったのは言うまでもない。

 

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3年前は、初めて経験する現実が厳しすぎて、現実逃避気味に斜め読みしか出来なかった部分も多い。放射能で汚染された地域での多岐にわたる調査や作業、除染について読み直すと、今の現実に悲しいくらいに当てはまっている箇所がある。抜粋で少しだけ書き出してみる。

被曝が新陳代謝を促進する

一般の人が浴びても問題ないとされる放射線量の上限を、事故以前の10倍に暫定的に引き上げるというソビエト厚生省の決定によって、チェルノブイリ事故から最初の数日間の被曝は深刻なものになった。ジョレス・メドベージェフ.は『チェルノブイリの遺産』の中で、この数値の引き上げは汚染された食べ物の販売を合法化するためのものであったと述べている。リクィデーターの外部被曝の放射線量の上限も、同じく独断的に引き上げられたとナタリアは言っている。

原子力を支持するものたちは、原子力災害による健康被害が世代間にわたる、という特異な可能性があることを認めなくてはいけない。

「科学に犠牲はつきものだ。」1989年にソビエト国立原子力利用委員会の議長を務めていたA・M・ペトロシアンがチェルノブイリの死者数について意見を求められた際の言葉である。この格言の落とし穴は、犠牲になる者たちは誰によって選ばれるのかということだ。ペトロシアン議長は自分の子どもを「科学のために」犠牲にするだろうか?

ソ連水爆の父として知られるアンドレイ・サハロフは、大気圏内での核兵器の実験が健康に与える影響について、このように語っている。「想像力の極端な欠如によってのみ、後世の人々の苦しみと同時代の人々の苦しみを分けることができるのだ。」

目に見えず、音も立てず、味も匂いもしない、触ることもできない、そのような脅威に反応するというのは難しい。

それは一つの原子力事故の廃墟のあくまで一部を片づけるのに四世代もの作業員が必要であることを意味している。

ソビエトの歴史においてチェルノブイリは、ソビエト連邦を破滅させたとどめの一撃と言えるほどの衝撃を持っていったと歴史家は指摘している。

この「HARD DUTY」は大羽正律さんによって日本語に翻訳されたものがこちらで公開されています。(pdfファイル3.2MB)

さらに日本で原発事故が起こってしまった後の、2011年3月22日に米国のAOLニュースがこのナタリアに電話インタビューした記録も残っています。事故から3年目の今、改めて経験をした人からのメッセージを読んでおく事も大切なことかもしれません。転載できないので以下のリンクから。
チェルノブイリ汚染除去処理従事者から日本へのメッセージ:「できるだけ早く逃げなさい」