中野へ。
勤め人だった頃、毎日通っていた駅だ。懐かしい。数十年振りに降りた。
毎朝のようにコロッケをトッピングしていた立ち食いそば屋は無くなっていた。
からぱた写真展「LOVE WILL GUIDE YOU」を見にHidari Zingaroへ。
Hidari Zingaro に一度来てみたかった。
砂に埋まった鉄道の写真がとても良かった。
からぱたさんの写真展のコンセプトにはとても共感する。
ステイトメント
あなたは自分の写真を「無料のデータ」のままにしていませんか?
みんながデジタルカメラで写真を撮るようになったので、
昔のようにフィルムを現像してプリントして、
「紙焼きで写真を見る」ということは本当にレアな体験になりました。
デジタルの写真はそのプロセスは全部すっとばして、
他人に見せたいオンラインストレージやブログに写真をアップロードしたら終わり。
これがあたりまえになりつつあります。
(もっと言うと、SDカードの中から
一度も移動したことのない写真だっていっぱいあるはずです。)
で、僕もまあそれでいいや、と思ってたんです。でも、PCやスマホのモニターの向こうにあたりまえのように存在する他人が撮った写真は
スクロールしたらどこかへ消えてしまいますし、
一枚一枚を注意深く見たり、
それを自分のものにして何度も見返したりする性質のものではありません。
音楽のように能動的にDLしてプレイヤーに入れて
(何度も)楽しむという性質のものではないのです。また、デジタル画像はデータゆえにモニターの上で自在に扱えるように思えますが、
写真を見るという体験だけを取り上げるなら、
モニターの大きさや色の再現力に大きく左右されます。
つまり、「万人が同じ条件で写真を見るということ、ほんとうの意味で写真を見たという体験を共有すること」ってじつはとても難しいことなのです。そこに何が写っているのか、どんな眼差し(笑)で何を撮ったのか、
この写真のコンセプトは……というのが写真で食っていく人のアイデンティティだったり、
写真を撮るうえで重要なことなのかもしれません。
でも、それより前に「写真を大きくプリントして見る/見せる」
ということの楽しさを知らない人がほとんどです。
この楽しさを「写真家でございます」「写真評論家でございます」
という人たちだけのものにしておくのはもったいない。
僕はまず、その楽しさをみんなに伝えたいのです。
写すだけじゃ、ダメなんです。すなわち「写真はオンラインで、無料で(=相手の環境に左右される不安定な状態で)見せることもできるし、プリントしてフィジカルな体験として楽しんでもらうこともできる」
という選択肢を提示してみたい。
そうすれば、もしかしたら普段デジカメを持ち歩いているあなたも
「自分も写真をプリントしてみよう、それを他人に手に取ってもらおう!」
というモチベーションを持つことになるかもしれない。「アートをやりたい人=ビンボーで苦労する人=お金がなくても情熱で作品を作る人」
みたいなイメージ、
僕は大嫌いです。
そんなことをやってみせても「俺もやってみよう」とはならない。
なので、今回の写真展ではフツーのサラリーマンがどうするとどれくらいのことができるのか、
全部見せます。かかってこい、フォトグラファー!
かかってこい、写真評論家!撮影せよ! プリントせよ! 立てよ国民よ!
あなたの写真を無料のデータにしておくままではもったいない!そんな感じのことを写真で主張しながら、多少のおみやげも用意しつつ、
ゴールデンウィークの中野を燃やします。
心より皆さんのご来場をお待ちしております。