zoomでインタビュー

ロシアのカルメキア共和国の首都エリスタにふたつの野外彫刻作品を現地で制作し、設置されている。

オリンピックと同じように国をあげて戦う”チェス・オリンピアード”という世界的な大会があって、日本では囲碁や将棋が盛んなのでほとんどニュースにもならないけどチェスの盛んな国では大きなイベントのひとつ。(天才チェス指しの女性のドラマ、クイーンズ・ギャンビットは世界的な話題になりましたね)1998年に33回目の大会がエリスタで開かれることになった。その当時のエリスタの大統領がかなりのシャフマトリスト(ロシア語でチェス指しの意)だから自国に誘致したのだろう。それに合わせてオリンピック村や街を彫刻で飾って世界中からやって来るチェス指しや関係者、観光客を迎えようと国際彫刻オリンピックが企画された。石の彫刻の世界には以前から彫刻シンポジウムというものがあって世界中から彫刻家が集まり同じ釜の飯を食べそれぞれが青空のもと石を彫り彫刻を作り夜はシンポジウムの語源通り酒を酌み交わす、というもの。

”συμπίνειν (sympinein)(意味は to drink together、一緒に酒を飲む)から派生した、古代ギリシャの「饗宴」 συμπόσιον (symposion) に由来するとされる。”(Wikipedia)

自分も一度でいいからいつかそれに参加したいと強く思っていた。

”彫刻シンポジウムは、元々ドイツの心理学者チャガン博士とオーストリアの彫刻家カールプラントルとの協力により、1959年にオーストリアで始められた[3]。 シンポジウムとは、師、流派、人種を超越して参加した作家が、自由なテーマで約三ヶ月間、寝食を共にして、青空の元で制作し合う事で、世界中に広まりつつあった。”(Wikipedia)

そんな折りこのシンポジウムの情報を知り国際電話でプレゼン資料をFAXしたりして招待参加が認められて、1997年の第2回国際彫刻シンポジウムに参加してカフカス砂岩で「Dance」という作品を

カフカス砂岩 (H)2300×(W)1800×(D)800 1997年

翌1998年の第3回にはウラル大理石で「Changing World」という作品を作った。

ウラル大理石 (H)1800×(W)850×(D)250 1998年

そんな訳でエリスタには世界中の作家が残していった、たくさんの野外彫刻が建っている。(現在85点前後あるらしい)エリスタに住むある女性が何故私の住んでいる街にはこんなにたくさんの彫刻があるんだろう、と思い調べてその経緯を知りYouTubeにそのいくつかの彫刻を撮ってアップしたりGoogleでいろいろ調べていたら「Dance」という彫刻を作ったのは日本から来た Tamaki Yamanaka という情報を知り僕のインスタグラムをみつけてくれた。アカウント名をそのままの yamanakatamaki にしておいて良かった!そのおかげでこんな幸せな再会もあった。

→カルムイク共和国 20年振りの再会と初めまして

そしてその Anna Tepshinova さんから Zoomで「Dance」という作品についてインタビューしたい、とダイレクトメッセージをいただいた。「Changing World」という作品は高名な詩人クグルンチーノ氏が国から与えられた豪華な私邸の庭に設置されているから一般の人が見ることはなかな難しい。それに比べて「Dance」という作品はホワイトハウス(大統領府)からすぐ近く、メインロードの脇に建っているので多くの人の目に触れられる。なんなら日本からでもGoogleのStreetViewで見られるのだ。(下に掲載)

もう何年も英語話してないから無理、荷が重いなぁと思ったけど、僕の大好きな思い出の地、エリスタの子供の頃から僕の作品を見て知っている人の誘いを断る理由は無いと思い直し受けることにした。当日は猛暑の中でハードな石彫りをしたので夕食のビールを我慢できず少し酔っているし僕の英語はほとんど文章にならず単語の羅列だし恥ずかしいけどそれをそのまま以下に貼っておきます。言葉はコミュニケーションが目的だからいいのだ!と恥ずかしさを押し殺して。。。

 


 


 

緊張の初対面。少し酔ってて逆に良かったかも・笑

終始にこやかに拙い英語を理解してさりげなくサポートしながら進めてくれました。

彼女は最初の方でググってインスタグラムで僕を見つけたって説明してるのに良く聞き取れなかった僕は最後の方で

How did you find out that I was the creator of the sculpture?(どうやって僕を見つけてくれたんですか!)

とか質問してるし。それでもにこやかに答えてくれてるし。なんて優しい。感謝!!

すごい良い写真!こんな素敵に紹介してくれて。英語の酷さはさておきやってよかった。またエリスタにまつわる思い出がひとつ増えた。いつかカミさんを連れて再びカルメき共和国を訪れ自作の彫刻やそこで出会った人たち、そしてアンナさんに会いたい。

アンナさんがカルメキアの彫刻を紹介した動画

国際彫刻シンポジウムには、どちらも主にロシア語圏から十数名の彫刻家が参加し、日中は初めての素材の石と格闘し夜は毎晩の様にウォッカを酌み交わした自分の人生でも忘れられない幸福な時間のひとつだ。どちらも一ヶ月半の滞在だったけど別れるときはビザや日程の関係で他の作家より少し早く帰ることになる僕のために大好きなウォッカではなく僕の大好きなビールが飲める店でお別れパーティーを開いてくれたり、自分の制作を休んで空港まで全員が見送りに来てくれた事が忘れられない。こんな自分でも受け入れてくれる人がいるんだ。こんな自分でももしかしたら大丈夫なのかもしれないと思った。2回目のシンポジウムの際はロシアまでの長距離を寝台列車で旅のように一緒に帰ろうと仲良くなった彫刻たちが誘ってくれて一緒に帰った。最後に空港まで送ってくれて大男が涙ぐみながらハグしてくれて言葉がうまく通じなくてもこんな風に心が通わせることができるんだなぁと思った。

ストリートビューで見る「Dance」

カルムイク共和国(カルムイキア共和国)初代大統領 キルサン・ニコラーエヴィチ・イリュムジーノフ氏と。第3回国際彫刻シンポジウム参加の折り激務で多忙の大統領とホワイトハウスで面会。深夜3時くらいだったか。記念写真まで撮ってくれた(同い年だった!)1995年から2018年まで長期に渡って国際チェス連盟(FIDE)会長をつとめた。

空港まで送ってくれたイーゴリとそれぞれの制作中の作品

僕(黄色のTシャツ)の隣はカルメキアのパパと密かに読んでいるバイスキン。エリスタの彫刻家。ロシアの寒さには全く役に立たなかった僕の防寒着を見かねて温かいのを貸してくれたり自宅の食事に招待してくれた。ロシアから勲章を授与されるほどの地元の偉大なマイスター。たまたま勲章授与がシンポジウムの期間中だったのでみんなでお祝いできてとても嬉しそうだった。

詩人クグルンチーノ氏宅で開かれたパーティー。

「1997国際彫刻シンポジウム in 仙台」に制作助手として参加させていただいた事がきっかけで、この国際彫刻シンポジウムに参加することができしました。報告集の巻末にその時の事を書いた一文を掲載していただきました。

国際彫刻シンポジウム 参加報告

「Dance」制作の様子


Anna Tepshinova さんのインスタグラム
Anna Tepshinova さんのYouTubeチャンネル