ラウンジセミナー

空気が澄んでいる。そしてひんやり冷たい。

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今日は、個展会場の隣で開催されるラウンジセミナー「彫刻家 山中 環さんが語る 石で彫刻を作るということ」で話す日。ライフスタイル・コンシェルジェの成田さんの企画。成田さんは、2年前に僕に初めての個展をプレゼントしてくれた方。ライフスタイル・コンシェルジュの花器を作らせていただいたり、成田さんのおかげで世界が広がった。そんな恩人の提案は断らないと決めている。なので、人前で話をするのは苦手で本音はやりたくなかったけど、成田さんができると思ってくれたんだからと、今年も個展をやらせていただくことになった時に、普段の制作について話をする事も合わせて約束していました。

僕は人前で即興で上手にしゃべることは出来ない。思いは文章にして、推敲を重ねているうちに本当の自分の思いがわかってくる。だから僕にとって、話すことは書くこと。だけど書いたことを覚えられない。結婚式の祝辞はいつも一晩かけて覚えたつもりでも、本番ではいつもおめでとうございます、といった途端に頭が真っ白になってしまい、後はかすかな記憶から出てきた言葉を幾つか口にして終了。だから、今回はスマホを見ながら話そうと思った。そう、SEALDsの若者が街宣の時にいつもスマートフォンをスクロールしながら、心を打つ言葉を語ってる、あれです。今時SEALDsを知らない人はいないだろうけど、念のため貼っておきます。SEALDsの若者は心に届くスピーチ多いけど、今月18日に和香子さんが渋谷で街宣した時の動画を貼っておきます。(文末にスピーチ全文)

こんな風にiPhoneをスクロールしてかっこよくセミナーで話そうと言う訳です。それにiPhoneのメモに原稿を書いていればちょっと思いついた時にすぐに推敲や追加、書き直しができる。当日も家を出るまで推敲を重ねては読み直していた。何だよ、準備万端じゃないか!さすが俺!

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そして、さらに、さすが俺!な事を思いつきます。iPhoneのメモ帳の今日の原稿を開いたら「全選択」→「読み上げ」を選択すると、ちょっとスピードは早くて、時々読み間違いはあるけど、文章を声にして読み上げてくれる。それを聞きながら車を運転ですよ。運転しながら聞きながら覚えられる。さすが俺!
で、何回か聞いた後で、また思いついたことがあって信号で停まった時に、推敲しようと思ってiPhoneを手にとったら原稿が全て消えていた・真青
どうやらDeleteボタン(上の写真黄色丸印○)に触れたらしい。おもいっきり振ってみるも(iPhoneを振るとアプリによっては直前の作業を取り消せます)駄目。推敲に推敲を重ねた原稿は会場に付く前に消滅しました。ハハ。ハハハ。ハ、ハ、ハ、ハ〜。(今度やるときはせめて全選択の後に「コピー」でクリップボードに入れておくべきですね、それなら復活できるから)

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万が一に備えて推敲前の、ほとんどプロットだけのものをプリントアウトしてノートパソコンに挟んであった。写真は呆然とスカスカのプリントアウトを見つめる本番20分前の控室の僕をカミさんが激写したもの。

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実際に使っている道具を初め、白御影石、黒御影石、伊達冠石をサイコロ状にして各面を、いろんな仕上げにしたものを説明用に数日かけて作ったものを持参。(明日、写真をアップします)ひとつ3〜4kg弱、それを6個。道具と合わせて重い、重い。説明しながらすぐにお客様にお見せできるようにセッティング。

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いよいよ、始まってしまいました。

「作家の方は思いはあるのですが、思いがありすぎて、それをうまく言葉にして表すことが必ずしも得意ではありません。どうか温かい目で見てあげてください」と50過ぎのおっさんの僕を成田さんが優しく紹介してくれている。会場のお客様がそれを聞いて思わず笑ってくれて会場が温かいムードになった。そして、会場の入口で待機していた僕も、思わず笑ってしまって気負いがとれて素直な気持ちになった。この写真はまさにその時。肩の荷が下りて余裕ができて写真まで撮れてしまった。上手でやさしいなぁ、成田さん。

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プロットが書かれただけの紙を遠い目で見ながら話し始めます。

