初めてのデジタルカメラ

燃えるような夕焼けだった日。

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初めて買ったデジタルカメラにサヨナラした。まだ写るんだけど。

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高かった、Fuji FinePix1300。本当は捨てるに忍びない。でも今では子どものおもちゃにあげるって言ってもだれももらってくれないだろう。
まだブログが世の中にない時代。自分でブログのようなシステムを作ったりしてインターネットで日記を公開していたけど、それはフィルムで撮った写真を現像に出して紙焼きができたら取りに行って(紙の)写真をスキャナーでスキャンして投稿していた。どれだけ頑張っても数日のタイムラグがあった。近所のお百姓さんからいただいた新鮮な農産物の夕食のことをその日の夜に更新できるのは夢のようでとても嬉しかった。

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Flickrに投稿した最初の写真も、このカメラで地べたに寝転んで撮った愛犬小春の写真だった。

フィルムとデジタルを経験した僕がいつも心から思っているのは

「青春時代にインターネットが無くて良かった」

だ。大学3年の時に初めて絵や彫刻を見にヨーロッパをひとりで巡った時の安宿の屋根裏部屋で孤独の中で日記を書いたり、考えたり、感じたことが今も僕を支えている。あの圧倒的な孤独を経験したことは大きかった。そこからしか生まれないものがあるはず。表現の根本は孤独だと思う。当たり前だ、作っている時は「ひとり」以外の何物でもない。

ただし、それは学校で感じた孤独とは意味が違っていた。今でも学校でかつての僕と同じように圧倒的な孤独を感じている子どもたちは少なく無いだろう。それは死に近い。逃げてもいいしずるをしてもいい。がんばれ。とにかく今の過酷な現実を逃げのびた先に幸せはきっと訪れる。保証する。

関係ないけど、最近小さく衝撃を受けた動画を。生まれた時からPCをさわる世代がこれから生み出す「表現」はどんなものになるのだろう。根本は変わらないから同じような表現も続くだろうけど、今までとは全く違う表現も生まれるはず。それを見るのは楽しみだ。

デジタルネイティブの表現はこれから、どんなものになるのだろう。