天気予報では荒れて雨と風が強くなる日。暴風雨で石が彫れなければ仙台の個展会場へ行く。仕事ができるなら石彫り、と決めてました。
太陽は見えないものの、雨も風もない朝でした。仕事します(仙台行きたかった・笑)。美しい夕焼けだけが空じゃない。
雨や霧にけぶる空も素敵。
青空ではない仕事場のこんな空も、これはこれで素敵。面白い。
石の一輪挿しやクラフト作品の在庫がほとんどなくなってしまった。彫刻の制作を少し休んでいくつかまとめて作らないといけない。全部ひとりでやってるので御依頼に応えるのに少しタイムラグが出来てしまって申し訳がない。今日は、集めてきた伊達冠石のカケラで一輪挿し、香合、ペン皿を作る予定。
仕事場に珍しくお客様。今は採石されていない桜御影石という桜の花びらのような淡い桜色の石を持ってわざわざ来てくださった。屋外の現場で見つけたから僕にあげようととっておいてくれたそうだ。いわゆる濃い赤色の赤御影石とちがって淡い色合いがきれいだ。
お客様は飯舘村のキャンプ場の管理人をされていた高野さん。僕らはその「あいの沢キャンプ場」と飯舘村と高野さんの魅力にやられて、よく通うようになっていた。そう、あの放射能事故までは。原発事故による濃い放射能の雲は、雨で飯舘村に多くの放射能を落として、村全体が高濃度に汚染されてしまった。高野さんともしばらく連絡がつかず再会出来た時は嬉しかった。
飯舘村は白御影石の産地で石の彫刻が村のいたるところに当たり前のようにあった。とても自然の豊かなところで、高野さんに教えてもらった山の湧き水を汲んで料理をした。高野さんに紹介してもらって菅野村長さん夫妻ともキャンプ場で話をさせていただいたり著書をいただいたりしたけど、男尊女卑が当たり前の田舎にあって、女性が活き活きと活躍できることが男女含めた村民全体の幸せになると、女性を大事にする政策を行っていた。(どこかの偉そうな首相が「女性が活躍する社会を」と口で言うだけで、男社会の、古い、ダサい考え方を理解できる女性だけを大事にするのとは全く次元が違う本当の意味での女性の活躍)
心をこめてという意味の「までい」を合言葉にいろんな活動が村全体でされていて、飯舘村に行くとほっとして温かい気持ちになる村だった。
その村を、多くの人が、放射能で汚染された場所としてだけ認知しているのが本当に悔しい。こんな田舎の小さな村は、日本でも先駆的な事をいくつも行っている村で、驚かされ感心させられることが少なくなかった。きっとただ経済成長だけを目指しては破綻する、これからの日本にとって貴重な実践が積み重ねられていた村だった。よりによって何で飯舘村、と今でも思っている。もちろん飯舘村でずっと生きてこられて、高濃度の放射能のために避難を余儀なくされた飯舘村の方々こそ、その思いは募るだろう。その気持ちを思うと言葉も無い。
そして原発を推進してきた自民党や国や読売新聞や大企業や大手メディアは、今日も反省も無く、謝罪もなく、原発を推進し、他国にまで売ろうとしている。自殺した人までいるけど原発事故で捕まった人は今でもひとりもいない。それが今のこの国の現実。なんていう理不尽。なんていう切り捨て。
僕とカミさんは飯舘村で「打ち豆(押し豆)」を知った。大豆を木槌で潰して天日で乾燥させた豆。もともとは保存のためだったようだけど太陽の力を借りているからか味もとてもいい。だけど大豆を一粒一粒打って干すのはとても大変な仕事だったと思う。それこそ「までい」にやらないといけない。
豆を作る人、加工する人、売る人、食べる人、そんな「輪」が何十にも重なってできているのが「村」であり「地域」だ。そのどこかひとつが欠けただけで輪は輪でなくなってしまう。放射能は飯舘村に豊かに何十にも重なっていた輪を奪ってしまった。ただ単に放射能で人がいなくなっただけではないのだ。何十にも重なっていた「輪」こそ「文化」だったんだ。昔から脈々と「地域」で受け継がれてきた小さな手仕事の積み重ね「文化」も人の輪が無くなってしまった飯舘村からは失われてしまうかもしれない。バラバラに避難した人たちで「地域」を作ることは不可能だからだ。
