星島発・音楽の海 自己治癒Cruise

 「星島発・音楽の海 自己治癒Cruise」を読んだ。
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 羽下先生にお会いした後に、思いがけずいただいた先生の著作。お会いしたときもいろんな話をしたけど、その時には出てこなかった「音楽」の話が主に書かれている。僕が聞いてきた音楽とはあまり重ならなかったが残念で、曲を知っていたらもっと面白く読んだだろうと思うと少し残念。
本筋から外れているかもしれないけど、心に引っかかった文章を少し書き留めておく。音楽の事を語っているけど絵画や彫刻の「制作」に通じる。

「音楽屋は音楽をやっていればいいのさ」
音楽をする側も、それを聞く側も、互いにそう思い、また、思わせてしまうこと。それは、音楽する側を内濠と外濠とで二重に守りつつ、安全圏に逃がしてくれる。が、これでは音楽は、根を切られて「立ち枯れ病」をおこす。(p.49)

考えてもみて下さい。モーツァルトの音楽は、当時のポピュラー音楽であったことを。また、ルネッサンス・バロックの音楽は、たとえ宗教曲といえども、その場限りの消費音楽の崖っぷちに、いつも立たされていたことを。
 音楽とは、そうした際どさ、いかがわしさを養分にし、蔑視をかいくぐるしぶとさを身につけて初めて輝くものであり「芸術」という名の新しい額縁がそれを光らすわけではない。(p.113)

意識化で互いがやり取りしてたものは何か。ひとりで生きるきびしさと、舞台と客席を挟んでの交感の一瞬の輝き、ではないでしょうか。「ひとりでいること」は「他人とかかわること」とは別種の、しかし重要さにおいて同じ能力です。(p.115)