高い所が恐い

朝。

16032001

今日の人参(33日目)

16032002

仕事場の隣の空き地に、目撃することが珍しくなくなったイノシシを捕獲するための檻が設置されていた。ここは見渡す限りの煙草(の葉の)畑だった。原発事故で放射能が降った後、「自粛」を要請されて畑をやめた。「自粛」というまるで本人がやめたかのような、国の強烈な責任転嫁。同調圧力。何が「絆」だ。その原因になった、この国にある全ての原発の建設を推進してきた今の政権は、原発のために畑をやめた人々、今も仮設住宅に暮らす人々、東北を離れ遠い地で暮らす人々、生活があるからと夫だけ東北に残って離ればなれになって暮らす人々の存在をまるでないかのごとく、その根本から目をそむけ、東京オリンピックとか、食べて応援とか、海外に原発を売るとかしてる。福島原発の事故の結果がこの程度で済んだ奇跡的な状況に大きく関与している重要な施設「免震棟」の無い原発を動かすという、究極的に愚かなことが現実にこの国では普通に起こっている。想像を絶する多くの人から、補償では計り知れない未来の可能性を奪った、今の日本の「国」というシステムのあまりのひどさを日々思い知らされている。沖縄の現状とかを見るにつけ、何のために「国」というシステムがあるのか考えざるを得ない。
この檻の横には大きな穴が掘られていて、首を落とされた丸々と太ったイノシシが穴の底に横たわっている。放射能値の高い山のドングリとかを食べているからだろう、イノシシの放射線量はおどろくほど高い。だから捕まえても食べられない。しっぽや耳を持っていくと市町村からわずかばかりのお金は出るけれど。だから食べられない。穫らない。増える。の悪循環が田舎では加速している。これはほんの一例。原発事故がどれだけ自然と共に暮らしている人に影響を与えているか、全くわからない政権と官僚が、今日も原発を海外に売るための工作にいそしんでいるんだろう。(万が一、海外に売った原発に事故が起こったときの放射能の廃棄物は日本が引き受ける契約書になっているはずです)

16032003

仕事場のテントのメンテで足場パイプを登る。昔は高い所が大好きだったのに、恐い。ジェットコースターなんか半日続けて乗りたいくらい好きだったけど、もう乗らなくていいかも。どうでもよかった命の大切さが年をとるほど増してる。

16032004

20年使ってきたノミを作っていた鍛冶屋さんはとっくに廃業してしまったので、先日新調したノミは、全く違う形のノミになってしまったけど、少しずつ慣れてきた。

16032005

オオイヌノフグリ。なんでふぐりなんて名を付けられたのだろう、不憫だ。(知らない人も「ふぐり」を検索しないように)

16032006

曇りの日だった。

16032007

夕方、時間がとれたので長靴を履いて iPhoneを持って家の裏の田んぼへ。

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短い時間だったけど

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夕焼けになって

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空と田んぼの光が

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劇的に変化して

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楽しんだ。

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あっという間の地味な夕日だった。

16032028

夕食にカミさんが菜の花とシラスのパスタを作ってくれた。

16032029

ただでも美味しいのに、Hiromiさんの九州土産で我家で今大ブームの”YUZUSUKO“がこのパスタに合いすぎ。悶絶。