祭りの場・ギヤマン ビードロ

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 林京子著、「祭りの場・ギヤマン ビードロ」を読んだ。

 著者は上海から長崎に引き上げてから4年後の、1954年8月9日に学徒動員で働いていた三菱兵器工場で原爆を受けて被ばくした。

 原爆という暴力。理不尽に浴びせられた放射能。一瞬にして何も無くなった爆心地。蒸発した命。蒸発しなかったために、あるいは余計苦しみながら亡くなっていった命。

 目の当たりにした現実を、深い深い内省を経て書かれた小説。

 淡々と描写される風景に、自分自身の原爆に対する今までの想像力の欠如を思い知らされた。写真展などで目にしてきたものとはまた違う痛みを感じた。特にこの小説の中で何度も出てくる「ガラス」の事を今まで意識したことは無かった。爆風を受けたときガラスの近くにいた人間は体中にガラスを受けたのだ。
かろうじて皮膚をはがされなかった体の中でも骨は焼かれたのだ。

 原爆から始まった全ての人や物に対して何年たっても「素直」になれない自分。それを冷静に「素直」に書いている。時に過剰になりたがる筆を抑えて書いただろうと思った。
 忘れたい、忘れてはいけない、忘れられない、ぐるぐる回る気持ち。

 「被爆」と「被曝」。字も違うし、直接起こった出来事は違う。だけど同じ国で繰り返される放射能の悲劇と苦しみ。読んでいる間は作者と共に時間を過ごしているようだった。

 現代にもう一度読まれる意味のある本だと思った。(文庫で読んだのだけど、菊地 信義の装幀はやっぱりとても素晴らしい)

「とても良い本だった。恐かったけど。読むといいと思う」とすすめてくれた友だちに感謝。読んで良かった。ありがとう、いくこさん。