曽祖父 川村兼吉

花付ききゅうり、

花付きズッキーニの収穫。

カンナの花が咲いた。

#庭の猫の額畑

妹からクラフトビール届く。この前、ボルシチ送ったお礼か?畑のビーツでわらしべ長者・笑

午前中は石彫り休んで

木の仕事。

石彫の前は木彫だったし

カミさんと家を作ったから必要な道具は揃ってるよ。

2年間鉢で育てて

料理に使ってきた月桂樹を

家の裏の土手に移植する。

月桂樹は耐寒温度がすごく低いので東北の露地植えでも全然平気。

のびのび元気に育っておくれ。

3年前に移植した枇杷はかなり大きくなった。

食べた種から育てて去年露地に移植した柚子も順調。

そしてコウモリランの葉は茶色くなって枯れそう。今も試行錯誤が続く。

どのタイミングで水をやったらいいのか。そもそもこの水のやり方であっているのか。。。

今日のかき氷は母親にもらった

長坂養蜂場の三ヶ日みかんの

はちみつコンポートで。

美味しいに決まってる奴。

今日は一日蒸し暑かった。

大変!夕方トマトとピーマンと茄子をいただいた。大量過ぎて2人で食べ切るのは大変な量だ。

今日も暑かったので体力残ってないけど食いしん坊が勝ってしまうので仕方なく仕込む。

まず母親にもらったオリーブオイルのツナ缶とピーマンで無限ピーマン作って6個。

夕食後にトマト14個

全部湯むきして

玉ねぎ、畑のズッキーニと共に

ラタトゥイユとトマトソース仕込む。

これでトマトは使い切ったけど

まだ大量の茄子とピーマンが。

でも茄子の漬物と煮浸し作ろうと思ったけどもう体力が残ってません。本日の仕込みは終了!


 

父親の祖父、僕にとっての曽祖父 ”川村 兼吉” が山形の鶴岡で大きな染物屋を営む実業家だったことがわかり

父親に聞いたり本で調べたりして少しずつわかってきた事。

”曽祖父の 川村兼吉 は江戸時代から染物屋が多かった鶴岡の染物屋の三男。後に分業して新町に開業。藍染の将来に限界を感じ、京都で友禅染の調査をし京染の職人を連れ帰り京染を鶴岡に導入すると共に、若い職人を京都に派遣してその修行に当たらせた。昭和初期には最盛期をむかえ、その頃は加賀友禅を凌駕し、鶴岡は東北の京都と言われるまでになった。川村の名は本場京都にまでも響いていたと言われる。昭和14年7月10日没。”
(※「鶴岡百年の人物」(上)斉藤正一著 より抜粋、引用、編集。文責:山中環)

東北とは縁もゆかりも無いと思ってきたけど三代前まで遡るとこんな関係があったなんて。

鶴岡に京染を導入し、加賀友禅を凌駕するほどになって、鶴岡を東北の京都と言わしめた人が僕のひいおじいさんだったなんて。なんて誇らしい!
ますます鶴岡好きに拍車がかかるな・笑