私はかんもくガール

「私はかんもくガール」を読んだ。

15051901

「かんもく」って何?っていう人も多いかもしれない。漢字で書くと「緘黙」。場面緘黙症だった著者が、自分の症状に名前があることも知らず何年も苦しんで、なんとかそれを克服して、その症状への理解とその症状で苦しんでいる人の存在を多くの人に知ってもらいたいとの(使命感に似た)気持ちで書かれた本。著者の、らせんゆむ さんは現在ではイラストレーターとして仕事をされているので、自身の生い立ちを(あえて)面白おかしく漫画の形式で描いて、章の合間に「かんもくネット」facebookページ)代表の臨床心理士、角田圭子さんの解説が入ってとてもわかり易い。

かんもく症の人はあなたの身近にいたかもしれない。学生時代に全く(もしくはほとんど)しゃべらない子、いませんでしたか?その人はかんもく症だった可能性は大きい。個人的にはかんもく症の人は僕のまわりに身近にいた。そしてそれは今でも。「しゃべりたいのにしゃべれない」って人事じゃない。僕も「場面」によっては、そうなる。(緘黙症の人のハードルとは高さが全然違うのに同列に書いて申し訳ないけど)
中学校の同級生の、かんもく症の女の子は家も近かったので、友だちになりたい気持ちもあって「あいさつくらいしろよー」とか言ってた。最低だった、俺。本当にごめんなさい。

他人との関係をうまくとれなかった自分は、かんもく症ではなかったけど共有する感覚は少なくない。(130ページの左下の小さなコマで主人公が読んでいる本の表紙を見ても、同じようにいろんな世界を必死に見てきたんだなぁと共感した)その心の動きはすごくよくわかる。その頃、よく考えていたのは世代の「負」の価値問題だった。部活動で無意味なあいさつやしきたりを一方的にやらされた世代は、やらされている間は本当に嫌だったはずなのに、上級生になると「それ」を行使できるようになるので、当たり前の様にやる。そうやって悪しき伝統が脈々と受け継がれていく。それはそうだ。もし、それを止める世代がいたら彼らはひどいことを「やられた」のに「やり返さない」。つまり、やられるだけ。やられたムカツキを弱いものにぶつけてセイセイしない。これを止められるのは簡単そうに見えて簡単ではない。だから部活でも血脈でも「最低」な事が次世代へと繰り返されていく。それを超えるのは本当に大変。そして、時々いろんな時にいろんな場所で「意識」が勝ってこの悪しき伝統を乗り越えた時に、幸せな物語が紡がれる。僕はこんな「精神」にふれる時が本当に幸せ。
小中学校で転校やいじめを経験した事がある人にも、この感じは伝わるような気がする。

この本の著者は美術や音楽といった「表現」の手段を獲得する中で場面緘黙症を克服していった。世間一般の「普通」の人のようには、外界とうまく折り合いがつけられない人にとって、その接点が「表現」である事は少なくない。それは本当に救い。そして、それは僕もだった。人事じゃない。

もし、あなたのすぐそばに、喋れない人がいたら「あいさつくらいしろよ」とは、中学校の時の僕みたいにはどうか言わないでください。本人だって話したいんです。
でも、僕ら以上にいろんな事を考えて考えすぎて、きっかけも失ってしまって話せないでいるだけなんです。そういう症状がある、と知ってもらえるとありがたいです。

この本の著者はいろいろ(本人の努力もあって)克服出来て良かった。だけど、克服するのはそう簡単ではないし、大人になっても克服できない人は少なくない。

15051902

なんか心がかき乱されるような帰り道の雲でした。

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