5回目の3.11

原発はメルトダウンはしていない、放射能の問題は無いと言い切って今でも訂正しない「科学者」プルトニウムは飲んでも大丈夫と言って小出教授を嘲笑した東大の教授、実害があるのに風評被害にしようとした人たち。
原発事故はすでに、収束していると思っている、誰かにアンダーコントロールされている人たちは、東北の人が、冬を耐えて待っていた、春の象徴の山菜の放射線値を知らない。

5年前、あまりの惨状に、この国の人は原発に依存しない国を目指そうって、みんなでそう願ったよね。

160311035年前の大震災の翌日の家の近くの道路

原発の利権があった方が儲かる今の政権に、原発と戦争の根は同じだって毎日見せられている。経済界や大企業もどうでもいい。世界に嘘ついてでも、不祥事だらけでも、被災者を救うよりも、オリンピックやりたがる人たちもどうでもいい。テレビも新聞もマスメディアも、電通もどうでもいい。

都会のともだちや、地方の友だちや、自分の身や田んぼや畑に放射能を振り撒かれた東北のみんなに、本当はどう思ってるの?って聞きたくなる。

残念ながら多くのものを失ってしまったから、決心して新しい世界、新しいステージに向かって努力しよう、ときっとみんな思ったはず。だから原発に依存しない社会をとみんなで決めたはずなのに。だけど旧態依然の、というか戦前の幻想を求めたり、高度経済成長期と同じ古い発想。東北の海岸にそびえ立つコンクリート壁の工事で、票田の業者にお金は回るかもしれないけど、海は見えなくなり、豊かな自然は壊滅する。津波からは逃げるのが最優先なのに、どんな自然の驚異も数十年で風化し始めるコンクリート壁で守りきると言うのだろうか。なんて愚か。初めての事態が起こっても、そこから何も学ばない古い発想。新しいステージに向かうどころか、昔を懐かしんで一歩一歩降りているリーダーたち。

あれから、どんどんひどくなるこの国で、悲しい怒りに包まれている、5回目の3.11。