あれから5年

車のボンネットとフロントグラスがバリバリに凍った朝の太陽。

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久しぶりに朝から青空。。

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今朝の人参(24日目)

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この写真は5年前の3月9日の写真。いつものように仕事場で石を彫っていたのだけど、いつも空ばかり見ている僕にとっても、いつも見ている雲とあまりにも違ったので、遊び心でコンデジを地面においてこんな写真を撮っていた。

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そして「地震雲」というタイトルでエントリーした。その2日後に東日本大震災が起こるなんて夢にも思わずに。だから僕は今でもあの時のような、ものすごく細くて繊細な妖しい雲で空一面が覆われていると心がザワザワする。あれ以来、めったに見ないけど。一般的に「地震雲」とか言われてるような雲を見てもなんとも思わない。僕が見た雲は全く違う。ただ、地震雲なんてものが本当にあるか無いかは知らないけれど、あれだけの、大地震を起こすような大きな地殻変動が起こっているときに、地球にまとわりつくようにうっすら覆っている大気に影響が全く無いとは思えない。

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今日の自室の壁。わずかこれだけの写真に写っているものだけでも、姪っ子や離れたところにいる友だちやロシアの彫刻家がくれた土笛とかバリ島やスペインで買ったポストカードとか。思い出のつまった小さな「物」でいっぱい。だけど、多くの人がそんな思い出の詰まった物を津波に流されてしまった。それだけじゃない。自分の命すら。

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ひとり自宅近くの沼で、2時46分に大震災の犠牲者に一分間の黙祷をした。心を落ち着けて手を合わせたんだけど、市のサイレンが鳴ってあの頃の緊迫した気持ちを思いだした。

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沼のほとりに建つ神社でも手を合わせた。

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青空が広がるけど寒い日だった。5年前のあの日は、もっと寒くて雪が舞っていた。レッスンで仙台にひとり出かけていたカミさんを迎えに、余震の続く中、信号もつかない真っ暗な道を、亀裂や陥没をよけながら車で走り、4時間後に無事に会えたときに、雪は降るような星に変わっていた。長い道のりに感じた迎えに行く車の中には、愛犬小春も一緒で、どれだけ心強かったかわからない。もう一度、田んぼのあぜ道を一緒に散歩したい

個人的な10日間の記録:東日本大震災
(放射能の事がまだ良くわからない時で、放射能が降った日にも屋外で水を待ったりガソリンを待ったりしてる。その水を飲んだり、蕗の薹を摘んだり、ルッコラをかじったり。今、振り返ると考えられない事をやっている。恐ろしい。テレビでは「絆」とか「直ちに健康には影響が無い」って言葉が連呼されていた頃)