また つまらぬモノを切ってしまった

「雨後の筍」という言葉は、田舎暮らしの人間にとって深く実感する言葉のひとつだ。

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見て見ぬふりしていたんだけど、雨が続いた後、晴れが続いたら家の周りの筍が凄いことに。

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それにしても神様による竹の子の装飾的な造形を見るのは毎年新鮮。原発事故間前は美味しくいただいてもいた。

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数が出てくるだけじゃなくて気が付けばすでに3m〜4mにまで伸びて竹の子とは呼べなくなっているもの多数。

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見て見ぬふりの限界。ナタで竹を倒していく。だけど始めてしまえば、ナタで竹を倒すのは楽しい仕事。ナタを研ぐのも楽しいし、斜めにスッと振り下ろすとほとんど抵抗なく竹が斜めに切れて、切ったところから上の竹が斜めに落ちて倒れていく。振り下ろす角度が少しでもぶれたり、力で切ろうと思った途端に切れない。うまくいくときは柔らかい雨後の竹の子だけじゃなくて、太い青竹だってすっと切れる。

力を入れるとダメで条件をそろえて力を入れないとうまくいく、というのは仕事で使っている昔ながらの石の道具で石を割る時や石ノミ仕事と一緒で、結局、職人仕事というのはどうやって力を抜いて最大限の効果を得るかという作業なのではないかと感じる。
石をノミを使って彫っていく作業を力を入れてやっていては1日続けられないけれど、素晴らしい職人のノミ仕事は石頭(石用のトンカチの重たいもの)でノミを叩いたときに芯にきれいに当たって最大の効果を出したら、跳ね返っていくのを飛んで行かない様に押さえているだけなんだという。力は入れていないからいつまででも続けられるという話を聞いたときの衝撃は今でも新鮮でいつも頭の片隅に置いている。

美しい仕事をするためには、どうやって力を抜くか

というイメージは石の仕事だけじゃなくて、それ以来、人生のひとつの指針になっている。力を入れて一生懸命やればいいってもんじゃない。がむしゃらな努力がいつも報われる訳じゃ無い。というか努力は報われなくて当然。一生懸命な努力は意識的にならないと危険。見返りを求めるから。一生懸命やったのに、という思いは悲しい。

仕事の時に無駄な力を入れないように意識してきたからか僕は肩こりを経験したことが無い。

14061506(c)モンキー・パンチ/TMS・NTVM

今日は、水分がたっぷりで柔らかかったせいかスパスパ切れて、自分が宮本武蔵か五右衛門になった気分だった。

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少し動くだけで汗ばむ日。昼食に今シーズン、初そうめん。