だけど、良く考えたら辛い修行をしているんじゃなくて、毎日、誰が読んでくれているかもわからないこのブログに、自分の思いを10年以上前から書き続けているけど、誰かに聞いて欲しい、誰かに共有して欲しいと思っている思いを話すことができる1時間。まして、聞いてみてもいいかな、と思って集まってくださった方の前で。そんな幸せな時間を緊張で過ごすなんてもったいない。何て幸せな1時間、と思ったらなんか等身大で話ができました。何より挨拶した時から、お客様が笑顔で、つたない話にいちいちうなずいてくれて幸せな気持ちがどんどん大きくなって、気がついたら予定時間をオーバーしてた。豚もおだてりゃ木に登る状態ですよ。馬鹿ですねぇ。本当は言いたかったことの7割も話せなかったし、せっかく用意したのにお見せできなかった写真や動画も山のよう。でも、これが今の僕の等身大なのです。反省はするし次があれば活かすけど、これが今の精一杯。きっと。

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この写真に写ってる方で、今回の個展に一番乗りを目指してふたりで来てくれた友だちがいて、それだけじゃなくておふたりは、イマソラ写真集を買ってくれた最初のお客様になって、イマソラ写真集にサインを書いた最初のお客様になって。そして、そのおふたりが今日のラウンジセミナーにも参加してくれてました。「緊張するからやめてよー」って言たけど本当はてとても嬉しかった。どうもありがとう。

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セミナーが終わって軽食。僕が混ぜていただいたテーブルには、ここライフスタイル・コンシェルジュでの、おととしの個展にも今年の個展にも来ていただいて、他の人の何倍もかけてていねいに作品を見てくださるので、人の顔と名前を覚えられない僕でさえ、お顔を覚えた方がいらっしゃった。とても感激した。
今回、石の彫刻の制作について、初めて人前で話をさせてもらった。僕には自分で新しい世界のドアを開ける力がない。ドアはいつも誰かが開けてくれる。今日は成田さんに新しいドアを開けていただいて感謝しています。期待にどれだけ応えられたかはわからないけど、家に帰って乾杯しました。

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ラウンジセミナーが終わった後、セミナーに参加された方の多くはそのまま帰らずに、隣のアートスペースに移動して、改めて僕の作品を見てくださった。

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午後も、たくさんの方にご来場いただきました。ありがとうございます。

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自分が作った作品がきっかけで誰かと会えるのは本当に幸せなことです。

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ライフスタイル・コンシェルジュの公式サイトで今日の事が早速、紹介されています。(成田さん、仕事早すぎ)こちらです。

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僕が石彫りに困ったら助けてもらう石神彫刻工房のおふたりも、忙しい中来てくれた。毎年、買っている石んこカレンダーを持ってきていただいた。我が家と、僕とカミさんの実家で来年も日を知らせてもらいます。カレンダーの写真は奥さまの和代さんが担当。写真の腕が年々上がっていて見るのが楽しみ(と上から目線な意見)。

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個展に来ていただくお客様でお土産を持ってきてくださる方がいますが、来ていただくだけで嬉しいのでどうぞ手ぶらで。とか言いながら焼いたパンを持ってきてくれたので嬉しくて石神彫刻工房の和代さんのパンの写真をアップしてしまう・笑
本当に手ぶらでいいから是非、会場に来てくださいね。作品を前におしゃべりするだけで充分に幸せなのです。

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上記、文中に上げた「安保法制に反対する渋谷街宣 (SEALDs & T-ns SOWL)」(2015.10.18)和香子さん (SEALDs)スピーチ全文を以下に。その前に少し。SEALDsの若者に対する誹謗中傷がすごい。特に安倍を信望する男からSEALDsの若い女性への。キチガイじみている。自分自身を人前に晒して態度表明をしている人に、twitterなどで匿名で。ダサい。圧倒的にダサい。安倍に搾取されているのに、中国や韓国への攻撃的な姿勢に自分のイラつく感情を乗せているだけの男が、自分で考え、行動し、逃げも隠れもしないところで自分の意見を言い、デモもするけどオシャレもする。若い人生を精一杯生きてる彼女らを目の当たりにして、悔しくてしかたがないって言ってるようにしか聞こえない。自分が間違ってるんじゃないのかっていう不安を、相手を潰すことで無くそうとしている。小学生が、好きな子をわざといじめてるみたいなことをエスカレートしてやっているのかもしれないけど、大丈夫。彼女が君に微笑むことは無いから。永久に。本当は自分を認めて欲しいなら、正攻法で行け。彼らが正論を言うのが悔しいんだろう。正論で生きていくのは大変だ。「そうは言っても」って言いたくなるだろう。でも正論は夢なんだ。
“War is Over if you want it”だよ。
これをそんなの夢だと馬鹿にする人と、その夢の実現を夢想する人がいる。もちろん僕は後者だ。人は最後にどちらに行くんだろうね。

では、以下に和香子さんのスピーチ全文を。

「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは常に簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険に晒していると主張する以外には何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。」

