居酒屋我家、木曜日営業中

今日の日の入り。

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空が広い。

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ブレているのは車を運転しながら窓から手を出して撮ったから。危ないからiPhoneは見てません。勘で撮ってます。

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今年の夏は涼しい。肉体労働者には助かる。

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今日の蔵王。

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今日は満月。

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本日の居酒屋我家。だだちゃ豆、冷奴 etc。なんだよー、幸せ(幸せのハードル低いス)
居酒屋我家の定休日は日曜日から木曜日まででしたが、最近、木曜日は営業日になりました。今宵はスプリッツァー(白ワイン+炭酸+レモン)で乾杯。

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酔っ払いのジャガイモ(ジャガイモと白ワインを使うスペインの定番の家庭料理)

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ツナと玉ねぎの塩とビネガー和え

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ナスの煮浸し、とうもろこし


これ、とても刺激的な対談。何かを生み出すことと、時代の事。
僕は自分のことだけ考えてきた。自分の制作のことだけ考えてきた。原発事故がなければ、たぶん、そのまま続けてそのまま死んでた。ひどいね。僕が世の中に役に立つ事なんてないだろうけど、それしか出来ないんだから、せめて、それを追求すること以外に、万が一にも、世の中のためになることに近づくことは無い、と思っていた。だけど、放射能を撒き散らし、それを次世代に残し、戦争にすら近づくという、こんな最低な時代、最低な奴らが牛耳る時代に、自分の制作のことだけ考えているのはあまりにも自分勝手ではないのか?と感じて、やれることをやって、発信し始めた。この時代に、「放射能が有る事」や、「戦争に近づいている事」を「無い事」にして何かを表現することに意味があるのだろうか?(直接的に作品のテーマにするかどうかでは無く)

少し長いけど是非。

いとうせいこう×高橋源一郎
“あの日”の後に書くことについて