お花見 2011

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 放射線をよけながらの暗い気分の日々。数年前に誘って毎年の恒例になった隣町の友だちとのお花見。今年も行こうよ、と電話で誘ってもらった。嬉しかった。友だちは僕らとほとんど同じ時期に関東から宮城へ来て百姓をしている。宮城で知り合って友だちになった。
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 去年はどうしてもタイミングが合わなかったので一緒の花見は2年ぶり。おととしは友だちの(今は亡き)愛犬「大豆」も元気だった。大豆がいないだけじゃなくて今年は憎き「放射性物質」を身体に付けないようにいつも座ってお昼を食べていた池のほとりのコンクリートのテーブルと椅子にも座らず、全員マスクで桜を見ながら散策するだけ。
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 桜は相変わらず美しいのに。3.11の前と後では全てのものが違って見える。自分の作品さえも。同じものはもう作れないな。意味が変わってしまっている。
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 今年は初めて愛犬小春も家においてきた。犬をおいてきた夫婦と亡くした夫婦の前に、お年を召したご婦人に連れられて犬が散歩で来ていた。見ず知らずの犬とスキンシップ。とてもおとなしいエンゼルちゃん。聞けば我が家の小春と同じ13才。高齢だ。
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 百姓だけでなく農家民泊もやっているその宿「里の家」の縁側で(放射性物質を除けて)お昼を食べようと言ってもらっていた。床の間を見ると「里の家」オープンの記念に贈った石の彫刻作品を大切に飾っていただいていた・嬉
 曇り空ながら温かい日だったが公園を出て車で友だちの家に向かった途端、雨が降り始め警報の通りの暴風が吹き始めた。
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 気のおけない友だちと窓を閉め切った縁側でご飯を食べながら久しぶりに笑った。ただ1ヶ月前には知るよしもなかった「マイクロシーベルト」とか「放射性ヨウ素」とか「ベクレル」なんていう言葉が普通に出てくる現実が悲しい。宮城県は当初、放射線値を測りもせずもちろん公表もしないという愚挙に出た。愚かな県民に事実を知らせればパニックになる。情報は自分たちが知ってコントロールすれば良い、という姿勢に見えた。(浅野前知事がもう少しのところまで迫った警察の裏金問題の対処も同様)
 食後には野点は出来なかったけど抹茶セットを持参して今年も一緒に抹茶を点てていただいた。
 友人は自分たちが百姓だからその値によっては自分たちにマイナスになるにもかかわらず、早くから県や町に水や土の汚染レベルを測定するよう働きかけていた。日本だけでなく自分の畑を海外の団体にも測定してもらっている。人体実験ではないけれど実際に放射性物質を体外や体内に浴びた人間とその放射線量、被曝後の経過という具体例はチェルノブイリ以外では、ほとんど無いため海外の諸団体が今、日本で具体的な活動をすすめているという。ましてや我慢強く勤勉な日本人だ。経年変化の実証データをとるには最適な国だろう。もしかしたら僕を含めた東北の人間は、後に続く人たちのための人生をかけた試験をしているとも言える。せめて役に立ってとしか今は言えないけど。
 チェルノブイリの事故の後にもそこにとどまっている老夫婦を訪ねた辺見庸氏のNHKのテレビドキュメンタリーを思い出した。(もの食う人びと (角川文庫))その時僕は、放射性物質を浴びたジャガイモとタマネギを食べながらも何故そこにとどまる?と思っていた。馬鹿げているとも。振り返ってどうだ。僕とカミさんは東京から宮城に越してきた。すぐまた東京に逃げ帰ればいいじゃん。そう言われている・悲。だけどそうは思えない。都会からの他所者を受け入れてくれた人たちに事情が変わったので出て行きます、なんて簡単に言えない。ましてその土地で生きてきたお百姓さんたちにとって、土地を離れて生きる、という選択肢は無いだろうし考える事すら無理だ。だからこそ、何の因果か大地から高い放射線量が検出され避難を強いられることになった飯舘村の農家を思うと心が痛む。飯舘村は僕らのキャンプのベース基地でもあったのでその土地の自然や人々の豊かさに触れる機会が多かった。村長夫妻ともたまたまキャンプ場の管理等でゆっくり話をする機会があったけど、その時お話をした事や贈られた著作などから先駆的な考えや実践をしている村長さんと言う事を知った。今回もかなり早い段階で(野菜を作れないなら)ひまわりの植え付けによってバイオマス燃料を作り土地を改善していくという案を出すなど、素晴らしいリーダーシップを発揮されている事を尊敬してもいた。日本の多くの人がたまたま放射線値が高かった土地として初めて飯舘村を知ったとしたらとても残念。とても悔しい。そこには素晴らしい自然と素晴らしい人たちと先進的な考えが有る事をどうしても書いておきたい。せめて飯舘村で撮った写真をここに貼っておく。



 友人の老猫。小麦粉の様に白い「こむぎ」。
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 笑う事ができて良かった。少しからだが柔らかくなった。来年がどうなっているのか全く想像する事は出来ないけれど、来年も一緒に桜を見る事ができますように。