これは、ドイツの政治家ヘルマン・ゲーリングの言葉です。この言葉に異様な親近感を持ってしまうのは果たしてわたしだけでしょうか。

二年前のこの時期、私は特定秘密保護法に反対する意を示すため、初めて路上に立ちました。それまでデモなんて私の生活の中にはどこにもなくて、けれどその時肌で感じた違和感に抗うことができなかった私はそれらを生活の中へ迎え入れることに決めました。

あっという間に月日が流れ、一ヶ月前の九月十九日に安保法制は成立しました。

国民の過半数が説明が不十分だと感じている、そんな安保法制が違憲立法であることは既に周知された事実です。私は、戦争へ加担する可能性を高めるこの法案に対し、押し黙っていられるほど自分の未来に無責任になることはできませんでした。

今回、安保法制に対し反対の声をあげていく中で、私の手元にやってきたのは圧迫感でした。とにかく、息が苦しくて仕方ない。それは、安倍政権の行う政治そのものが私にとって恐ろしいほどに抑圧的であったからです。そしてそれは政権の行うことについてのみの話ではありません。先日、ある一人の漫画家がシリア難民問題へ最悪のリアクションを起こした7人に選ばれました。己の排外主義と歪曲した解釈を基に描かれたその難民の少女の絵は海外でも広く取り上げられました。街の公園で暮らすホームレスは排除され、金銭的余裕がなく風俗店に勤務する女子大生は貧乏なのに進学したことは罪だと言い、人々は、いつだって帰れる場所であったはずの故郷を永遠に失い今もなお苦しみ続ける人々が同じ土の上に立っていることを忘れ、本屋のウィークリーランキングのコーナーには根も葉もない偏った内容の盛り込まれたヘイト本が積み上げられ、人々はその情報を疑うことなくするりと飲み込み、眼の色を曇らせていきます。

疑うことに未熟であったばかりか忘れるということに長けており、さらには言葉を紡ぐという行為を無礼なまでに放棄した人々の放つくぐもったそれらは私の肌にぴたりと張り付き呼吸を妨げるのには充分でした。

法案成立後、何が変わったのか、と何度も聞かれました。まるで何かが成し遂げられたかのように、結果を、成果を求められました。私自身が、自分の声で、足で、民主主義に賭けたのはわずかここ二年間の話です。そんな短いあいだに社会を大きく変えることができたのならば、今なお世界中にはびこっている差別や戦争や貧困は、来年には全て消えてなくなるでしょうとお答えしました。

70年間、日本はどこの国とも血を交えることなく平和を保ち続けてきました。

けれどそれは、ただ憲法があったからというだけのことではありません。いつだってどこかで、誰かが、日本国憲法の保障する自由と権利を保持するための不断の努力を積み重ねてきたからです。声をあげることは、おかしいことにおかしいと言うことは、決して特異なことではありません。歴史の教科書の片隅にも載らないような誰かが、そんな多くの誰かがずっと、ならし続けてきたその道の上を私は今こうして歩くことができます。日本が民主主義の国である以上、いつかその順番はやってくる。今回こうして廃れきった社会と荒れ狂った政治は思わぬタイミングで私にバトンを回してきました。私達の、番なんです。その道をならし続けることは決して容易ではないでしょう。しかし私はその役目を喜んで引き受けることができます。なぜなら私は思考することを放棄しないからです。そしてこの国の未来に対し極めて真剣であるからです。

希望の光を未だ見ぬ絶望の世代は、いつだって前を向くことに長けている。
これから明るくなるしかない場所に立って、やっと掴みかけたその淡い光を手探りで、しかし確かに繋げることを諦めることなく続けてきました。その明かりの火種はまたひとつ、時の政権とその暴挙を許した社会によって踏みつぶされてしまったのだけれど、私はもうその暗さを怖れる必要がないということも知っています。在るべきものを守り続けるために、何度でも何度でも諦めることなく進んでゆく。それは絶望の世代の何よりの強さに違いないでしょう。

こうして集まった、不断の努力を体現する全ての人たちへ、私は感謝と敬意を述べたいと思います。いつだってどこでだって、こうして民主主義は、平和は、紡がれてきたのです。社会をよくするために、英雄になる必要はありません。知性への敬意を捨てず、想像し思考することを放棄せず、そうして前を向き続けること。

私は30年後の未来で「戦後100年」という言葉が当たり前のようにそこに在ることを望みます。信じます。そしてそのための努力を続けることを、ここに誓います。

2015年10月18日、私福田和香子は安保法制に反対し、安倍政権に退陣を求めます。有難うございました。