四谷シモン・人形譚

14092501四谷シモンさんの講演会を聞きに行った。生きている間に直接、四谷シモンさんの話が聞ける日が来るとは思わなかった。

東北生活文化大学の講演会。数カ月前に用事で仙台に来た折に、カフェに入ってこのチラシを見つけた。人形の写真は一目見て四谷シモンとわかったけれど、何かのイベントのチラシに人形の写真が使われているだけだろうと思った。それでもこの写真だけでも欲しくて、そのチラシを貰って読んでいて心臓が止まりそうになった。四谷シモン氏本人の講演会。しかも仙台で!

ただしあくまで本講演会は主に本学学生・教職員を対象とした講演会で一般聴講者は定員100名のみ。先着順で要予約とあった。往復はがきかメールかFAXで申し込むこと。申込開始日を首を長くして待ったね。そして、開始日になる前日の深夜、申し込みメールを書いて日付が変わった瞬間に送信!翌日のお昼に「四谷シモン氏講演会ご登録完了のお知らせ」というメールが届いた。受付番号は73番だった。ギリギリな感じ。やった!

14092502

先週の水曜日に104歳のお母様を亡くしたばかりで、主催者側は講演会も流れるのではと心配されたそうだ。それでも予定通り実施された。自分が70歳まで生きていたとはいえ母親を亡くすことは大きな喪失感を感じています、という中での講演会でした。ありがとうございます。

以下、気になった点を走り書きした中から幾つか転載。自分のためのメモなので説明不足はご容赦を。(間違った解釈があるかもしれません)

  • モノ作りのスタートは小学校4年制の時に新聞紙とうどん粉で作ったドクロのお面。ドクロは映画「笛吹童子のポスター」の写真
  • 川崎プッペ、平田郷陽らの作品に夢中に
  • 「人形」という漢字を書き続けたことも。10代はずっとこんな感じ。ある種、病気だったかもしれない。
  • 19歳くらいの時にハンス・ベルメールの作品に出会って衝撃を受けた
  • 舞台に役者として立つことになった時に金子國義が四谷に住んでニーナシモンばかり聴いてると四谷シモンと命名
  • 人形は、そもそも埋葬品。呪術的なものとして作られたのが最初。他の芸術と同じように社会的に認知を受けないといけないと思ってやってきたけれど、最近は受け入れられ過ぎで、逆に認知されていない方が良いのではないかと本気で思っている。
  • 一切の表現は「私」だ。結局、私が出てしまう。似る、似ないではなくて
  • 自分を動かすエネルギーを自分の内部に持つ人形をと思い、ゼンマイを入れた。だけど重たい部分をゼンマイで動かすには無理があって壊れた。それでも内部にエネルギーを持つ、というコンセプトが大事。動かなくても
  • 思う心って何?そして天使を作った
  • 自分に似たものを作る—自己愛—人形愛
  • ジャコメッティ(針金のように細い歩く人形で知られる彫刻家)は苦悩の中で作品を生んだ。人形を作る人はそこまでの苦悩はない。

自分が人形を作るきっかけになったハンス・ベルメールの生まれたポーランドのカトヴィツェにあるシレジア美術館でベルメールと同じ球体関節人形の展覧会もやったそうだ。日本では人形作りやモノつくりの間ではハンス・ベルメールという名前は、どちらかというと敬意のあるインパクトを持って語られると思うけれど故郷やヨーロッパでの評判は悪いそうだ。キリスト教の国だから。意外だったけど確かに言われてみればあの作品群はキリスト教な人たちは怒るかも。
最後の質疑応答で会場からの3人の質問に答えていて、本編の講演と同じくらいにとても面白かった。その中でも一番印象に残ったのは
「手で撫でるように子どもの優しい顔とかを作っている時の気持ちを教えてください」という問いに、即座に
「気持ちは無い。」
と答えられた事。制作の前後に感情はあっても創っている渦中はそうだ、と共感した。「楽しいとか悲しいとかは作っている時には無い。手を動かすのみ。作っている時に何かを考えているのは良くない時。」

復活したいと願っているんですよ、と話される氏のこれからの作品もとても楽しみになった。

四谷シモン プロフィール
四谷シモン 作品

14092503
※公式サイト