ビルの中で暮らし、収穫前の田んぼに吹く風は炊きたての米の香りがすることも知らず。季節の変わるときに肌にあたる風が変わることを体感できない、自然からのメッセージの感受性を失った人たちは、ただその土地から(一時的に)人がいなくなった、(一時的に)田畑が使えなくなった、(一時的に)山や川の恵を得られなくなった、としか考えられないのかもしれないが、失ったもの、失われてしまうものの大きさを、彼らが理解することは永遠に無いだろう。
高野さんは「あいの沢で働いていた時は、お金はそんなにもらえなかったけど、自然の中で働くこと気持ちのいい事だった」と話された。僕は高野さんに石を彫る時に使う石頭というハンマーの柄に使うウシコロシ(かまつか)の木が実際に生えてるところを見せてもらったし、キノコや山菜の生えているところを教えてもらった。自然の事をすごく知っていてキャンプの度に教えてもらうことが楽しみだった。
僕が飯舘村の文化が失われてしまうかもしれないことへの怒りと失望を語った時、高野さんが言った。
「そう。自然が失われるっていうことは、文化が失われるっていうことなんだよ」
高野さんは、それでも僕と違って優しい笑顔のままで話してくれた。僕も本当にそのとおりだと思う。
カミさんと愛犬小春と僕らのテントにお茶を飲みに来てくれた高野さんとのキャンプが、こんなに突然に、生きている間に、二度とできなくなるとは夢にも思わなかった。
原発に依存しない国を目指すと4年前に日本人みんなで誓ったのに、あれから、たった4年でど憲法を軽んじる政権のもと次々に原発が再稼働されている。みんなはそれでいいの?
今でも毎日、東京電力の原発からは汚染水が海に垂れ流しの中、この国の首相は言っている「私が責任を持つ」
そうか。わかった。それなら、まず、放射能が撒き散らされる前の自然を返せ。
雨が降ってきてしまった。隣町ではお祭り。カミさんは友だちが始めたとなり町の「純喫茶 無伴奏」に手伝いに行ったので仕事場でカップラーメンの昼食ですませてしまう。作業台の上には油粘土や形の基準にしているスリットのある一輪挿しと共にかわいい石んこ地蔵。僕は石彫りでわからないことがあるといつも平泉さんに聞きに行く。「師匠」(とか言うと怒られそうだけど)の作品は、僕にとっては、石んこを買うみなさんとはちょっと違う意味合いを持っている。時々、制作の参考に見ている。
昼過ぎに、雨はあがってくれて仕事続ける。
久しぶりにグラインダーが回らなくなってカーボンブラシを取り替えた。使ったマイナスドライバーは中学校の技術の授業で旋盤で作ったもの。取手の6面のうち3面にポンチで字を刻印してある。
一面に自分の名前。残りふたつは「Olivia Hussey」と「Tracy Hyde」美しさと可愛さが尋常じゃなかった。「ロードショー」という映画雑誌の愛読者だった僕は、雑誌企画の映画祭に当選して、トレーシー・ハイドにも会えた(正確には遠くから、見られた)。
石のクラフト作品制作中。形になってきた中に、
こんな一輪挿しが。自然の素材だから風化の関係でヒビが入っていることが少なくない。いつも制作してる途中に亀裂でボツになったり、販売する前に水漏れテストをして3割はボツになっている。これもここまで作ったところで大きな亀裂が見つかって、いつもの様にボツだと思った。
でも、これは水漏れに関係の無い位置に入ってるので石頭(石用の大きなトンカチのような道具)でコツンとやったら、こんなに見事に割れてくれました。
こーゆーのを神様からのギフトと思ってます(おこがましい)。神様に手伝ってもらって最後の形が決まることがある。こんな形、作ろうと思っても作れない。
きれいに磨いて一輪挿しにします。そして豚の鼻のようなカケラも何かに使えないか思案中。キレイな布とか通すと布の柔らかさや色を引き立てるのでは。
神様、ありがとう。
夕方、灰色と紫の混じった不思議な空の色でした。
そして厚い雲の下に一本線の夕焼け。
昨日、個展に来てくれたのにすれ違いで会えなかった明子さんが隣町に用事で来ているので、仕事終わって出かける。橋を渡って。
担々刀削麺。絶品。カミさんと3人で少しおしゃべり。明子さんは、昨日すれ違いになってしまった時に、わざわざ一番気に入ってくれた作品を手紙に書いてスタッフの方に託してくれていた。その話もして盛り上がった。それは、今回作った中で、カミさんは好きではなくて、今回の展示から外れるかもしれない作品だった。僕は気に入っていた作品でした。なんか嬉しい。