原発とどう向き合うのか

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 憲法記念日の今日、宮城憲法会議の講演「安心して生きていくために、いま原発とどう向き合うのか」野口邦和先生(日本大学専任講師・日本科学者会議エネルギー・原子力問題研究委員長)を聞きに仙台の仙台弁護士会館へ。会場に入りきれないほどの人が参加していた。
 講演は(そのタイトルにひかれてかけつけたのだけど)大地震発生から今までの原発の出来事のまとめだったので新聞・テレビ、雑誌やネットのサイトやブログ、USTREAM、twitterなどで原発関係の情報に日々接し続けている僕には新たな情報は無かった。また放射線の測定値が低いからか仙台の人たちと僕の気持ちの温度差は強く感じた。仙台の人たち(や野口氏)が笑っている原発関係のジョークの全てを僕は笑えなかった。飯舘村の人たちも笑えないだろう。住んでいる地域や個人の考え方(特に放射線値)で緊迫感が違うんだからそれも当然だと思ってますが。(野口氏の原発の経緯が、今回の原発事故の発生から今日までの事実とその問題点をわかりやすくまとめられていたことも明記しておきます。特に具体的な数字の入った資料はとても参考になりました)
 講演の前の「被災現場からの声」で話された3人の方の話はいづれも心に響いた。「現場」の生の声は「現場」の人からしか聞けない。全く現場を見もせずに東京からしたり顔で原発について発信しているネットジャーナリストがいかに多い事か。(もちろんその有名なITジャーナリスト達の名前は書きませんが野口氏のことではもちろんありません)
 坂病院院長の今田氏の復旧の現場で米軍の姿を見た事で憲法で保障されている生存権という言葉の前に「平和的」と言う言葉を加えた「平和的生存権」が大切という話や復興の話に国や県の圧力が強まっているが本来そこに済む人々の声こそが大切という話
 石巻市立女子商業高校教員の平居淑子氏の、海岸から200mの学校。1階は津波で破損し電気、水道、電話も復旧しないままの校舎の2、3階で新学期を開始するように指示された。その話に僕は改めて文部科学省は子供の人生より国の都合を優先させている事実を思い知る。新学期を迎えるために複数の研究者が何年もかかって決めた1年間の被曝許容量の1msvを原発事故後、何の議事録も無しに一気に20msvにしているくらいなんだから。責任を持って20倍の20msvとした人が誰なのかを教えて欲しい。この異常な決定の責任の所在すらわからないまま数値が数値として一人歩きして子ども達が被曝している。(誰の思う壺?)(ちなみに平居氏の学校は父兄のあまりの心配から他の学校を間借りして授業する事が可能になったようです)
 自由法曹団の草場氏の話は特に心に残った。炊き出しすらされず温かいご飯を食べられない被災者は憲法が保障している生存権すら脅かされていると。1日におにぎり2個でも被災者はありがたいと思って必死に耐えているけど、その中で本当は温かな食べ物が食べられる炊き出しが可能な地域もある。だけどそれが不可能な地域がある場合不公平にならないように低い方に合わせて炊き出しが行われていないというのだ。
 見舞金の問題と同様だ。公平性だけを優先して「今、必要な事」を後回し。阪神大震災を経験した方の「1年後の100万円より直後の10万円」という言葉を思い出す。
 被災者が温かいご飯を食べられないのは当然の権利すら奪われている状況だ、という認識が僕にはなかった。税金は搾り取るくせに最低の権利すら満たさない国、現政権。
 先走ってる感が強い復興計画はそこに住む人たち一人ひとりのための町作りであるはずなのに、会議しているのは当事者ではなく知事や学識者や大手コンサルタント。当事者は置いてけぼりだ。(被災の当事者であるはずの宮城県知事にいたっては「災害対策税」(仮称)の創設を被災地自ら提起している。考えられない)
※人の話をきちんとまとめる力が無いので、講演者の話の文責は僕にあります。
 先日、石の花器を置いていただいたカフェが会場のすぐ近くだったので家路につく前にカミさんとお茶を飲みに行く。「ヴィトリーヌ
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 ウエノイチローさんの富士山は作品を少し入れ替えてあった。
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 テーブルのひとつは本物のグランドピアノの天板だった。素敵。本当に居心地の良い空間です。